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漢字練習

【第45話】


   ◆   ◇   ◆


 その日の夜には、青花宮(せいかきゅう)莉空(りくう)が派遣されてきた。


「初めまして。水蘭(すいらん)の弟、莉空です。よろしくお願いします」


 まだ幼さの残る容貌ながら、緑色の瞳は以前よりも涼しげに切れあがり、金色のまつ毛にびっしりと覆われている。

 肌は雪のごとく白いが、緊張のためか頬をほんのりと桃色に染めており、少年らしさと色めかしさの不均衡さが絶妙の美しさを醸し出している。

 身体つきはまだほっそりとしているが、侍従武官見習いとして日々鍛えている成果が少しずつ現れてきており、目線はだいぶ水蘭と近くなっていた。


 かわいらしさと凜々しさの狭間で輝くばかりの少年の登場に、女官たちは色めき立った。


「なんて美しい弟君でしょう」

「水蘭様と莉空様、お二人が並ぶと一幅の美人画のようですわ」

「直視するには眩しすぎて……尊いですわねー」


 皆、所在なくうろうろと歩き回り、褒めそやしてくる。


「お茶をお持ちしましょうか」

「いいえ、果実水を」

「お菓子はいかがです?」

「こちら、今朝とれたての果物になります」


 なにかにつけて構いたがる女官たちに、莉空の口はへの字型となる。


「今はけっこうです」


 難しい年頃なのだった。


「水蘭、漢字の勉強をしよう」

「え、どうして急に」

「僕は皇城に来てから漢字を習い始めたんだ。だから、字の読めない水蘭に教えてあげる」


 突然、生意気なことを言ってくる。

 かちんときた水蘭は、まなじりを吊り上げた。


「言ったわね。受けて立とうじゃない」


 まさに売り言葉に買い言葉だ。


「じゃあ、この人たちには部屋を出ていってもらって。集中できないから」


 そう言って、周囲を忙しなく動き回っていた女官らをまとめて遠ざける。


(案外策士ね……)


 部屋には、姉弟の二人きりとなった。

 莉空は敷物の上に小机を出して、その上に持参してきたらしい竹簡を広げる。


 覗き込むと、それは漢字練習帳らしかった。

 一、二、三から始まって、木、上、下と画数の少ない漢字が続き、発とか動とか晩とか、徐々に複雑化していく。

 細かい漢字がずらりと並ぶ様を見て、早くも水蘭の目はちかちかした。


「これが『一』」

「数字くらいはさすがにわかるわ」

「じゃあ、これが『目』で、こっちが『耳』。繰り返して」


 莉空は一文字一文字指で差しては読み方を教え、水蘭にも復唱するように求めてくる。

 最初はかわいい弟の自慢気な先生ぶりにつき合っていたが、やがて水蘭も飽きてくる。


「ねえ、いつまでやるの?」


 女官たちは出ていった。

 人目を気にしなくてよくなったのだから、のんびりすればいいのに。


 しかし、莉空は細い眉を吊り上げる。


「なに言ってるの。水蘭は陛下の妃になるんでしょう。ちゃんと勉強しないと」

「ええっ」

「ええ、じゃないよ。いつだってはきはきしてたくせに、どうして陛下のことになると、押しが弱くなっちゃうの?」


 さすが片時も離れず傍にいたとあって、莉空は姉をよくわかっている。


(わたしだって、どうしたらいいかわからない)


 どんなに理解しようとしても難しいのだ。

 複数の女性たちと天翔を共有して暮らしていくなんて。


 妃とはそういうものだと理性ではわかる。でも、頭がついていかない。

 天翔の口から皇后の名前が出るたび、胸が痛むのだ。


(今だって、妃の誰かと一緒に過ごしているのかもしれない)


 皇后や妃たちとは仲が良くないのだとは聞いた。

 だが、天翔は皇帝だ。

 普通の夫婦のように感情だけではどうにもならない、後宮ならではの事情やしきたりがあるに違いない。


(でも、わたしは――あの人を独り占めしたい)


 必死で見ないふりをしていた。

 天翔に抱くこの気持ちがなんなのか。

 気づいてしまえば、決して後戻りができないから。


(でも、もう自分をごまかせない)


 巫楽(ふがく)から『独り占めできない』と聞いたとき、心の中が嵐のごとく乱れた。

 表面上では散々、そんなことわかっていると思っていたのに、心の底ではやはり期待していたから。


 彼が、自分だけにほほえんでくれることを。


 それが叶わないのだと他者から面と向かって言われたのが、つらかった。



「わたし、天翔様のことが……好きなのかもしれない」



 すると、莉空は盛大にため息をつく。


「僕に言われても困るよ。それと、陛下に告げるときに『かもしれない』はつけちゃだめだよ」

「はい……」

「じゃあ、勉強頑張る?」

「うん」


 完全に主導権を握られてしまった。

 これでは姉と弟が逆転したようだ。

 だが、そんな莉空の変化は、親代わりの水蘭にとって喜びでもあるのだった。


(ずっとわたしの後ろに隠れていたのに、いつの間にかこんな成長して)


 天翔が導いてくれたおかげだ。

 二人にとって、彼の存在はとてつもなく大きくなってしまった。


「莉空、毎日頑張っているのね。わたしも負けずに頑張らなきゃ」

「そうだよ。水蘭のために頑張っている陛下のためにもね」

「え、わたしのため……?」


 なんの話だろう。

 ぽかんとすると、莉空こそ首を傾げる。


「なんで知らないの? 陛下は皇后様が好き放題にしている今の後宮を解体しようと、寝る隙を削って動いているんだよ」

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