皇后
【第57話・最終話】
夜も更けてから、再び天翔がやってきた。莉空も連れている。
三人は改まって輪になって座る。
「翡翠国についての調べがついた」
天翔の口調は重々しい。
父の話を半分にしか聞いていなかった水蘭は耳が痛かった。
「かつて、西の砂漠を越えた先に、小さな湖を囲んだ古代国家があったそうだ。その湖からは良質の翡翠が産出され、諸外国からは『翡翠国』と呼ばれていたらしい」
手の内で魔よけの玉を弄びながら、天翔が教えてくれる。
「この翡翠もずいぶん昔にこの国へやってきたもので、長らく皇城の宝物庫で眠っていた。俺は自堕落な傀儡皇帝だったとき、よく宝物庫で暇をつぶしていたから、なんとなく心惹かれてこれを持ち運んでいたんだ。が、詳しく調べてみれば、もとは翡翠国の王の持ち物だったらしい」
「王様の……」
水蘭も莉空も、これまでとは違って怖々したまなざしを玉へ注ぐ。
「翡翠国は王が占いや呪術を用いて民を導く古代国家だった。王族はこの玉と同じ色の瞳をし、神秘の力を操ったと伝わっている」
「……っ!」
驚いて莉空を見ると、莉空も瞳を丸くしてこちらを見ていた。
「まさか莉空は、不思議な力が使えるの……?」
「ううん。僕はなにもない。きっと使えるのは水蘭だけだ」
「わたしが……?」
にわかには信じられない。
だが、莉空は真剣な表情で言いつのる。
「水蘭が歌ってくれると僕、すごく心がすーっとするんだ。それってきっと、神秘の力のせいだったんだね」
「じゃあ、莉空も歌えばなにか起こるかもしれないわよ」
「ううん、やってみたことはあるけど……本当になんにもなかったんだよ」
ふてくされたように唇を尖らせる莉空は、この世の何よりもかわいい顔をしている。
だが、難しいお年頃に差し掛かった弟を抱きしめるのは、ぐっと堪えることにした。
それに、大事な話の途中でもある。
(お母さんが翡翠国の王女で、わたしたちはその血を引いているかもしれないの?)
だがやはり、王女が砂漠を越えた異国で暮らしているなんて納得ができない。
しかも、一般人の父と一緒に。
「どうしてお母さんはこの国にいたんでしょうか?」
「実はな、翡翠国は今から20年ほど前に滅んでいる」
「っ」
天翔は沈痛な面持ちで続けた。
「俺もまだ5歳にも満たない頃だったから、正直記憶はない。文献によれば、我々と国境を接している西の金剛国に取り込まれたらしい」
「取り込まれた?」
「属国とか、自治区とか、そんな感じで民や文化の一部は今も残されていると聞いた。だが、呪術を操ると言われた王は、その神秘の力を恐れられて処刑されたとか」
怖ろしい言葉に、身が縮む。
莉空と肩を寄せ、支え合った。
「だが文献に残るのは、『王は処刑された』という一文だ。つまり、そのほかの王族についての記載はない。もしかして、そなたたちの母親は混乱に乗じてこの国へ亡命してきたのではないか?」
20年前に国が滅んで、数年間の混乱に紛れて王女だった母はこの国へたどり着いた。
そして、経緯はわからないが父と出会い、水蘭を生んだ――。
年代的に考えても、この推測は案外ぴたりとはまるのだった。
「もう少し時間をかければ、もっと詳しいことがわかるかもしれない。たとえば古い関所の記録を調べたり、そなたらの父が白陶人ならば戸籍を調べたり地道に精査していけば、きっと真実につながるだろう」
自分の出自を知りたい気もある。
だが、政治に長く携わってきた長公主が失脚して、天翔は真の皇帝としてこれから忙しくなる身だ。
そんな彼に負担をかけてまで、明らかにしなければならないこととは思えなかった。
「いろいろありがとうございました。でも、これ以上はもう調べなくてもいいです。わたしたちは、わたしたちですから」
王家の血を引いていようがいるまいが、関係ない。
なのに、天翔はきりっと眉を吊り上げた。
「いや、ここは人員を裂いてきっちりと調べ上げよう!」
「なぜですか。わたしたちは別に……」
天翔の真摯なまなざしが注がれる。
彼は意を決したふうに言い切った。
「そなたは俺の皇后になるんだから」
「え!」
頓狂な声を上げてしまう。
ゆくゆく皇后になってほしいとは望まれたが、まるで決定事項のごとく言われても困る。
しかし、天翔は譲らない。
「俺としては形になんかこだわらない。そなたがいればいい。だが皇帝という立場上、周囲は案外うるさいものだ。そなたがもし亡国の王女だというのなら、万人が納得する身分を手に入れられる」
彼は一息つくと、ゆっくりと重々しく付け加えた。
「身分や立場は、そなたを守る盾となる。莉空の立場も強くなるのだ」
(……っ!!)
以前彼は、莉空を武官にしたのは、身体を鍛えることこそが身を守る術となるからだと教えてくれた。
そして今もそうだ。
水蘭や莉空を守るため、鎧を着せようとしているのだった。
(なんて……優しいの)
うわべだけではない。
一時の気の迷いや、惚れた腫れたで物事を進めているのではなく、必死に水蘭を大切にしようとしてくれている。
「誰もが納得する形で、俺はそなたと添い遂げたい」
誠意のこもったささやきに、水蘭の胸がじわっと熱くなる。
(ありがたくて……返す言葉が見つからない)
胸に手を当て、しばし感動に浸る。
ややあって、天翔はぽんと手を打った。
いいことを思いついたとばかり、明るく告げてくる。
「まあ、万が一王女の件が勘違いだったとかでも、心配するな。皆を納得させる奥の手があるから」
「なんでしょうか?」
天翔の瞳が鮮やかにきらめいた。
その口もとには妖艶な笑みが浮かぶ。
「そなたが俺の子を生んでくれたらいいんだ。俺は在位15年、子供が一人もいない。もし跡継ぎができれば、誰もが妃の手柄を褒めたたえ、皇后に推挙するだろう」
「っ!?」
「さあ、どちらが容易いか?」
とんでもない提案に、水蘭は頭の先からつま先までかーっと赤くなった。
その隣で、莉空が冷めたつぶやきを漏らす。
「どちらにしろ結果は皇后なんですね」
「きゃーっ! 莉空は耳を塞いでいてっ」
「まあいいだろう。隠すようなことではない。むしろめでたい。万人に知ってもらいたい」
「知られちゃだめですっ」
「では当分、三人だけの内緒ごとだな」
水蘭の黒髪を、天翔がさらりと撫でる。
その手は次第に耳に移り、頬をたどって、唇のすぐ近くまでのぼってきた。
「ぁ……」
妙な声が上がってしまうと、気をつかったらしい莉空がそっぽを向く。
こんなの恥ずかしくて、恥ずかしくて、嫌だと思う……なのに。
(すごく、幸せ……)
水蘭の抵抗はあえなく崩れ、天翔の手中へ身をゆだねたのだった。
‐『後宮恋恋』完‐
読んでくださってありがとうございました。
「後宮恋恋」完結です!お楽しみいただけましたでしょうか?
最後にお願いがございます。★評価、感想、いいねなど、なにかしらのご反応いただけると嬉しいです。今後、後日談や番外編など書くかどうかの指標にさせていただきたいと思っています。
それでは、最後までおつきあいくださり、本当にありがとうございました!
また次回作でもお会いできますように。