寝所への誘い
【第7話】
「は……? スイラン、でございますか」
虚をつかれた顔をする侍女を見て、つい願望をこぼしてしまった天翔も慌てる。
「い、いや、その……前々から綺麗な子だと気になっていて……」
(さっき初めて会ったばかりだが!)
服装からして、下働きの少女だ。
侍女よりも目下の存在であり、温室で歌っていたと告げれば、遊んでいたと思われて彼女が叱られるかもしれない。
だから、とっさに嘘をついたのだった。
「スイラン……スイラン。そのような名に心当たりはございませんが……」
「宴席に侍っていた者ではなく、時折廊下などで見かけたのだ」
侍女は柳眉をひそめた。
しばらく考えてから、おずおずと告げてくる。
「……では、探してまいります。陛下はどうぞご寝所でお待ちを」
(寝所! 閨の相手として連れてくるってことか?)
腰を低くして立ち去ろうとする彼女を、焦って引き止める。
「無理強いはしなくていい! 話をしたいだけだと伝えてくれ」
「かしこまりました」
(大丈夫だろうか……)
つい勢いで少女を呼びつけてしまった。さぞかし驚くだろう。
しかも、寝所へ来いなどと言われたら、恐怖で凍りつくかもしれない。
(頼むぞ。変なふうに告げないでくれ……)
姿の見えなくなった侍女の背中にもう一度祈りたい気分で両手を組み合わせる。
(とはいえ)
あの少女とまもなく会える。面と向かって言葉を交わせる。
そう考えたら、強い酒をあおったような気分になった。
用意された寝室に入り、そわそわと室内を行き来する。
(なにを話そう。いきなり歌のことを言っては警戒されるか)
夕陽のもとに照らし出された彼女は美しかったが、煌々とした灯りの下で見れば、また違った魅力があふれているのに違いない。
(……いやいや、待て。ここは冷静に)
まるで初恋を知った少年のごとく浮かれている自分を戒める。
天翔は、類まれな美貌を武器に皇帝の愛を手に入れた母の血を色濃く継いでおり、眉目秀麗だ。
初対面の女性から受けるのは、総じて好印象だった。
(普通に二言三言、当たり障りのない言葉を交わせばいい)
そうすれば、勝手に相手のほうから熱を上げてくれることがほとんどだ。
(仕事の待遇面についてでも話せばいいか)
あれこれ考えているうちに、足音が聞こえてきた。つい肩に力が入るのを必死に堪えて待ち構える。
「失礼いたします」
入ってきたのは先ほどの侍女、一人だった。
ひどく拍子抜けして肩を落とす。
「その……恐れながら、もう一度ご所望の娘の名をお聞かせ願えますでしょうか」
(見つからなかったか? 名前を聞き間違えたのかもしれない)
少女の姿を脳裏に思い浮かべながら、再度告げる。
「スイラン、だったと思うが。小さな子供と一緒にいた。子供のほうは金の髪をした特徴的な子で……」
とたん、侍女がはっと瞳をみはる。心当たりがあるらしかった。
「それでしたら、たしかに水蘭でございます」
「なんだ。いたのではないか」
「申し訳ございません。本人に話を通したところ、身に覚えがないと申したものですから」
(それはそうだろう。俺が一方的に見ただけだからな)
「余の身分は告げたか?」
「いいえ、大切なお客様がお呼びだとしか伝えておりませぬ」
水蘭はおそらく下働きだ。青磁宮の来客が誰であるのか知らされていないだろう。
素性の知れない男性客から突如呼ばれて警戒する気持ちはわかる。
「では知らせていいぞ」
「かしこまりました」
さすがに身分を明かせば、彼女はやってくるしかなくなるだろう。
だが、言ったあとですぐに我に返る。
(権力を笠に着て、無理やり連れてくるつもりか?)
皇帝の名で呼び出すのは、命令でしかない。
少女が怯えきった様子で連行されてくる姿がまなうらに浮かぶ。
(それではだめだ)
慌てて侍女を引き留める。
「待て。くれぐれも無理やりとならぬよう気をつけろ。先ほども言ったが、余はただ話をしたいだけだ。娘が難色を示すようなら、捨て置け。姉上の屋敷で面倒ごとは起こしたくないからな」
最後の言葉は取ってつけた理屈だったが、侍女はすんなり納得してくれたようだった。
――しばらくして、再び侍女は一人で戻ってきた。恐縮しきって、深々と頭を下げてくる。
「申し訳ございません。やはり、身に覚えがないとの一点張りで……」
(まじか)
無理強いをするなとは言ったものの、断られる想定をしていなかった自分に驚くやら呆れるやらで、天翔はしばらく言葉を失った。