妃の噂
【第34話】
(皇后様と四人のお妃様……)
誰の、とは問わずとも当たり前だ。
皇帝陛下はこの国に一人しかいないのだから。
(天翔様には奥様がいらしたのね。しかも複数)
冷静に考えれば、皇帝が独り身でいるはずがないのだった。
一人でも健康な子を多く成すため、皇帝というのは数百、数千の妻を侍らす存在だと聞いたことがある。
青磁宮の長公主と天翔は親子ほど年齢が離れた姉弟だ。当然母親は違う人である。それは、ここでは普通のことなのだ。
それに、天翔は御年24歳。
たとえ皇帝でなかったとしても、身を固めていて不思議ではない年齢だった。
(お母さんだって、20歳そこそこでわたしを生んだはず。そのときお父さんは、ちょうど天翔様くらいかもしれない。だから、ちっともおかしなことじゃないわ)
理性ではわかっている。
だが、心がもやもやした。
(きっと小さい頃から決められた許嫁みたいな感じで、そのまま結婚したんだわ。でも、皇后様はともかく、他に四人もお妃様がいるのね……)
母に一筋だった父の記憶が濃い水蘭にとって、五人もの女性を妻にするなんて現実的ではない。
「どんな方なの? 皇后様たちって」
それでも、平静を装って尋ねる。
柊凜は、よくぞ訊いてくれたとばかり、声を明るくした。
「皇后様は青磁宮の長公主様の御息女です。お血筋を物語る高貴なお顔立ちに、常日頃から輝くばかりの豪奢なお衣裳を召されて、眩しいくらいの方ですわ。でも、皇后様以上に目立つのは、一の侍女、巫楽様です!」
いつもたおやかな柊凜だが、なぜか目を輝かせてずいっと身を乗り出してくる。
気おされて、水蘭は同じだけ身を引いた。
「巫楽様には少し影があるのですが、それが魅力的で、大人の色香を凝縮したような絶世の美女なんですの。いついかなるときも皇后様のお傍を離れず、まるで陰陽の合わせ玉のごとく並ばれているお姿は、この世のものとは思えないほど麗しいのです……!」
(あれ? いつの間にか皇后様ではなくて、侍女の話になっていない?)
どうやら柊凜は皇后本人よりも、その侍女の巫楽とかいう女性のほうが気になるらしい。
「さらに先日、巫楽様は――」
話し始めたら止まらないとばかり、彼女は舌滑らかにその侍女について語り続ける。
皇后の情報は多少くれたが、肝心のほかの妃の話は永遠に出てこない。
だが、無理して訊きたい気持ちでもなかった。
(むしろ、あんまり聞きたくない)
なぜなのか、胸がむかむかした。
自分から尋ねておきながら、皇后の話など訊かなければよかったと後悔している。
(ふうん……、天翔様はわたしに、奥様方を楽しませるための宴で働けって言うのね)
完全に面白くない。
水蘭は半眼になってふてくされた。
そんな憮然とした態度は、柊凜にすぐ伝わってしまう。
巫楽について熱く語りすぎた彼女は、はっと我に返って謝ってきた。
「申し訳ございません! お気を悪くされたでしょうか。ですが、水蘭様の賜るご寵愛は他のどの方よりもずっと深く、強いものでございます。ですからどうぞ、胸を張ってご参加ください」
「え?」
またもや、覚えのない単語が聞こえた。
耳慣れなさは、皇后や妃の比ではない。
(寵愛って言った……? ちょうあい、チョウアイ……!?)
「ごめんなさい、わたし、意味がよくわからないんですが」
「はい?」
「いや、だから、寵愛って」
(なんか、溺愛とかそれ系の意味だった気がするんだけど……)
すると、柊凜はどんと胸を叩いて自信満々に告げてくる。
「ええ。皇帝陛下は水蘭様を深くご寵愛なされ、こうして離宮で大切に匿っていらっしゃいます」
「は、はぁぁぁぁー!?」
寝耳に水にもほどがある。
顎が外れそうになりながら、水蘭はあわあわと伝えた。
「それは……激しい誤解です。わたしと陛下は、全然そういう関係ではなくて……」
「では、どのようなご関係なのでしょうか?」
戸惑いがちに柊凜が尋ねてくる。
(どういう関係って……わたしもわからない)
たまたま青磁宮で出会って、街でお芝居を見るのにつきあって、困っているところを助けてもらって、それから――。
(言われてみれば、おかしいわ)
天翔は身寄りのない子供を自分の侍従武官に据え、なんのとりえもない小娘を、上げ膳据え膳で離宮に住まわせているのだ。
単なる親切にしては、行き過ぎている。
きちんと考えなかった自分もいけないが、庶民と貴族の感覚の違いがあるのかと、遠慮して言い出せなかったのだ。
(どうして? 天翔様はなにを考えているの?)
ぐるぐると考えていると、突如として柊凜がぽんと手を打つ。
「もしや、噂が本当だったりしますの!?」
なぜか彼女の目は生き生きとしている。
巫楽の美しさを語っていたときより何倍も。
「噂って?」
訊くのが怖い気がしながらも、つい尋ねてしまう。
「陛下の男色疑惑です。ご本命は水蘭様ではなく……侍従武官の弟君だったのですね!」