そなたがほしい
【第36話】
重々しく告げると、莉空は目をみはる。
「水蘭? なにを言っているの?」
「わたし聞いたの。陛下はもともと莉空に関心があって、それでわたしたちをここへ連れてきたんだって。目的は、莉空だったのよ」
柊凜の教えてくれた皇帝の男色疑惑について語る。
幼い弟には衝撃的な内容だろうが、身を守るためにも知らせないわけにはいかなかった。
「ええ? ちょっと待って。それは、全然違うと思――」
「まったくの誤解だ!」
そこへ、ばあんと扉を大きく開けて、天翔が飛び込んできた。
やはり莉空と共に来て、部屋の外で様子を見ながら待っていたらしい。
「水蘭、いくらなんでもあんまりだぞ。誰がそんなでたらめを吹き込んだ?」
「……」
柊凜の名前を告げれば彼女が怒られるかもしれない。水蘭は口をつぐむ。
こちらの頑なな態度に、天翔は肩を大きく落としてため息をついた。
「きちんと話をしよう。莉空、部屋の外で待っていてくれ」
「承知しました」
見違えるほど立派な礼をして、莉空は出ていき戸を閉めた。
部屋には水蘭と天翔が二人、向き合って立つ。
「体調でも悪いのかと思ってくれば、信じられないことを言い出したな」
天翔はまっすぐに水蘭を見つめてくる。
(……っ)
嘘をついているとは思えないほど澄んだ瞳に射貫かれて、水蘭は息をのんだ。
(ずるい。こんな目をして、また信じちゃう。信じれば、裏切られときすごくつらいのに)
だが、天翔は揺るぎないまなざしのまま告げてくる。
「俺は最初に言ったはずだ。そなたに俺の城へ来てほしいと」
「それは長公主様から莉空を守るために……」
「莉空はあくまでついでだ。俺は、そなたの後宮入りを願ったんだ」
(また、『コウキュウ』だわ)
何度か耳にしたが、ずっと訊けずに疑問に思っていたことをようやく口にする。
「そのコウキュウ入りというのは、具体的にどういうお仕事なんですか?」
すると、天翔は目を丸くした。
鳩が豆鉄砲を食らったようとはまさにこのことだ。
「待った。そこが引っ掛かっていたのか。まさか、いや……さもありなん」
彼はぶつぶつと言いながら、頭を抱える。
なにか変なことを訊いてしまったようで、水蘭も困惑して眉をひそめた。
天翔は、ゆっくりと嚙んで含めるような慎重さを帯びる口調で言った。
「そなたは、莉空が俺の姉の私室近くに部屋をもらうとなって、これは大変だと相談してきたんだよな?」
「はい」
「なのに、なぜわからない? 後宮は皇帝の内邸。つまり、俺の寝室だ」
(え……?)
「そこにそなたを住まわせたい。つまり、妃になってほしいと言ったんだ」
「は? ええ……? なにを言って……、ご冗談を?」
「俺は最初から至って真面目だ。優しくするのも、弟を目に掛けるのも、全部そなたがほしくてやったことだ」
――息が止まるかと思った。
これでは愛の告白だ。
真摯なまなざしで力強く口説かれて、ときめかない少女なんていないだろう。
(でも、そうじゃない。これは違う)
ほだされそうになるところを、必死に踏みとどまる。
(天翔様は、ひどい方だわ)
嘘なんて一つもついていないような態度で、水蘭を騙す。
(わたしがほしいですって?)
わなわなと肩が震えた。
腹の底から再び怒りが湧いてきて、炎になって燃え上がる。
「四人も五人もお妃様がいながらなにを言っているんですか! 信じらんない。出ていって! 顔も見たくないんだからっ」
怒りに任せて彼を押す。
「す、水蘭……!?」
「出ていって!」
戸惑っている彼をぐいぐいと扉の外へ押し出すと、力いっぱい戸を閉める。
扉についている飾りの鈴が、割れんばかりに鳴り響いた。
こんなふうに締め出したって、鍵のかかっていない扉を開けるのは簡単だ。
だが、天翔はなにを遠慮したのか、無理やり開けようとはしなかった。
扉の外で莉空と一言二言話すと、その場を離れていったようだ。
足音が聞こえなくなったところで、へなへなと床へくずおれる。
激情のごとき怒りは徐々に冷え、心には穴が開いたような空虚さが残った。
(わたし、どうしてあんなに腹が立ったんだろう)
そもそも、論点が違う。
最初は、莉空が目当てだったことに怒っていたはずだった。
それがいつの間にか、彼に妃がたくさんいることをなじっていた。
(だって、わたしがほしいだなんて言うから……!)
妃になってほしいとも言われた。
皇帝にとって、妃は陳列品のようなものなのだろうか。
毛色の珍しい庶民を、出来心で飾ってみたいという軽い気持ちだったのか。
(そんなの――嫌だ)