寵姫
【第47話】
今すぐ皇后のところへ乗り込むんだ! と息巻く水蘭を、莉空は必死に止めてきた。
「陛下に毒を盛られそうになって怒るのはわかるけど、急すぎるよ」
「だって、こういうのは相手に時間を与えちゃいけないのよ。いくらでも証拠が消せる」
「それにしたって、皇帝に匹敵する権力を持つ相手に、前触れもなく突撃なんて許されないよ」
「礼儀の問題? わたしは怒られたって平気」
「そうじゃない」
興奮しきった水蘭に、莉空の冷静な声が水を差す。
「水蘭の失敗は、陛下の責任になるかもしれないよ」
「どうして?」
「だって、水蘭は周りからみたら『寵姫』じゃないか」
後宮に部屋を賜り、毎日皇帝が足しげく通ってくる――この状態を、世間ではそう判断するらしい。
「身分の上下とは関係なく、水蘭の立場は影響力があるんだ」
歴史上、皇帝の愛を一身に集める存在として皇帝を意のままに操り、政治を牛耳ったり、悪事を働いたりして国を傾けるのも、その『寵姫』であることが多い。
「水蘭が動けば、陛下の意志と同じく受け取られちゃうかもしれない。だから、誤解されやすい行動はしちゃだめなんだよ」
「じゃあ、どうしたらいいの」
「とにかく、なんでも先に陛下へお伺いを立てないと」
あまりに口を酸っぱくして言ってくるので、さすがの水蘭も折れた。
「わかったわ。許可をもらってからにする。だから莉空、今から陛下のところへお使いに行ってきて」
「え、僕?」
「ほかにいないでしょう。早く許可をもらってきてね。じゃないとわたし、また……」
莉空は頬を引きつらせる。
怪談話の続きでも聞かされると思ったのか、食い気味に叫んだ。
「行くから! そのかわり……絶対に勝手に動かないで待っててよ」
「もちろん」
天翔の迷惑になることを、進んでしようとは思わない。
(だって、力になりたいんだから)
彼が水蘭にしてくれたように、自分も彼のために動きたいだけなのだ。
使いにいった莉空の帰りを、焦れながら待った。
戻ってくるまでの時間は、永遠のごとく長く感じられる。
やがて、待ちかねた足音が近づいてきた。
やけに慌てた様子なのに、水蘭の心は乱された。
(どうしたのかしら。だめって言われたとか?)
待ちきれず、部屋を飛び出し廊下へ出る。
「莉空、お帰りなさい。どうだったの?」
さっそく尋ねると、莉空は額に汗を滲ませて言う。
「陛下はいらっしゃらなかった。同僚の武官たちの話では、侍御史と数人の宦官だけ連れて、豆彩宮へ向かったらしい」
「皇后様のところへ? 天翔様が!?」
水蘭が乗り込もうとしていたのに、先を越されたらしい。
毒を手に入れた天翔は、早くも皇后と対決しようとしているのだろうか。
(大丈夫なの?)
不安が胸に突き上げる。
「侍御史っていうのはどういう人?」
「監察官だよ」
事件の証拠集めをしたり、犯人が誰かを突き止めたり、裁判したりする官僚だとか。
やはり、天翔は皇后を罪に問うため、彼女の元を訪れたのだった。
「その人は強いの?」
「文官だから、強くはないんじゃないかな」
「宦官の人たちは陛下の身を守れる?」
「それは……どうだろう?」
「だめじゃない!」
相手は毒を盛ってくるような人だ。
女性だからといって、油断はできない。
天翔の身辺を守ってくれる存在が必要なはずだ。
「どうして武官たちはついて行かなかったの?」
「だって、後宮は男子禁制だよ」
当たり前でしょうとばかり言い切られて、水蘭は声を張る。
「非常時にそんなの関係ないわ。現に莉空だってここにいるでしょう? 事情があれば許されるのよ」
「そういえば、侍御史の人も男の人だったかも……」
「ほら。今すぐ戻って、武官の人たちを連れてきて。わたしは先に豆彩宮へ向かうから」
莉空は目を真ん丸にして縋りついてきた。
「待って、僕には無理だよ。そんな権限はない。困る」
「大丈夫よ、わたしが全部責任を取る」
「え……」
莉空の手から力が抜ける。
反して、水蘭はまなじりを決して胸を張った。
「さっき言ったじゃない。わたしは陛下の『寵姫』としての影響力があるんでしょう。なら、今がその権力を使うべきときだわ。陛下の無事を守るのが最優先。だから、わたしの一存で、武官を連れて加勢にいらっしゃい」
強く言い切れば、莉空は気をつけの姿勢になった。
そして、ゆっくりと頭を下げる。
武官らしい、きちんとした礼だった。
「……かしこまりました」
本当は水蘭は寵姫なんかではない。
ただの妃(仮)だ。
それでも、天翔を守ると決めた。
彼が一人で危険に乗り込んだのなら、できる限りの味方を連れて駆けつけたい。
すると、水蘭の勢いに影響されてか、傍で聞いていた柊凜までいきり立った。
「わたくしたちもご一緒させていただきます!」
よろしいですわね? と詰め寄ってくる気迫には、有無を言わせないものがこもっている。
ありがたく水蘭はうなずいた。
「では、わたしは先に行くから。莉空、お願いね。柊凜、行きましょう」