初仕事
【第33話】
(さすがに、そろそろ仕事をもらえないかしら)
当初は遠慮して言い出せなかったものの、いよいよ焦れてきた。
生まれてこの方、朝から晩まであくせく働くのが常だった自分は、待ち続けるのが性に合わない。
だが、馬鹿正直に『退屈です』と答えるほど恩知らずでもない。
これほど恵まれた待遇で迎え入れてもらっているのだ。
莉空には立派な仕事もあっせんしてもらえた。皇帝の侍従武官なんて、花形中の花形だ。長公主が示した安車蒲輪の馭者など目ではない大出世である。
そこへ自分まで相応しい仕事をくれくれと強請るのは、行き過ぎだと心得ている。
(わたしはなんでもいいの。それこそ厠掃除でも、笑顔でこなせるわ)
失礼にならないよう慎重に言葉を選んだ。
「すごく快適に過ごさせてもらっていて、なに不自由ないのですが、長らくわたしだけなにもしていないのが、少し後ろめたくて」
すると、天翔はおおらかに笑う。
「そんなことはない。そなたはここにいてくれさえすればいいんだ」
「どういう意味ですか?」
「こうやって気兼ねなく茶をできるだろう? このひとときが俺の癒しだからな」
わかったような、わからないような。
(茶飲み友達がほしかったのかしら?)
でも、それなら仕事をしながらだってできる。
腑に落ちないものを抱え、こっそりと唇を尖らせた。
「ところで明日、後宮で夕涼みの宴が開かれるのだが、そなたも来てくれないか?」
はっとして瞠目する。
(コウキュウって、たしか最初に勧誘された職場だわ)
では、いよいよ水蘭も仕事をもらえるのだ。
夕涼みの宴といった。
会場設営や飲食の準備、配膳や接待など、仕事は掃いて捨てるほどあるに違いない。
腹の底から、ふつふつとやる気が漲ってくる。
(ああ、久しぶり、この感じ)
手に汗を握り、目を爛々と輝かせる。
「もちろんです。ありがとうございます! わたし、やっとお役に立てるんですね」
水蘭の勢いに、天翔は驚いたようだ。
意外とばかり目をしばたたき、若干引き気味の声で尋ねてくる。
「本当か? 意味はちゃんとわかっているか? 後宮の宴に参加しろといっているんだぞ。嫌なら断っていいし、無理強いはしたくないんだ」
「無理なんてわけないです。むしろ嬉しいんです。わたし、精一杯お役目を務めます」
踊り出したい衝動を堪えながら、前のめりに宣言する。
「そうか。なら、いい」
対する天翔は、どこか尻込みながらぼそぼそと答える。
莉空は一歩引いたところから、二人のやり取りをどこか達観したまなざしで眺めていた。
天翔たちが帰ってからしばらくして、柊凜が衣装箱を持って現れた。
仕事着を持ってきてくれたのだと、意気揚々と蓋を開ける。
そこに入っていたのは、橙色に薄紫と紅色が混じったような朝焼け色の錦だった。
「わ……すごい」
手に取って広げてみる。
表面には銀糸で芙蓉や牡丹といった大ぶりの花がふんだんに刺繍されている。
鮮やかな総柄の布地は、少しの角度の変化で、ぴかぴかと光り輝いて見える。
さらには、二羽の鶯が刺繍された太い真紅の帯と、カワセミの羽よりも薄い七色の羅紗の領巾も入っている。
仙界の天女もかくやといった素晴らしい衣裳だ。
(これって、下働きの服じゃないわ)
きっと接待係だ。
それも、接待する相手は高位高官の人物に違いない。
(とんでもないわ……!)
無学な庶民の娘が、そんな高貴な人々の酒の席に侍って、なにを話したらいいのだろう。
(でも、今さら断れないし)
あれだけ意気揚々と快諾したのだ。
怖気づいたからといって、後には引けない。
それでも、不安は少しでも解消しておこう。
まったくの無知で挑むより、少しだけでも準備をしておいたほうがましに違いない。
いろいろ知っていそうな柊凜を頼ることにした。
「夕涼みの宴とは、どんなことをするんですか?」
「満月の晩に、後宮の北の庭にある泉のほとりで行われる宴です。涼しげな白や空色の灯籠を飾って、夜風を楽しみながらお酒を飲んだり、舟遊びをしたりします」
「へえ……、雅やかな宴なのね」
「はい。皇后様を始めお妃様方はこぞって豪奢に着飾りますのよ。水蘭様も負けてはいられませんね」
「え――」
なにか今、とんでもない言葉を聞いた気がする。
(皇后様、お妃様って言ったような……)
口から泡を吹きそうになりながら、念のためもう一度確認する。
「あの、今、皇后様とかお妃様とか言ってた気がするんですが……それは」
「はい。後宮の皆様は全員参加されます。皇后様と、四人のお妃様ですね」
彼女は当たり前のことのように、はきはきと答えてくれたのだった。