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馭者

【第25話】


 陳生(ちんせい)の事件があってから一週間。


 あの日、天翔(てんしょう)は屋敷の人々の前で表立って身分を明かしはしなかったが、みな、大方の予想がついたらしかった。


 すなわち、水蘭(すいらん)莉空(りくう)は皇帝から目をかけられている姉弟として邸内で有名になってしまった。


「お姉さまたち、厠掃除はどうしましょうか?」

「いっいいよ、あんたは休んでな」

「もともとあんたの仕事じゃないし」

「あたしがやっておくから……」


 菊花(きっか)牡丹(ぼたん)撫子(なでしこ)の同部屋三人衆も、これまでと態度を変えた。

 面倒ごとは全部水蘭へ押しつけてきたはずが、遠慮するようになった。

 必要以上の会話を避け、意地悪も言ってこなくなったのだった。


(顔を合わせれば文句や悪口ばかりだったのに……新鮮)


 しかし、困ったこともあった。


「お洗濯ものはこれで全部ですか?」

「ああ、あとはこっちでやっておくから」


 他の同僚たちまで、態度がよそよそしくなってしまったのだ。


「わたしも手伝います」

「間に合ってるよ」

「では、庭の雑草でもむしってきます」

「いいから。畳み終わった敷布の数でも数えていてくれない?」


 どうでもいい簡単な作業しか頼まれない。

 なんだか申し訳なくなってしまう。


 雑用仕事が少なくなったのに反比例して、別の用事は増えた。


 青磁宮(せいじきゅう)の主である長公主(ちょうこうしゅ)から、頻繁に呼び出されるようになったのである。


 彼女は毎日皇城と屋敷を行き来する忙しい人だ。

 だから、声がかかるのは完全に長公主の気が向いた時間であり、午前中だろうと午後だろうと夜だろうとおかまいなしだった。


 使用人の立場で命令に背けるはずはなく、一たびお声が掛かれば、水蘭はただちに莉空を連れて呼び出しに応じねばならなかった。


「よく来たねえ、お前たち。もっと近くにおいで。弟には菓子をやろう」


 一段高いところに据えられた豪奢な腰掛けに座った長公主は、まなじりの皺を深めて手招きしてくる。


 彼女は齢50を超えてもなお衰えない美貌を持ち、かつ先代皇帝の長女である誇りを失わず、まさに威風堂々としている。


 親しみやすい雰囲気だった天翔の姉なのか疑いたくなるが、整った面持ちには共通点があった。


「ほうら、遠慮しないで取りにおいで」


 水蘭は恐縮しきって一歩進み出る。

 長公主の脇に控えていたこれまた美人な中年女性が、高坏に乗った焼き菓子を差し出してきた。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて弟の分だけいただきます」


 月見団子のごとく山盛りの菓子から、一番上の花型に焼かれたものをひとつ手に取り、隣の莉空に渡す。


「ここで食べよ」

「はい、ありがとうございます。莉空、いただきなさい」

「……」


 戸惑いながらも、拒否できない空気を感じたのだろう。

 莉空は小さな口で端っこからちまちまと食べ始める。



(かわいい……!)



 弟煩悩の水蘭はついつい頬をほころばせて、それを眺めてしまう。


 ところが、莉空の小動物のようなかわいさに参っているのは水蘭だけではないのだった。


「誠に綺麗な子供だ。同じ屋敷におりながら、なぜ今まで気づかなかったやら」


 肘掛に頬杖をついた長公主が、不躾な視線を莉空へ送っている。

 傍に控える侍女たちはそれを、なまあたたかいまなざしで眺めていた。


「恐縮でございます……」


 褒められるのは嬉しいはずなのに、どこか引っ掛かる。


(いつもお会いすると莉空の見た目を褒めてくださるけど、なにか裏があったりしないかしら)


 黒髪黒目がほとんどの白陶国(はくとうこく)において、金髪緑目の莉空はやはり目立つ。

 両親と田舎に住んでいた頃は知らなかったが、都には見世物小屋があり、こういう毛色の変わった人間を捕えて金儲けの道具にする輩もいるのだった。


(さすがに長公主様のような貴人がそんなことをなさるはずはないけど)


 国一番のお金持ちだといっても過言ではない彼女が、そのような下卑た金儲けをしようと企むはずはない。

 純粋に、自分の屋敷の使用人をかわいがってくれていると思いたい。


(そういえば天翔様も、皇帝だというのにすごく親切にしてくれたわ)


 二人は年の離れた姉弟である。

 似たような性格だったとしてもおかしくない。


 そんな長公主が、突然耳を疑う提案をしてきた。


「弟に馬を習わせてはどうか?」

「は……、馬、ですか?」


 目を白黒させて繰り返すと、長公主はおおらかにうなずく。


「ゆくゆくは馭者(ぎょしゃ)にしてやってもよいぞ。わらわの車は蒲で車輪を包んだ最新型の安車蒲輪という。まったく揺れない素晴らしい乗り物だ。その馭者ともなれば、都中の憧れの仕事であるぞ」


「……っ」


 水蘭も仕事中にその車を見かけたことがあった。


 最新鋭の技術を持つばかりではなく、見た目も華やかに飾りつけられており、走り出すと日除けのすだれに縫いつけられた幾千の鈴がしゃらしゃらと鳴って、神様の乗り物のようなのだ。

 道行く人々は憧れのため息をつき、車が通りすぎるまで足を止めてそれを眺めるという。



(そんな花形の仕事を、莉空が……!?)



 性格は引っ込み思案で体格も小柄で、年齢よりも幼く見える莉空だが、今年で12歳になる。

 それは水蘭が青磁宮で働き始めた年齢と同じだ。


 本音ではいつまでも子供扱いして水蘭の懐に入れておきたいが、そろそろ莉空にもふさわしい仕事や生き方を探してやらねばならない。


(この上なくありがたいお話だわ。大出世よ。迷っている場合じゃない)


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