心躍る歌声
【第6話】
少女が紡ぐ曲調は穏やかで、まるで子守唄のような心地よさを覚えた。
あたたかな声は、春の陽だまりでくつろぐ鳥を連想させる。
知らない言葉で歌われているのに、天翔の心にじんわりと染みわたった。
いつまでも耳を傾けていたい、そんな気分にさせられた。
(誰なんだ?)
着ているものでだいたいの身分はわかる。
身なりを観察しようとして、少女の足もとにもう一人子供が座っているのに初めて気づいた。
(金の髪!)
子供はどうやら異国人であるらしい。
異国の歌は、その子に聞かせるためだったようだ。
(では、彼女も異国人か……?)
改めて少女の顔を見る。
まじまじと観察してみれば、たしかにきめ細やかな白い肌や細くて滑らかな髪に、どことなく異国情緒が混じっている気もする。
(とにかく、綺麗な子だ)
目が離せない。
彼女はなぜこんなところで歌っているのだろう。
もっと大勢の前で歌えば、皆喜んで聞きほれるに違いない。
なのに、たった一人の小さな子供へ向けて歌っているのだ。
(もったいない)
あまりにも素晴らしい歌声だ。
聞いている天翔の心が洗われるようだ。さっきまで姉のことを考えて、あれほど腐っていたのに。
(もっと聞きたい。もっと近くで……俺の目の前で歌ってほしい)
うつむいた瞳を上げた少女が、どんな表情をしているのか知りたい。
そのとき、心の内の強い願いが通じたのか、少女がぱっと天を仰いだ。
杏仁型をした大きな黒い瞳が、天窓から覗く夕陽を映して柔らかく揺らぐ。
(あれは……!)
少女がふわりとほほえんだ瞬間、瞳がうっすらと光り、鮮やかな緑色をまとった。
極上の翡翠のごとき輝きを放つ。
艶めく瞳は生き生きとして、歌声はいっそう澄んで響いた。
(なんて……神秘的で……綺麗なんだ)
徐々に調子が速くなる旋律に合わせて、彼女の周りには、ほわほわと優しい光が生まれ、蛍が輝くように舞う。
どこまでが現実で、どこからが夢かわからない。
天翔はただ言葉を失い、彼女を見つめていた。
やがて、歌が終わる。
こちらに背を向けて座っている子供が、か細い声を発した。
「ありがと、水蘭。……元気、出た」
子供の見た目は異国人のそれだが、話す言葉は流暢な白陶語だった。
いや、それよりも。
(スイランというのか)
少女の名を胸の内で嚙みしめる。
大切な宝物のような心地がした。
そのとき、ふと子供が振り返ろうとする。
天翔は慌てて身を引き、温室の隣に生える柳の木陰に入った。
幸い気づかれなかったようで、二人は声を上げたり探しに出てきたりはしなかった。
そっと足音を潜めて離れ、屋敷へ戻る。
途中で、はっと我に返った。
(いや、別に隠れる必要はなかったよな)
自分は皇帝だ。
政治は姉に牛耳られているとはいえ、一応この国で最も偉い存在である。
堂々と少女に声をかけ、彼女が誰なのか、問いかけてもよかったはずだ。
こういうところがヘタレなのだと、後悔しても遅い。
(ちゃんと話したかった)
まっすぐ向き合い、あの神秘的な瞳を覗き込みたい。
心躍る歌声を、もう一度聞きたい。
一度どころか、何度も。
傍に置いて、自分だけのために歌ってほしい。
奇妙な独占欲が芽生えた。こんな気持ちは初めてだった。
「陛下、こちらにおいででしたか。ご気分がすぐれませんのでしたら、ご寝所へご案内いたしますが」
濃厚な薫香をまとった侍女が現れた。
鮮やかな紅と桜色を重ねた襦裙に身を包み、隙なく化粧を施した美人だ。
洗練された立ち居ぶるまいに加え、あでやかな笑顔、しなを作る妖艶な身体つきの女性を見て、天翔はなんとなく悟る。
(今夜の相手に用意された女性か)
姉は天翔に早く後継ぎを作ってもらいたいと望んでいる。
だから、美しい女性を集めて隙あらばあてがってくるのだった。
(だが、全然気が進まないな……)
男性機能に問題があるわけではないが、姉の息がかかった女性というだけで萎えてしまう。
もし相手がさきほどの少女だったら――。
そう考えた瞬間、身体中の血がぶわっと湧きたつような心地がした。
「……っ」
「どうかなさいましたか?」
不思議そうにのぞき込んでくる侍女。
天翔は思わず、覚えたばかりの少女の名前を口にしていた。
「スイランと話がしてみたいのだが」