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弟の手

【第37話】


 胸がかき乱された。嵐の海に放り出されたようだ。


 いったい自分はなににそこまで傷ついているのか。


 あともう少しでわかりそうな気がするのに、摑みかけた想いは荒波にもまれてどこかへ消えてしまう。

 それに、怒りが鎮まると、改めて自分の態度を顧みて頭を抱えた。


(偉そうに『出ていって』なんて言っちゃった……)


 皇城は彼の城だ。

 自分は単なる居候。全面的に彼の厚意でここに置いてもらっている立場である。

 しかも、『出ていって』とは。

 ひどすぎる言葉づかいだ。怒りに任せて発してしまったが、とんでもない。

 無礼にもほどがある。


(出ていくのはわたしのほうじゃないの……!)


 待遇に文句があるのなら、辞去すればいいだけの話なのだ。

 それを、利益は受けるだけ受けて、文句ばかりを返すなんて。


 天翔は、一度だってなにかを強制してこなかった。


(そうだわ。宴だって『無理強いはしたくない』って言ってた)


 新しい仕事がもらえる嬉しさで前のめりな水蘭をたしなめるように、そう言ってくれたのだ。

 常に選択肢を与えてくれていたのは、彼の純然たる優しさだ。


(騙されてなんか……いなかった)


 いつだって、思ったまま正直な気持ちを告げてくれた。

 水蘭を気づかってくれた。


(なのにわたしは、なにがそこまで引っ掛かったの? あれほど怒りに目がくらむなんて、初めてで……)


 自分で自分がわからない。

 出口が見えない迷路でぐるぐる彷徨っていると、部屋の扉が叩かれた。


(天翔様!?)


 びくりと肩を震わせて振り向く。

 ゆっくりと外側から開かれた隙間からは、緑の瞳が覗いた。


「水蘭、落ち着いた?」


 莉空だった。

 ずっとそこで待っていてくれたらしい。


 姉として、激高したのが急に恥ずかしくなって身体を小さくした。


「……うん」

「入るよ」


 細い隙間から身体を滑り込ませてくる。

 やはりまだ子供らしいほっそりとした体形なところに、少しだけ安堵を覚えた。


「さっきはごめんね」

「僕は別に。でも、陛下にはちゃんと謝ったほうがいいよ」


 ぐっと詰まる。

 一丁前に諭されてしまった。


「ねえ、水蘭。帰りたい?」


 突然尋ねられて、びっくりする。


「帰るって、青磁宮に?」

「場所はどこでもいいよ。ここじゃないどこかへ」

「どうしてそんなことを言うの? 莉空はここが嫌いなの?」

「僕は毎日が楽しいよ。みんなすごくよくしてくれるし、ずっとここにいたい」


 言い切られて、少なからず衝撃を受けた。

 二の句を継げずにいれば、莉空はそっと手を握ってくる。


「でも、水蘭が出ていきたいのなら、僕も一緒に行く」


「そんな……、だめよ。莉空はここにいたいんだから、わたしも残るわ」

「本当に僕のため? 水蘭はどうしたいのさ」

「……っ」


 わからない。自分の気持ちが。

 手を握ってくる手に、きゅっと力がこもった。


「ね、歌を歌ってみたら?」

「どうして急に」

「あの歌、聞くと心がすーっとして、すごく気持ちがよくなるんだ。だからきっと、水蘭の心もすっきりするよ」


 自らを慰めるために、歌えという。


(おかしな話だわ。でも……)


 歌えば、母が自分を慰めてくれるような予感がした。


「そうね、歌ってみる――」


 最初は穏やかな旋律に、優しい詞。

 ゆるい川の流れ、のどかな丘陵、晴れ渡る青い空……、行ったことも見たこともない異国の風景が、次々とまなうらに浮かぶ。


 やがて曲調は楽しげに変わる。

 大きな翼の鳥が現れて、黄金色の輝く太陽の周りをゆっくりと旋回する。開放感を覚えて、水蘭は上向いた。


 そのとき、莉空が手鏡を持ってきて、眼前へさらす。


「見て。水蘭の瞳、綺麗な翡翠色に輝いてるから」

「え」


 歌を止め、鏡面を見る。

 鏡の中の自分は、瞳を宝石のごとく神秘的に輝かせていた。

 見つめていると、光はすうっと消え、まもなく黒い瞳に戻る。


「なんで……、これ」


 まるで母や莉空と同じ瞳の色だった。


「僕だけしか知らない水蘭の秘密だったんだ。でも、陛下は知っていたんだよ」

「どういうこと?」


 水蘭でさえ知らなかった秘密を、莉空だけではなく天翔も知っているという。


「前に陛下が緑色の玉をくれたでしょう。あれ、歌ってる水蘭の瞳の色とそっくりだったから」

「嘘」



「本当だよ。陛下は水蘭のこと、すごくよく見てる」



 とたん、強い酒を煽ったかのように顔が熱くなった。

 両手で首を押さえてうつむく。

 脈が常より速く、びくびくと鳴っていた。


(なに……これ)


 心臓が高鳴って、たまらない。眩暈もする。

 でも、嫌なものではなかった。


「陛下に謝りに行こうか?」

「……そうね」


 行こうとばかり、再び莉空に手を握り込まれる。

 弟の手がこれほど頼りになるなんて、水蘭は知らなかった。


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『見た目は聖女、中身が悪女のオルテンシア』

↓あさたねこの完結小説です↓
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