三彩宮
【第29話】
天翔が思い通りの駒にならないと知れば、長公主は必ず邪魔をしてくる。
次なる傀儡皇帝を探し、すげ変えようとしてくるに違いない。
だから、今しばらくは愚鈍なふりを続けながら、着々と準備を進めなくてはならない。
(いっそ、皇后が不祥事でも起こしてくれればいい)
血筋と美しさを鼻に掛ける傲慢な彼女が、天翔は心底嫌いだった。
それでも、姉の手前大切にせざるを得ない。彼女がやれ衣裳だのやれ宝石だのと散財しても目をつぶってきた。
だが、これからは違う。
断罪できる事案が見つかり次第、彼女の罪を深く追求し、できれば姉も連座させる。
狡猾な姉よりも、頭はあまりよろしくない皇后のほうがつけ入る隙はありそうだった。
(水蘭には、危険な役目を担ってもらうことになりそうだ)
彼女を後宮に入れれば、皇后を始め妃たちは邪魔者を排除せんとして必ず動くだろう。
もちろん、水蘭の安全は自分が身を持って守るつもりだ。
だから彼女には具体的なことは告げない。告げれば、演技らしくなるだろうし、皇后たちを罠にはめにくくなる。
(完璧な計画だ)
天翔は、凝り固まった後宮勢力に一石を投じる女性の協力者がほしかった。
それを水蘭に頼もうと思っていた。彼女を後宮に入れることで、皇后たちは牙をむく。それを利用して、一掃するのだ。
一方で水蘭は、弟を守るために青磁宮から脱出したかった。
偶然にもちょうどよい契機で互いの利害が一致したのだ。
これは、運命というほかない。
(なのに……なんだろう。胸が痛む)
針でちくちくと突かれているような細やかな痛みがさっきからずっと走っている。
花が咲きこぼれるような水蘭の笑顔、あたたかくて優しい歌声、彼女を包む不思議な光と、神秘的に光る翡翠色の瞳――いまだに天翔の脳裏に焼かれた映像は鮮烈だ。
信頼できる協力者を求めて、彼女に白羽の矢を立てたはずだった。
けれども、本音は違うのではないか。
(……ただ、そばに置きたかったのかもしれない)
なのに、協力者だの利害の一致だのと、ごちゃごちゃと理由をつけるなんて。
まったくもってヘタレである。
(なにをやっているんだ、俺は!)
頭を抱え、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。
「これからだ。もっとしっかりしなければ」
華奢な身体でたった一人、弟を守り続けてきた水蘭を、今度は自分が守らなければならない。
賽は投げられたのだから。
青磁宮で、水蘭と莉空をもらい受けたいと願い出たとき、姉は当初難色を示した。
やはり莉空の美貌に目を着けていたらしい。
それでも、必死に食い下がった。
水蘭は健康的な若い娘だから、跡継ぎをたくさん産めるだろうと告げると、さすがの姉も折れた。
彼女としても、そろそろ天翔をお役御免とし、扱いやすい幼帝を立てたいと望んでいたのだった。
そうして、その翌日には水蘭と莉空を皇城へ迎える。
さすがに、この短期間で後宮に部屋を用意はできなかった。彼女らは一時的に皇城内にある天翔の離宮、三彩宮に住まわせることにした。
その日は朝から、天翔はそわそわとして落ち着かなかった。
午後になって、やっと水蘭を乗せた車が到着する。
居ても立っても居られなくなり飛び出した天翔は、自分が見繕った衣裳を着て降りたつ水蘭を見て、呆けてしまった。
純白の上襦に、薄桃色と薄紫色の二色を使用した平絹の裙をつけ、腰より高い位置にとめている。
肌は白磁のごとく輝き、襟ぐりのひらいた衣裳から細い首筋と艶やかな胸もとが垣間見え、可憐な中にも妖艶さある。
柔らかな黒髪は、一切の飾りはなくそのまま背になびかせているが、それがかえって自然美を放ち、たいへん見ごたえがある。
桃源郷の仙女もかくやと思われる麗姿だった。
「今日からどうぞよろしくお願いいたします」
ふんわりと頭を下げる彼女を、抱きしめたい衝動にかられた。
拳を握って必死に堪える。
(必ず、守る)
それから、許されることなら――。
この手で彼女を幸せにしたい。そんな未来を希った。
◆ ◇ ◆
水蘭は、三彩宮に住まいを用意されていた。
ここは天翔所有の離宮で、親しいものたちを招いて宴会などを開いている場所らしい。
(コウキュウとかいう部屋じゃなかったんだ。まあ、いいか)
ほとんどおしかけで急遽やってきたのだ。文句など言っていられない。
「さっそくですが、わたしたちはなにをすればいいですか」
前のめり気味に仕事を尋ねると、天翔は苦笑を漏らす。
「しばらくは休んでくれ」