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恐れ入ります

【第41話】


「お連れしました」


 宦官の声に、妃たちは一斉に振り返る。

 周囲に控えていた女官たちも、一様にこちらへ視線を向けた。


 水蘭(すいらん)は緊張に肩をいからせ、なんとか挨拶をする。


青花宮(せいかきゅう)の水蘭と申します。よろしくお願いいたします」

「……」


 その場の誰も、うんともすんとも言わない。


(あれ?)


 聞こえなかったはずはない。

 もう一度挨拶し直すべきか迷っていると、女官たちの中から一人が進み出た。


「お席へご案内いたします。こちらへ」


 やや低めの声で物腰柔らかに告げてきたその女性を見て、水蘭は度肝を抜かれた。


(なんて綺麗な人かしら)


 すらりとした立ち姿は芍薬のよう。

 切れ長の瞳は雨後の蓮花のごとくきらめき、薄い唇の横には小さなほくろがふたつ並び、言いようのない色気が備わる。

 どことなく影を背負った儚さのある雰囲気で、目が離せない。


 皇后を始め、妃や女官たちの誰もが美人だが、彼女は群を抜いて特別な輝きを放っていた。


(もしかして、この人が巫楽(ふがく)さんかしら)


 以前、柊凜(しゅうりん)が熱く語っていた皇后づきの美人女官ではないかと推測する。


 彼女の美貌に圧倒されつつ、長い指先に示されたとおり、敷物の外に置かれた小さな円座(ざぶとん)に座った。

 妃5人の輪の中に入るのは気が引けるので、一歩下がった位置に席を用意してもらって、ほっとする。

 ちょうど正面に、後ろを向いた二人の妃の頭のあいだから、一番豪奢な衣裳をまとった年上の女性が垣間見える位置だった。


(多分、あの方が皇后様ね)


 他の妃と違い、敷物の上にさらに金の円座を敷いて、片側には高い肘掛けも用意されている。

 華やかな面持ちには、青磁宮(せいじきゅう)長公主(ちょうこうしゅ)の面影がある。

 やはり二人が親子だからだろう。


 30歳だと聞いたが、肌つやがよく、実年齢よりも若く見える。

 そのほかの妃たちは、年若い女性もいれば、皇后と同年代と思われる女性もいた。


「先日の宴でちらっと会ったかしら」


 皇后が切り出す。

 すると、妃たちも口を開いた。


「会ったというほどでは。ちらりと現れて、さらりとお帰りでした」

「お話なんて、まったくできませんでしたわねえ」


 あの日水蘭は、天翔(てんしょう)に謝らなくてはという気持ちでいっぱいで、よそはまったく見えていなかった。

 しかも、宴に参加してすぐ酒を口にし、酔って退出している。


(うわあ……、ものすごく恥ずかしいわ)


 穴があったら入りたい。


「すみませんでした。初めてのああいった公の場で、緊張しておりまして」


 殊勝な態度で謝っておく。


「それより、楽隊の素晴らしさといったら」

「池に浮かべた竜頭の舟も仙界の乗り物のように華やかでしたね」

「楽の音に驚いた水鳥が飛び立つのまで、神秘的でしたわ」


(ん? 話が嚙み合ってないわね)


 皇后から話を振られたと思って答えたのだが、妃たちは水蘭の発言に構わず別の話題で盛り上がってしまう。



(全体的に耳が遠いのかしら……)



 そこまでお年を召しているように見えない人ばかりだが、貴族のことだ。よくわからない。

 水蘭だけ敷物の外から会話に加わろうとしているため、距離的な問題で声が届かないのかもしれなかった。

 かといって、こちらから声を張り上げて話題に加わろうという気もないので、おとなしく聞き役に徹しておく。


「茶のおかわりはいかが?」

(お茶?)


 そういえば茶会に誘われてここに来たのだった。

 人間観察ばかりしていてうっかりしていたが。

 皇后の問いかけで、そもそも一杯目の茶すらもらっていないのに今さらながら気づいた。

 他の妃たちは、茫然としている水蘭を横目で見て、くすくすと笑っている。



(あれ……、もしかしてだけど、さっきから意地悪されてた?)



 遅れて呼ばれ、離れた位置に一人だけ座席を用意され、会話からは外されて、お茶も出してもらえず、馬鹿にしたような目で見て嗤ってくる。


(ああ、なるほどね)


 ようやく自分の立場に気づいた。

 だが……。


(わかりにくい!)


 もっと大っぴらに罵倒されるとか、嫌がらせをしてくるとか、身体に危害を加えられるとかではないと、当たり前すぎて響かない。


(残念ながら、だてに青磁宮で揉まれていないのよね……)


 12歳で働き始めてから5年間、同室の菊花(きっか)たちから様々な意地悪をされてきた。

 精神的にも身体的にも傷つくことは多かった。

 味方は誰もいなかった。

 その上、水蘭には守るべき大切な弟がいた。

 莉空(りくう)を守るためなら、どんな嫌がらせにも歯を食いしばって耐えてきたのだった。


(不本意だけど、菊花たちに感謝するわ)


 彼女らの洗礼を受けて、水蘭はずいぶんと精神的に鍛えられた。

 親元でぬくぬくと育ったお金持ち貴族の悪役令嬢たちが考える嫌がらせなど、きっと大したことはないだろう。


(真正面から受け取るから傷つくのよ。話は半分に聞かなくちゃ)


 それに、こちらが涼しい顔をして謝っておけば、だいたいは時が解決してくれるものだ。

 意地悪な相手とて、体力、気力の限界はある。

 打っても響かない銅鑼を何度もたたく人はいない。


(よし、ここから先、ぜんぶ『恐れ入ります』でやり過ごそう)


 水蘭が編み出した究極の処世術だ。

 たいていの会話はこの一言で乗り切れる。

 別に莉空が人質に取られているわけではなし、多少の無茶もできる。


 心を無にして、彼女らの会話を右耳から左耳へ流しながら、適当に相槌を打ち続けた。


「このお茶の馥郁たる香り、最高級の岩茶ではありませんの?」

「お母様がくださったのよ。この頃、なぜかわたくしのお買い物にけちをつける輩がいてねえ」

「まあ、そんな不敬、いったい誰ですの?」


 五人は一斉に振り返り、柳眉を吊り上げて水蘭をにらみつける。


「恐れ入ります」


 なにも考えずにぺこりと頭を下げると、彼女らは憤然と会話を再開させる。


「わたくしのお母様はすごいのよ。陛下よりもしっかりしていらっしゃるんだから」

「長公主様はこの国になくてはならない偉大な方ですわ」

「陛下が皇帝になれたのは、皇后様の、ひいては長公主様のお力あってこそですもの」


(早く終わらないかな……)


 敷物に織り込まれた動物の数を数えてみたり、茶器の彩色を眺めたりして、ぼんやりと過ごす。

 無意味な時間は、とてつもなく長く感じられた。


「そろそろお開きになされますか」


 だから、巫楽がそういって空気を切り替えたとき、嬉しくなって思わず頬をほころばせてしまった。


「青花宮様はわたくしがお送りして参ります」


 彼女が告げると、皇后の表情が変わった。

 先ほどまで水蘭を貶めていたときの強気のまなざしが力を失い、ひどく甘えた目つきになる。


「巫楽、早く帰ってきておくれ」

「かしこまりました」


(ずいぶんと、仲のいい関係みたい)


 高貴な身分を鼻にかけて、下々のものにはつらく当たりそうな皇后が、一介の女官に対して優しげな態度なことに、ちょっとした違和感を覚える。


 だが、じっくり観察している場合ではないのだった。


「参りましょう」

「恐れ入ります」


 促されて、水蘭は巫楽と共に豆彩宮をあとにした。

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『見た目は聖女、中身が悪女のオルテンシア』

↓あさたねこの完結小説です↓
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