回想
【第19話】
『莉空!? いない……どこへいったの?』
まだ子供だった水蘭には、慌てて家へ戻って両親に助けを求めるくらいしかできなかった。
『川で莉空がいなくなっちゃったの!』
父は血相を変え、家を飛び出した。
普段は外へなど一歩も出ない母ですら、この時は現場へ同行して、莉空を探した。
怖ろしい記憶は途切れ途切れだが、明確に覚えているのは――
びしょ濡れで息をしていない莉空を、母が抱きかかえている姿だ。
――母は、あのときも歌っていた。
緑色に輝く瞳からは滂沱のごとく涙を流しながら、常以上に声を張り上げていた。
『――……』
(お母さん……?)
興奮していた水蘭の目の錯覚か、それとも夕陽の乱反射かわからない。
母の周りには蛍が飛ぶような神秘的な光がぽわぽわと浮かんで……すべて莉空の身体へ吸い込まれていった。
やがて、莉空は息を吹き返した。
『奇跡だ! よかった』
父は喜んだ。
だが、すぐにどん底へ突き落される。
今度は入れ替わりに母が倒れたのだった――。
(お母さん……)
過去を思い出した水蘭は、胸の奥がぎゅっと絞られて苦しくなった。
川で溺れたらしい莉空は奇跡的に助かった。
だが、なぜか母がまるで身代わりになったかのように倒れてしまったのだ。
今思えば、きっと母は、なんらかの持病を抱えていたのに違いない。
健康そのものに見えたのに父が一歩も外へ出さなかったのは、そういう理由があったのだろう。
その後、母は昏睡状態に陥って、そのまま還らぬ人となった。
(わたしが、しっかりしなかったから)
もっとちゃんと莉空を見ていれば。
手をつないでいれば。
溺れた莉空を水蘭が助けられたなら。
きっと病気だった母をもっと気づかえていたのなら。
後悔しても母は帰ってこない。
もともと娘に大した関心のなかった父だったが、その日から疎まれるようになった。
面と向かって罵倒されたり暴力を振られたりしたわけではない。
だが、無言の憎しみをぶつけられた。
(わたしのせいでお母さんは死んだ。だから、当たり前だ)
水蘭の心はひりついた。
けれども、唯一莉空だけは、あんな目に遭ったにもかかわらず水蘭を慕ってくれた。
『水蘭、大好きだよ』
幼い手に手を握られると、心臓まで鷲摑みにされるようだった。
愛おしさが募った。
(もう二度と失えない……!)
草藪をかき分けて姿を探す。
もしかしたら、水蘭の帰りが遅いのを心配して外へ出たのかもしれない。
不安が胸の中で暴れ、皮膚を突き破って爆発しそうだった。
居ても立っても居られず、やみくもに走り出す。
「水蘭! どうした」
誰かに腕を摑まれた。
水蘭は無茶苦茶に暴れて振りほどこうとする。
「放して! 莉空を探しにいかなきゃ」
「いないのか?」
水蘭の両肩を押さえるようにして問いかけてくるのは、天翔だった。
気づけば水蘭は門前まで来ていたらしく、彼はまだ皇城へ帰る前だったようだ。
「詳しく教えてくれ。弟は門の外へ出ていったのか?」
一点の曇りもないまっすぐな瞳で見つめられると、急に心細さが喉元を突き上げてきた。
声が震える。
「わからない」
「ならば落ち着け。子供が外へ出たかどうかは屋敷の者に訊いてやる。邸内にいる可能性もあるんだろう?」
言うなり、門衛を呼び止める。
水蘭に対する砕けた物言いとは打って変わり、貴人めいた口調できびきびと命令を出す。
話を終えてから、再び水蘭と向き直った。
「少なくともこの門を出てはいないそうだ。他の門衛からもすぐに報告が届くだろう。ところで、そなたの弟はよく屋敷を抜け出したりするのか?」
「いいえ」
「ならばやはり邸内にいる可能性が高い。建物の中はもう探させている。俺たちは庭を探そう」
(俺たち……?)
まさか皇帝陛下本人が一緒に探してくれるつもりなのだろうか。
驚いて棒立ちになっていると、手が握られる。
「っ!」
莉空の小さな冷たい手とは違う。
あたたかくて頼りがいのある大きな手だった。
「……」
黙って手を引かれるまま、水蘭は庭をさまよった。
脚がもつれても、よろめいても、彼の手が支えてくれるから転ばずに済んだ。
「いつもはどこら辺にいることが多い?」
「西の使われていない庭です。でも、そういえばこの前……変なところに」
南の庭に通じる外れの、温室近くにうずくまっていたのを思い出した。
告げると、天翔の脚はそちらへ向かう。
と、彼が草藪の奥を指さした。
「あれは!」
つられて水蘭もそちらを振り仰ぎ、はっと瞠目する。
「きゃあっ、莉空!」