茶会
【第40話】
水蘭が青花宮に居を移して一週間ほどが経ったある日。
見慣れない人物が尋ねてきた。
赤い官服に身を包んだ中肉中背の……男性? のような女性のような、平坦な顔立ちで肌がつるんとした人だ。
「ご機嫌麗わしゅう、青花宮様。わたくしめは豆彩宮の宦官でございます」
(宦官の方だったのね。初めて間近で会ったわ)
皇城内には男性機能を失った宦官という人がたくさん働いているのは知っていたが、青磁宮や三彩宮にはいなかった。
こうして相対して話をするのは初めてだ。
だが、不躾な視線を送るのは失礼だろう。
さりげなさを装って静かにしていると、一番近くに控えていた柊凜が耳打ちしてくれる。
「豆彩宮とは、皇后様のいらっしゃるお部屋です。つまりあの方は、皇后様のお使者です」
(皇后様!)
たしか、長公主の娘で、天翔の姪だとかいう。
心が、嵐の前夜のごとくざわめいた。
「豆彩宮ではお妃様方をお呼びして、定期的な茶会を開いておりまする。本日より、どうぞ青花宮さまもお出向きください」
一般的な男性のものより甲高い声で、宦官は言う。
誘いかけのようで、強引さが見え隠れする口調だった。
(皇后様と、お妃様の集まり……)
正直、向き合うのを避けていた最も重要な事案だった。
(天翔様には(仮)のわたし以外に、正式なお妃様が五人もいるのよね)
天翔は、水蘭を好きだと言ってくれた。
それはもう、真摯に。
彼を信じているから――その手を取った。
自ら彼の傍にいることを選んだのは水蘭だ。
だが、天翔は他の妃たちへも同様に愛の言葉を告げているのかもしれない。
そう考えると、胸に鉛の弾をのみ込んだような心地になった。
(……一度会ってみようか)
以前柊凜から、うわさ話程度に皇后を始めとした妃たちがどんな人か聞いたことがある。
結局皇后のことを少し聞いただけで、あとは美人で目立つ女官の話に明け暮れてしまったため、妃たちの情報は皆無なままだった。
この目で見てみたら、彼女らにまた違った感情を抱くかもしれない。
「青花宮様、茶会は既に始まっておりまする。どうぞお早いご出立を」
宦官も強く急かしてくる。
勢いに押されて立ち上がりかけると、柊凜がつと袖を引いた。
「お待ちください。陛下から、ここを出ないようにと言われております」
「でも、皇后様のお住まいって、同じ後宮内ですよね?」
きょとんとして問いかけたところ、二人の会話を遮る勢いで、宦官が大きな声を割り込ませてくる。
「ここを出ないようにとは異なこと。陛下はお妃様方の自由な交流を許されております。そちらの女官は新入りでしきたりを知らないだけでしょう」
正々堂々とした物言いに圧され、柊凜は口をつぐんでしまう。
宦官は重ねて言った。
「無知な女官に囲まれた青花宮様もお可哀想ですね。わたしが教えて差し上げましょう。豆彩宮様は恐れ多くも皇后陛下。ご威光は皇帝陛下のそれとまったく同じ。すなわち、皇帝陛下のご命令だと思っていただいて差し支えありません」
そこまで言われて断れる気がしない。
相手も、引っ立ててでも連れていくとばかりの気迫を醸し出している。
それに、水蘭が行かなければ、柊凜まで悪く言われるのは嫌だった。
「どうぞ速やかにお越しください」
「わかりました、参ります」
水蘭は立ち上がった。
柊凜を始めとして数人の女官が供をしようと後ろにつくと、宦官は声を大きくしてそれを止める。
「何様のつもりですか。どちらのお妃様方も供など連れてきません」
「そうでしたか、失礼しました。柊凜、ここで待っていてくれますか?」
「わ、かりました……」
柊凜は不本意そうにうなずくが、眉をひそめて心配そうにしている。
「では、行きましょう」
「はい。よろしくお願いします」
「すべて豆彩宮様の御心のままに」
「……」
早くも帰りたくなった。
まだ出発したばかりだが。
(お茶会なんて楽しそうな名前だけど、絶対楽しくないに決まってる)
不穏な予感がぷんぷんする。
だが、仕方がない。
水蘭は(仮)とはいえ、妃なのだ。横のつながりは必要なのだろう。
(郷に入っては郷に従えって言うしね……)
足取り重く、宦官について廊下を渡った。
いくつもの門を抜け、右へ曲がり左へ曲がり、ようやく皇后の住まい、豆彩宮へ到着する。
幾百もの花を蒸したような甘い香りが立ち込める部屋は、壁一面に色とりどりの絹布が張られた目に眩しい極彩色をしていた。
部屋の中央の敷物もまた、賑やかな動物画が織り込まれたものだ。
その上に輪になって座す五人の妃たちの衣裳も、孔雀が羽根を広げてひしめいているような印象だった。
(この方たちが天翔様の奥様たち……)
喉奥に、なんともいえない苦い味がこみ上げる。
だが、気づかないふりをして、しゃんと背筋を伸ばした。