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ハプニングバーの潜入捜査員に18禁BL同人漫画家であることがバレて人生終わったと思ったら、実は妹と二人三脚で1つのPNを共有する神作家で、何故か私に告白してきた件

作者: 桜城恋詠


『カズさん!クーさんが最近浮上してなくて、コマケにも参加していないですけど、なんか知りませんか?』


 プライベートメッセージからクーとそこそこ交流のあった女性から連絡が来ていることに気付き、ため息を一つ。


 まさか、「クーは公然わいせつと迷惑防止条例違反で逮捕されて刑務所の中です」「実はその現場に私も居合わせていました」など言えるはずもなく、私も連絡が取れないんですと適当に返しておく。


 今はそれどころじゃないのだ。

 コマケまで一ヶ月半前に迫った今日という日、11月中旬はコマケの当落発表だった。

 無事サークル出展が確定した私は早急に原稿を仕上げ、売り子を確保しなければならない。

 今までは助けてと泣きつけば売り子と原稿はクーのお陰でどうにかなったが、今回ばかりは落とすかもしれない。

 最悪の場合は、新刊なしか…いや。

 そんなこと、スペースを無事に確保したからには許されない!


『新刊はハプニングバーでイチャコラする推しの話を描く予定ですが、圧倒的に時間が足りない!魔法のお薬飲んでがんばるぞい!』


 エナジードリンクを数十本買い込んで並べた写真と一緒に自身のアカウントに投稿すれば、すぐに誰かから返信があった。

 初めて見る名前の人だ。

 名前の後半部分にはコマケのスペース番号が書かれている。


『カズさんこんばんは。魔法のお薬は身体に悪いので、程々にしてください。困ったことがあればいつでも手伝うので連絡くださいね。応援しています』


 ちょっと待って。オトさんって超大手の同人作家じゃん!


 ジャンルこそ異なるものの知らぬものはいないであろう超有名作家で、コマケでのサークル参加は必ず壁配置。

 どんなに大量に在庫を持ち込んでも開場1時間後には捌き切って跡形もなく消えていると噂の同人作家ではないか!

 私も話は聞いているが一度も会場で購入したことはない。

 通販で受注生産をしているにもかかわらず、何故か知らないがフリマアプリで高額な値段で売買されているあの超有名人が、誕生日席すらも1度しか経験したことのない私に声を掛けてくるなんて…!

 一体どんな天変地異が起こるのか!?


『オトさんこんばんは!お優しい言葉を掛けて頂き大変恐縮です…!そのお優しい言葉を胸に、絶対原稿を仕上げてみせます!』


 オトさんに弱小サークルが応援を頼むなど、長年のファンからボコられてもおかしくない!

 そもそもこのやり取りですらファンからよく思われていないだろうに…!

 オトさんにお声を掛けて頂いた以上、リアリティは追求しなければ!


『進歩だめです』


 意気込んだのも束の間。

 コマケまであと4日と迫った中、半分も作業が終わっていないことに絶望する。

 いつもならワイワイ言いながらクーに助っ人を頼み仕上げている所だが、全ページ下書きを終えてペン入れを終えたのは全体の半分のみ。

 仕事のことを考えると睡眠時間を削っても作業時間は24時間あるかどうかだ。

 締切はコマケ前日の9時。金に物を言わせて延長して貰っても、数時間伸びる程度で1人の作業量は高が知れている。

 到底間に合わない。


『最悪半分は背景やトーンなしになるかもしれません…!ぺ、ペン入れだけは…どうにかします…』


 ペース配分間違ったわ~。

 まあ、やばいといいながら今までもどうにかしてきたんだ。どうにかなる。

 最悪は大枚叩いてどうにか…いや、最悪死んでもいいから原稿だけでも仕上げ…ああ、でも売り子がいないから売ってくれる人がいない。

 だめだ。全部1人でやって、イベントに出ないと。


『カズさん、大丈夫ですか?私もう脱稿したんで手伝えますよ!兄もいるので二馬力です!』

「へァ!?!?」


 今度は神絵師からプライベートメッセージがきた…!女神か?いやでも神絵師の手を煩わせるわけには…と必死に抵抗したが、作業通話しましょうと言われ、あれよあれよと言う間に気づけば原稿のデータを渡していた。


「神の手を煩わせることになるなど……本当に、本当に…ひっく…っ。こんな底辺のド下手な濡れ場のペン入れと背景任せるとか…ほんとありえない…!コロシテ…」

『気にしないでください。お兄さんがカズさんの大ファンで!今、泣きながら原稿やっています。当日、オフ会で私と兄にお会い頂ければ、そう気に病むこともありませんから…』

「えっ、そんな!神々しいオトさんと一緒にオフ会とか無理です!」

『私は普通の人間ですよ?お兄さんのことは突っ込まないんですね…』

「お兄さんって突っ込まれる方なんですか!?」

『お兄さんは…ええと、睨んで来ているので、すごく心外だって怒ってます、ね』

「あっ、違うんだ…。男同士の18禁漫画原稿手伝えるなら、そっち系かと」

『お兄さんは女性が好きですよ?気になる女性の描く漫画なら、内容がどうであれ細かいことは気にしないそうです』

「へー。お兄さん、すごいですね。腐女子に理解がある男性ってなかなかいませんよ。腐男子だって偽って近づく男よりよっぽど誠実です!ところで、オトさんは普段全年齢のTLで活動していらっしゃいますよね?濡れ場の…しかも男性同士の原稿が混ざってますけど…大丈夫でした…?」

『お兄さんが原稿を確認して分担しているので問題ありません。カズさんは原稿に集中して、十分な睡眠を取ってください。こちらはだいたい仕上がりましたので』

「えっ!?はやっ!」

『お兄さんは神の手を持っているのです』


 オトさんと腐男子のお兄さん恐るべし…!私が下書きで雑に描いたハプニングバーのバーカウンターを想像通り完璧にペン入れしてくださっている。

 マジ女神、菓子折り持って謝りにいかなければ。

 菓子折り買う時間もないけれど!

 二人のお陰で締め切り前に入稿する目処が付き、イベント前に十分な睡眠を取ることもできた。

 二人がいなければ今頃原稿も落として会場にも辿り着けなかったかもしれない。


『脱稿しました!本が出ます!手伝って下さった神絵師様に感謝!!!』


 今日、オトさんに出会ったらオフ会代を全部負担しよう。本当に会えるかはわからないけれど。


 神絵師である壁サーのオトさんは早々に在庫を売り切って午前中には完売札を立てて撤収してしまう。

 方や弱小サークルの私はいつも閉場まで参加して、夕飯も兼ねてクーとオフ会で大はしゃぎし夜まで語り尽くすのが習わしだった。


『サークルかずのこ天井さんのアシを担当しました!』


 ーー神絵師いぃいい!?何やってんの!?


 数十万人のファンがいるアカウントでファン数が百も満たない弱小サークル、しかも18禁BL同人誌の宣伝しないで…!


 お品書きが十数万単位のファンに晒されなかっただけマシだが、会場で刺されるのでは…?と気が気ではない。

 正直、ハプニングバーに連れて行かれて「今から好きな男を見繕ってハプッていいよ」と言われた時と同じくらい生きた心地がしなかった。


 胃が痛い…。


 青い顔でポツポツと訪れる客に薄い本を手渡せば馴染みのファンに心配され、直接クーのことを聞かれたりと心労は耐えなかったが、11時頃からポツポツと訪れてたはずの客が列を作り絶え間なく新刊を求め始め、てんやわんやだった。

 こちとらワンオペやぞ!

 両隣に迷惑をかけるほど長い列ではないけれど、いつもと客層が違う。

 これが、神絵師の宣伝力…!驚きながらも配布を続ければ、あれよと言う間に新刊の在庫が尽きた。


『し、新刊完売しまし、た…!?ナンデ!?』


 理由は言うまでもなく神絵師オトさんのお陰だが。

 SNSで発信したお陰か大きな混乱が起きず客足も遠のいた辺りもちろん私の実力ではないのは理解している。

 はは。乾いた笑いしか出ない。

 それでもポツポツと旧刊を求めにやってくる神絵師のファン達を捌いていると、オトさんからプライベートメッセージが来ていることに気づいた。


『こちらは撤収完了しました!今からお兄さんと一緒に行きますね!』


 ちょ、ま!神絵師が来る!?


 慌ててオトさんのSNSを見れば11時にはす在庫を捌き終えて撤収しますと呟いていた。ちょうどいつもと違う層が買い物に来てた時間だ。

 なるほど、神絵師の本を手に入れた人達がはしごしに来たのか…。


「カズさん、ですか?」

「え?あ、はい!」

「こんにちは。オトフタバのオトです。それから…」

「一度きりにはしたくないと言ったろ。影宮(かげみや)くん」

「…!?」

「ごめんなさい。乙女ゲームのやりすぎで…悪い方向に影響を受けてしまったようです。本人に悪気はないと思うのですが…こちらは私のお兄さんです」


 この世のものとは思えない、長い髪を揺らした絶世の美少女と、肩を並べた長身の、胸元で腕組をした男性の顔と見て開いた口を塞ぐことができない。


 黒のシャツにグレーのジャケット。

 クリーム色のスラックスを着た男性は神絵師オトさんのお兄さんで、本名は富田音頭(とみたおんど)

 クーが逮捕されたハプニングバーに潜入捜査してた警察官。

 何故コマケで同人誌の売り子を…いや。

 オトさんのお兄さんならば、つまり。

 濡れ場のペン入れを手伝って貰ったわけで…!?


 ーー終わった。


「だ、大丈夫ですか!?救護室行きます?お兄さん。言いましたよね。このアプローチ方法はストーカーみたいで気持ち悪いと!許されるのはイケメンだけです!」

「妹の知人が困っているんだぞ。原稿を手伝って何が悪い」

「ひい…!オトさん、イケメンでも許されないことがあるんだよ…!リアルの知り合いにBLエロ漫画描いてるのバレて、原稿手伝わせてたとか、しかも無許可。著作権、警察…っ!」

「安心しろ、非番だ。そもそも管轄外の事案に首は突っ込めない。後々ややこしくなるからな。通報する気もないが。それから、俺は実体験を元に漫画を描くことなどなければ影宮くんがどんな卑猥な絵を描いていようが気にしない」

「いや、富田さんが気にしなくても私が気にするから!なんなの、オトさんと言う超絶美少女を妹君に持ち、腐に耐性があって警察官で、なんかめっちゃ鍛えてそうな立ち姿とか、スパダリなの?スパダリ受けで1冊描いてもいいですか」

「やめろ。俺を題材にするならNLにすることだな」

「スパダリは否定しないのですね、お兄さん…」


 オトさんから鋭いツッコミが入るが、富田さんはオトさんの言葉をスルーしていた。

 こんなに美しい美少女のツッコミを無視するなど、この男。

 人間なのか?

 女性に言い寄られたことがない話はこういう所が原因なのでは。


「徹夜明けで脳がバグってるので、美形のご兄妹に言い寄られるとまともに会話が…いや、生きているのが申し訳ないと言いますが…」

「うちの妹より影宮くんはよほど綺麗だと思うが」

「は!?喧嘩売ってます!?どっからどう見ても絶世の美少女ですよ!黒髪ぱっつんの美少女!姫カットなんて似合う子は滅多にいません!もっと妹さんが生まれたことに感謝してください!そして神絵師!神は二物を与えたんですよ!まさしく神です!」

「あっ。カズさん、そのことなのですが…」

「おい。この場で言うのか」

「だめでした?」

「くう…っ!」


 美少女が兄を見上げて首を傾げている…!その美しい白い首筋に吸い付きたいっ!薄い本が厚く、いや新しい扉を開きそうだ…!


 この兄妹とずっと一緒に居たら身が持たない!

 兄だけならともかく、妹さんはだめだ!脳がバグる!美しい妹が私も欲しい!

 許されるならこのまま攫いたいくらいだ。許されないけれど。


「くそ。さっきから(おと)の方しか見てないじゃないか」

「お兄さんが乙女ゲームの攻略対象になりきろうなど、馬鹿なことを考えるからですよ」

「なりきるつもりはない。引用したまでだ」

「生きている人間はあのような言葉を日常では使わないことを学習してください…」

「…俺が悪いのか?」

「鈍感同士、気が合うかもしれませんね」

「オトさん?鈍感同士ってダレノコトカナー」


 オトさんはニコニコと笑顔を浮かべているが私のことですよと肯定してくることはなかった。

 怖いけど、美しい。

 美少女の顔面偏差値が高すぎてお兄さんが羨ましくて仕方がない。

 生まれてから今までずっと一緒にいたであろう富田さんは何食わぬ顔でオトさんの隣に立っていた。こいつ…。


 オトさんが宣伝してくれたお陰と、どこからかうちのスペースにオトフタバの売り子達が集合しているとリーク情報でもあったのか。

 店番しているからせっかくだし買い物に一定おいでと送り出され、急いで買い物とあいさつ回りを済ませてスペースに戻って来ればすでに旧作まで完売していて、撤収作業が済んでいた。

 なんてことだ…。

 完売札なんて作っていないとボヤけば、オトさんのトートバッグから予備の完売札が出てきた。

 これが壁サーの実力。

 恐ろしく手際がいい。


「スーツケースできたのか?荷物になるだろう」

「私みたいな弱小サークルは完売なんてしたことないのでいつもスーツケースに入れて帰ってたんですよ!」

「宅配を利用しないのですね」

「並ぶし、ほら。中身が中身だから。取り違いとかされたらと思うと怖くて。それにうちは会場から近いんだ」

「確か自宅は中央区だったな」

「…免許証。コピー取ったんでしたっけ」

「ああ。俺が影宮くんのことで知らないことはない。プロフィールはすべて頭の中に叩き込んだ」

「へ、へえ…」


 大丈夫かこの人。

 本当に警察として職務を全うできている?逮捕されたバーテンダーの変態発言は嘘だと本人が否定してたけど違う意味で色々と問題があるんじゃ…。

 ストーカー予備軍かな?

 不審がっていたせいなのか、これ以上兄の評判を下げるわけにはいかないとオトさんが「カズさんは電車ですか?オフ会の為にお兄さんがお店を予約してあるんですよ。車で来ているので、一緒に行きましょう!」と私の手を取った。

 美少女と触れ合い、後部座席で二人並んで座ることになるなど…!なんという約得!


「助手席に誘導しろと言ったはずだが」


 富田さんは不満そうに眼光鋭くハンドルを握り車を走らせる。静かな車内で美少女の横顔を堪能すること数十分。

 一人一食数万は下らないであろう老舗の高級料亭に連れてこられて生きた心地がしなかった。

 コマケのオフ会でこんな高級料亭なんて来たことがない。

 私がお礼に支払えるのはせいぜい焼肉食べ放題1人120分5000円までだ。

 3人で10万なんて支払えないぞ。


 富田さんはハプニングバーで私がロッカーの鍵交換費用3万を出し渋っていたのを知っていながら何故こんな所に連れてくるんだ。

 払えっこないのに。

 公務員だから金銭感覚がバグってるのか?美少女の妹さんはこの空間に物怖じせずいかにも食べ慣れてますって顔しているし、相当な上流階級と見た。

 一人暮らしのくたびれ貧乏OLとは住む世界が違いすぎて帰りたい。


「あの、ここのメニュー表…値段が書いてないんですけど…」

「父の知り合いが経営している店だ。値段は気にしなくていいから好きなものを頼め。どうせ俺が払う」

「カズさん!何にしますか?私はすき焼きがお勧めです。黒毛和牛を使っていて、手打ちうどんが中に入っているんですよ!」

「へ、へえ…そうなんだあ…黒毛和牛…高そうだね…ははは…」


 キラキラ輝く美少女の瞳がきれい。吸い込まれそうだなあ。


 現実逃避をしながらも美少女の勧められるがままにすき焼きを選択する。

 対面のお兄さんはステーキを食べるらしい。いいご身分だこと。

 支払いは自分と宣言するのだからそれなりに持ち合わせがあるというアピールかもしれない。一体なんのアピールなんだ…。

 そのへんに掃いて捨てるほどいる腐女子にマウントを取らないでほしい。


「私、実はカズさんに…いえ、皆さんに隠していることがあるのです」

「へ、へえ…なにかなあ……」


 実は男なんですとか言われたら発狂する自信がある。

 大量の冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべれば、富田さんは何故か興味深そうにこちらを見つめた。

 妹さんの重大告知をどう受け止めるかテストするつもりなのか!?

 よし、やってやろうじゃないか。

 100点満点のリアクション、してやらあ!


「私はゴーストライターなのです」

「へー。そーなんだあ。私は気にしない…よ………。へ?」

「お兄さんも、カズさんはそのようなことを気にする女性ではないと言ってくださったのですが…やはり、お伝えするのが筋であろうと思いまして…。カズさんは私のことを神と崇めてくださっているようですが、カズさんが崇めるべきは私でもありますし、お兄さんでもあるのです」

「…ちょ、ちょっと待って。ゴーストライター?富田さんでもある?」

「サークル名のオトフタバは二人で一人。共に音の付く名前で、二葉になぞらえてお兄さんが付けました。オトは元々、お兄さんのPN(ペンネーム)です。お兄さんがSNSで何気なく投稿した乙女ゲームの攻略対象が、瞬く間に拡散され、女性だと勘違いされてしまい…」

「男だと大きな声で間違いを正したら騒ぎになるだろうと、お兄さんに頼まれイベントに名前を借りて出席していました。原稿を手伝い始めるようになると自分の絵柄がお兄さんと遜色ないことに気が付いて…」

「お兄さんの画力には程遠いのですが、今は男性キャラと背景はお兄さん、私はシナリオと女性キャラを分担しながら、私達はオトと名乗っているのです」

「表向きの理由は音が話した通りだが、俺は大ぴらに副業ができない。商業デビューの話が来るまでにオトのアカウントが成長した以上、俺がオトとしてデビューすると安定した職を失うことになる。公務員は原則副業禁止だ。妹がオトとして表に出れば俺はあくまで趣味の一環として妹の作業を手伝っている扱いになり、音も漫画家として活躍する。一石二鳥と言うわけだ」

「へ、へえ…よくできたお兄さんだこと…」

「これは信じてないな」

「スケブ、ありますよ!カズさんのリクエストにお答えして、私とお兄さんが描けば、信じて頂けるでしょうか…」


 間近で!?神絵師の作画を見られる!?


 はわあ、メイキングをこんな間近で見られるなんて…!口元を抑えながら「私と俺の春夏秋冬」の主人公、梅見深春(うめみみはる)梅見智明(うめみともあき)をリクエストする。


「すごい、すごい!オトさん凄いよ!こんなに可愛いみはるんを10分で描けるなんて…!」

「男性を描くのは苦手なのですが…女の子を可愛く描くのは、自信がありますから。でも…お兄さんの方が、達筆ですよ。梅見さんを描くの、3分と掛かりません」

「3分って!カップラーメンじゃないんだから…」


 SNSに掲載されている神作画の絵がたった3分で製造されているなどありえないと期待せず待つこと3分。

「できたぞ」と富田さんがスケッチブックをこちらに向けた。


「うわっ!?ほんとにオトさん作画の梅見智明だ!めちゃくちゃ神作画…!やば、富田さんの手からイケメンが生み出されるとか…世の中って残酷…」

「俺は貶されているのか?」

「一周回って褒めているこだと思います」

「そうか…ならいい。影宮くんのリクエストならいつでも大歓迎だ。なんでも描いてやろう」

「おっ、推し…!あっ、いや、なんでもありません」

楓太(ふうた)か?いいぞ。食べ終わったらな」


 マジか、マジかあ…。


 正直緊張しっぱなしで奢って貰ったすき焼きの味なんて殆ど覚えていないが、オトさん作画の推しが手に入るともあれば気分が上向くのは当然のこと。

 オトさんの呼び名が共通なら、妹さんをご本名で呼ぶべきかとさり気なくあまり好きではない自らの名を名乗ってお窺いを立てれば、「富田音符とみたおんぷです」と静かな声が返ってくる。音頭さんに音符ちゃん。

 音楽一家なのだろうか。「オトでも音符でもどちらでも構いませんよ」と許可は得たが、2人共オトさんであることは確かなので、これからは音符ちゃんと呼ぶことにする。


「か、神絵師の神々しい推し…!額縁に入れて飾らなきゃ!」

「大袈裟だな。この程度ならいくらでも描いてやる」

「い、いくらでも…?」


 ごくり。思わず喉が鳴るが、そもそも私は神絵師から施しを受けるような身分ではないのだ。

 底辺と神絵師。

 警察と平民、友人の同人作家を逮捕した酷い人だけど、私の原稿を手伝ってくれた優しい人でもある富田さんが私に尽くす理由が見つからない。

 一体、何故。

 彼はここまでしてくれるのだろう。


「どうした。疑問があるのなら遠慮なく口にしろ。好きなだけ答えてやる」

「…富田さんは…オトさんとしての画力価値を本当の意味で理解していませんね!?」

「………何を言い出すかと思えば…」

「いいですか、オトさんは数十万のファンがいる神絵師です!私のような底辺のBLエロ同人作家に正体をバラして、好きなだけその魔法の手を使って神の絵を生み出すなど、私には許されてないんですよ!十数万のファンがどんなに願っても叶えて貰える確率は1%にも満たないのに、好きなだけ!?お金取っても許されるレベルですからね!?」

「好意を抱く女性の望みを叶えたいと願って、何が悪いんだ」

「…はい?」

「ただのファンにオトが音符との共同名義であることをバラすわけがない。俺は影宮くん。君と婚姻し、家庭を築きたいと考えている。夫婦の間に隠し事などあれば、離婚になるだろう」

「…好き?富田さんが?私を?結婚!?どの時点から!?」

「君がホシ…クーと呼ばれていた女性と漫画の作成がどうこうと話していた時から気になってはいた。あの日はコマケだっただろう。俺も音符と共に午前休をとって参加していたからな。潜入捜査中かつ場所が場所で、本部に会話が筒抜けだったせいで満足に口説けなかったが…時間があればあの日にもっと込みいった話をしたかった」


 こいつ…。


 女に興味ないとか言いながらヤる気満々じゃないか!

 チョロすぎる!

 同志なら無条件で好きになるの!?

 逆に怖いし、妹さんの前で好きな女に告白するとか!

 一体どんな神経しているの!?

 音符ちゃんも居た堪れないだろうと横目でちらりと表情を確認すれば、音符ちゃんは微笑ましそうなものを見る目でポヤポヤとサービスのお茶を飲んでリラックスしている。

 美少女が和む姿、眼福…じゃなくて!


「音符ちゃんも、お兄さんが突然目の前で、BLエロ同人作家に告白なんてしたら驚くよね!?」

「いえ、お兄さんがカズさんを大好きなことは修羅場中に散々言い聞かせられてきましたから、私もお義姉さんと呼ぶ日が来るのを楽しみにしているんですよ」

「音符ちゃんみたいな美少女が義理の妹になるなんて考えるだけでもこうふ…いや、違うよね。結婚やお付き合いは、そう言う感情でするものじゃないよ!」

「遊んで暮らせるだけの貯金はあるし、借金もない。職業も安定していて、趣味も一致している。好きなだけ影宮くんの望む絵を描いてやれるし、俺と婚姻すれば音符はお前の義妹だ。妻が男性同士の卑猥な漫画を描くことに関して抵抗はないし、俺は影宮くんが好きだ」

「問題があるとすれば、仕事上違法店の摘発を目的とした風俗通いが止められないくらいなものだろう。できる限り俺に潜入捜査を押し付けるなと上に直談判するつもりではあるが…」

「ちょ、ちょっと待って!私に拒否権はないの!?」

「拒否権がないとは言っていないが、今よりも安定した生活を送れると提案しているんだ。断るつもりならよく考えて欲しい」

「そんな、急に言われても困るし…これ、なにかの詐欺とか、だったりしないかな…?」

「そうですよね。はい、喜んで。私も大好きと良いように受け取るのは乙女ゲームの脳内お花畑な主人公だけですよ。お兄さんはすぐに乙女ゲームのシチュエーションを再現しようとするので、今まで女性とうまく行った試しがないのです」

「…音符ちゃん、よく富田さんは乙女ゲームを参考にしているって口にしているけど…富田さん、乙女ゲームをプレイしているの…?」

「はい。お兄さんは熱心な乙女ゲーマーです。女性がときめく言動が知りたいと…勉強のためプレイするうちに、お兄さんのツボに入った遊び方が合ったみたいで…すっかりハマってしまったのです」

「富田さんのツボに入った遊び方…」

「最速で主人公をバッドエンドに導くと、攻略対象達が好意を抱いていない状態の主人公に向ける反応を見られる。公式サイトはキャラクターのいい所しか掲載しないからな。ギャルゲーでバッドエンド直行の選択肢を選ぶとそのほとんどがセクハラまがいの酷い選択肢だが、乙女ゲームの場合は奇抜な選択肢が多い。それが面白くてな。攻略対象に一通り嫌われてからプレイを始めるとより一層物語に入り込めるんだ」

「へ、へえ…」


 この人やっぱりヤバい人だ。


 私はSNSでオススメされたりオトさんが絵を掲載していて大々的に展開する有名な乙女ゲームであれば何本かプレイはするが、自ら気になってプレイすることがないので乙女ゲームの良さを語られても生返事しかできない。

 間違った遊びを堂々と私に自慢してくる辺り、プレイしているのは本当なのだろうけど。BLエロ同人作家と、乙女ゲーマーの男性神絵師…うーん。漫画ならアリだけどリアルではナシだな。


「その、話が脱線してますけど…。今すぐに結婚とか、交際とかは考えられないので。まずは知人からでお願いします」

「すでに知人だろう。友人からではないのか?」

「友人のお兄さんとしてお願いします」

「出会ったのは冨田としての方が先のはずだが。音符の友人であることは認めて俺が友人ではないなどおかしな話だ。オトを名乗れば、俺だって友人のはず」

「細かい関係性なんて気にしなくたっていいですよね。冨田さんの最終目標は私と婚姻関係を結ぶことですよね?その間の過程にはこだわる必要ないんじゃ…」

「スタートラインが何処なのかは重要だ。友人と知人では天と地の差ほどある。知人ではすれ違っても挨拶すらしない関係だろう。俺は今すぐに婚姻したいと思うくらいには君に心を許しているのに、影宮くんは俺のことをなんとも思っていないなど…」

「そもそもあの出会いで両思いになっていると勘違いする方が…ちょっと無理ですね」

「ふん。いいのか?二度と修羅場になっても手伝ってやらんぞ」

「そ、それはもっと無理!いや、今度こそ一人で仕上げてみせますから!」


 何が面白いのか、クスクスと音符ちゃんが笑っている。

 音符ちゃんは全力で冨田さんをサポートするつもりらしい。

 つまり、二人掛かりで攻略するから覚悟しろと宣戦布告された形だ。


 原稿を手伝ってもらったお礼も兼ねて、お試しで付き合ってもいいですよと酔っ払っていれば言えたかもしれないが、素面ではハイスペックスパダリ男性の申し出を真に受けて、後々ドッキリ大成功の札を掲げられたら二度と立ち直れない。

 彼の申し出を受け入れるわけにはいかなかった。


 スペック自体は乙女ゲームの攻略対象レベルだけど、やっていることは褒められた行いではないんだよなあ…。


 出会った場所はハプニングバーで、強引に連絡先を渡され、連絡せずに放置していたら妹さんを隠れ蓑に弱みを握って結婚を迫ってきた。


 イケメンだから許される行いも、イケメンと美少女でなければ警察に突き出されてもおかしくない異常者なのでは?

 SNS経由で連絡を取ってきたのもかなり…。こんな人が警察官として日々日本の治安維持に努めているのかと思うと、日本の将来が心配になってしまう。


『夏コマは颯太の全年齢本を出してやる。オトに描いてほしい話はあるか?』


 警官としてではなく、神絵師オトとして私と接することにしたらしい冨田さんは、初っ端からアッパーをカマしてきた。

 推しを人質に取られたら、返信しないわけにはいかないじゃないか!

 く、流石は乙女ゲーマー。冨田さんと男女の関係を深めるつもりがない私のツボをしっかりと抑えている…!


『オトフタバから颯太本を出すと聞いて好感度が急上昇しましたが、上から目線で急降下しました。主人公と推しの甘酸っぱい初デートが見たいです』

『了解。期待には答える。夏コマが楽しみだな』


 ここでBL漫画と言わないのが肝だ。

 オトフタバは男女の恋愛漫画を書かせたらキュンキュンが止まらないと評判の漫画家。

 現在は小中学生向けの少女漫画雑誌で商業の連載を持っていて、コマケには小さなお友達も親御さんに頼み込んで本を手に取っているのだ。

 恐ろしいスピードで完売するため期間の短い受注生産で大量に同人誌を作成している超大手サークルに、BLを描かせたら沼落ちする人も大勢出るだろうが、親御さん達からクレームが鳴り止まないだろう。


 冨田さんだけを困らせるならともかく、商業紙の連載漫画は音符ちゃんの担当だろうし、どうしてもオトさんのBL漫画が見たければ冨田さんに土下座すればいいだけの話だ。

 代わりに婚姻届に判を押せと言われそうだが、私は冨田さんの人間として好きな所を見つけるまで、結婚する気はないからな…!

 せいぜい、時間を掛けてゆっくりと、私に冨田さんの好きな所を見つけられるような言動を心掛けてほしいものだ。


 ーー夏コマ、か。


 12月31日が終わる。

 コマケまであと半年だけど、婚姻したいと言う割にはデートに誘ったりはしないんだ?

 そういう所が女性と長続きしなかった原因なのではないかと考えながら、目を閉じた。

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