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妃(仮)

【第39話】


 彼は皇帝だ。

 もし水蘭(すいらん)を望むなら、一言命令をすれば済むはずだった。

 なのに、きちんと向き合って、水蘭の気持ちを尊重してくれる。


 そんな彼の手を、振り払えっこない。


 おずおずと手を差し出す。

 彼の大きな手のひらにふれる前に、ぎゅっと摑まれて、さらに身体ごと引き寄せられた。


(え……?)


 いつの間にか、広い胸に抱きしめられている。


 一口飲んだ酒の酔いが今さら回ってきたのか、目の前がぐらぐらした。

 顎をつと持ち上げられると、真上から艶やかに光る黒い瞳が見下ろしてくる。

 穏やかな笑みを浮かべる天翔(てんしょう)なのに、その瞳の中に見え隠れする情熱の炎が垣間見えて、水蘭は背筋をぞくりと震わせた。


「では、妃(())ということで、明日から後宮に住んでくれ」

「カッコ仮……」


「そうだ。俺は結構忍耐強いから、安心しろ」

「わかり……ました」

「それで、そなたが俺に言いたかったこととはなんだ?」


 焦ったりときめいたり忙しい水蘭は、すっかり当初の目的を忘れていたが、彼の指摘ではっとする。

 彼の腕の拘束を抜け出して、背筋をしゃんと伸ばした。


「わたし、陛下に謝らなくてはいけないと思いまして」


 天翔はぎくりとしたように肩をはね上げる。


「なにをだ。後宮入りの撤回か?」


 いくら水蘭でも、ついさっきの約束を反故にしたりはしない。


「いいえ、先ほど部屋で、『騙されていた』とか『出ていって』とか、ひどい態度をとりました。申し訳ありませんでした」

「なんだ。それはもういい。だって、仲直りしただろう?」


(した……んだっけ?)


 なんだか頭がぼうっとしてきた。うまく考えがまとまらない。

 許してもらえて、ほっとしたせいだろうか。それとも……?


「ん? 水蘭、どうした? 眠いのか?」

「い、いえ……そ、んな、こと……は」


 心なし、呂律も回っていない気がする。


(あれ、なんだかふわふわして、気持ちがいい……)


 空を振り仰ぐ。ウサギの形がはっきり見える大きな満月が輝いていた。


「お月さ、ま……、かわいい、うさ、ぎ、の……」

「水蘭? 水蘭――」


 緩やかに閉じていくまぶたの裏でも、鮮やかな満月が浮かんでいた。




 夕涼みの宴で、水蘭は一口だけ飲んだ酒に酔って眠ってしまったらしい。

 気づけば三彩宮(さんさいきゅう)の自室に運ばれていて、柊凜(しゅうりん)が心配そうにつきそってくれていた。


 そして、その翌日は、いよいよ後宮への引っ越しだった。

 とはいっても、朝から張り切って荷物をまとめたり運んだりする必要はない。

 すべてが他人の手によって完璧に準備された上で、水蘭は身一つで移動するだけだった。


 水蘭は、三彩宮の部屋とよく似た造りの青花宮(せいかきゅう)という部屋をあてがわれた。ここは後宮の西の一角だそうで、自室の他に周囲には侍女たちの部屋、それから前庭があり、外とは壁で仕切られた区画だった。


 天翔は、水蘭を気づかって毎日たとえ少しの時間でも、顔を出してくれた。

 たいていは夕食前の時間で、共に茶をして軽食を摘まむ。


「窮屈な思いをさせて悪いな。今、いろいろ後宮内の改革中だから、しばらくのあいだ辛抱してくれ」

「わかりました」

(どこか工事でもしているのかしら……?)


 本当を言えば、改革中とはなにか、しばらくとはどのくらいか、具体的に訊きたい。

 だが、もし訊いたとしても、庶民の水蘭には難しい政治の話はわからないかもしれないと思うと尻込みしてしまった。


 それに、不安を募らせて半ば八つ当たりのごとく彼を問い詰めるようなことは、もうしたくない。


 彼を信じようと思ったから。


 待つと決めたら、おとなしく待つべきだと心得た。


莉空(りくう)は元気でやっているよ。落ち着いたら必ず会えるよう計らうからな」

「お願いします」


 後宮は皇帝の妃の住まいなので、男性の立ち入りは禁止されているそうだ。

 だからこの一角で働いているのは女官と、宦官と呼ばれる男性機能を失った元男性の官吏たちだけだった。


(元気でやっているのなら、信じて遠くから想うだけにしなくちゃね)


 夕涼みの宴の日、水蘭の手を引いてくれた弟の頼もしさを思い出す。

 叶うことならば、ずっと水蘭だけのかわいい弟でいてほしかった。

 でも、莉空はお人形ではない。

 いつまでも子供扱いはできないのだ。


 身勝手な寂しさには蓋をして、成長を見守らなくては。


「では、そろそろ行く。また時間を見繕って来るから」

「はい。それでは」


 外まで見送り、再び部屋へ戻った。


 狭くはない部屋。

 くつろげる長椅子。

 寝心地の良い寝台。

 あちこちに花が咲く綺麗に整えられた中庭。


 不都合などなに一つない生活だ。


 妃(仮)となった水蘭には、柊凜の他、新たに数名の若くて明るい女官たちがつけられた。

 どの子も気立てがよく、話題に富み、水蘭を退屈させないよう精一杯の気をつかってくれているのがわかった。

 三彩宮では、ときおり柊凜が世話を焼いてくれるものの一人で過ごすことが多かったのだが、後宮入りしてから、扱いががらりと変わったのをひしひしと感じる。


(これも妃()()()()効果)


 仮であるのが申し訳ない好待遇に戸惑うが、これまた天翔の言うとおり、待つしかなさそうだった。


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