呪詛
【第49話】
突然の闖入者に少し呆けていた天翔は、水蘭の呼びかけで我に返ったらしい。
肩をはね上げ、返事をする。
「俺は問題ない」
「放せっ、この下賤の女め!」
暴れる皇后を必死に押さえつけながら、水蘭は尋ねる。
「大方の経緯は莉空から聞きました。今はどういう状況ですか? 家探しとかですか?」
天翔は眉を下げ、少し残念そうにした。
「知ってしまったのか」
「ごめんなさい。でも、居ても立っても居られなくて」
「青花宮様、代わりましょう」
背後から知らない男性官僚が進み出てきた。
どうやらこの人が、莉空の言っていた侍御史のようだ。
ありがたく皇后の拘束を代わってもらい、改めて天翔へ向き直る。
「天翔様がご無事でよかったです。毒以外にもなにか証拠のようなものは見つかったんですか?」
「ああ。床下からこれが」
手にしていた複数の木の札のようなものを見せられる。
覗き込めば、そこには墨で禍々しい人型が描かれていた。
さらに裏側には、赤い色で、おどろおどろしい文字がびっしりと書き込まれている。
(なにこれ、気持ち悪い)
ぶわっと鳥肌が立つ。
どうみてもよくない物だった。
「呪詛の品だ。これほどの量、よくもまあ隠し持っていたものだ。俺に相当な恨みがあったようだな。早く死んでくれと願ったのか?」
「放してっ、知らないわよ!」
皇后は侍御史に押さえつけられてもなお、髪を振り乱してもがいている。
「陛下に毒を盛ろうとしたどころか、呪いまでかけていたんですね」
「そのようだ」
「わたくしは知らないわ! 誰かの陰謀よ」
毒に呪詛、二重の証拠がある。
それでも皇后は無実を言いつのった。
たしかに水蘭へ毒を渡してきたのは、直接的には巫楽だ。
(女官のせいにして逃げるつもりかしら)
彼女ならやりそうだ。
しかし、その反面で、どこか違和感がぬぐえない。
(なんだろう、この引っ掛かる感じ……)
下々の者を軽蔑していそうな皇后だが、巫楽に対する態度は媚びたような馴れ馴れしいものだったのを思い出す。
あの女官は今、どこにいるのだろうか。
片時も皇后の傍を離れないといった評判だったはずだが。
茶会の帰り道、二人になったところでけん制されて、水蘭は思ったはずだ。
当面の敵は、皇后ではなく彼女だと。
警戒すべき対象が、ここにはいない……!?
「陛下、豆彩宮の女官たちはどこへ?」
「皆下がらせた」
「その中に、ものすごい美人の人がいませんでしたか? わたしに毒をよこしたのはその人なんですけど……」
しかし、この状況下で天翔も侍御史も、女官のことにまで構っていられないようだった。
「水蘭、その話はあとで聞こう。ひとまず証拠品を持って引き上げるぞ」
「はい。然るべき筋のもとで調べさせれば、誰の筆跡かどうかも鑑定できますので」
「安那、そなたは俺と一緒に来るんだ」
「しばらく拘束させていただきます。どうぞお静かに」
侍御史が拘束具を取り出そうとして、皇后から手を離したときだった。
彼女は隙をついて走り出す。
正殿を抜け、廊下へ出て叫んだ。
「巫楽! わたくしはここよ! 助けて!!」
「逃げる気ね」
水蘭は彼女を追ってすぐにその袖を捕まえる。
むちゃくちゃに暴れる皇后の力は強いが、庶民代表として貴族の令嬢なんかに力負けできない。
必死になってむしゃぶりつく。
が、その刹那――。
ざっと空気が揺れ、甘ったるい香りが水蘭の鼻をかすめた。
「水蘭!」
同時に、背後から天翔に強く引かれて後退する。
すれすれを、刃物の先端が切り裂いた。
なにが起こったのか瞬時に判断できずにいれば、あいだに天翔が身体を割り込ませてくる。
水蘭は彼の背中に庇われていた。
「安那様、遅くなり申し訳ございません。入口の宦官たちを片付けるのに手間取りました」
(今、なんて!?)
入口には、柊凜たちもいたはずだ。
驚きのあまり、天翔の背から身を乗り出す。
そこにいたのは、巫楽だった。
柳眉を吊り上げ、妖艶さの滲むまなざしは剣呑な炎を宿し、真っ赤な唇を真一文字に引き結んでいる。
刃物を構えてこちらへ向け、後ろに皇后を庇って立っていた。
「なんだお前は。女官か?」
天翔の低くて険しい声にも、巫楽はひょうひょうとしている。
「安那様、いかがいたしましょう?」
「構わないわ、やっておしまい」
「承知しました」
刃をぎらりと光らせる。
「安那、毒や呪詛では飽き足らず、皇帝に刃物を向けるのか。ここまで来れば、もはや言い逃れのできない叛意だぞ」
天翔はそれを冷静にたしなめようとする。
だが、皇后は興奮した甲高い声を上げた。
「お前なんかお飾りじゃないの! お母様に言えばいくらでもすげ替えられるんだから! 巫楽、遠慮なく暴れてちょうだい!」
「かしこまりました」
言うや、巫楽は床を蹴った。