魔よけの翡翠玉
【第12話】
どんな美麗な品物も頑なに受け取らない水蘭に、皇帝は眉をひそめてうなった。
(いけない。気を悪くされたかしら)
水蘭は、両手をばたつかせた。
彼のおおらかな空気が、貴人に対する緊張感をやわらげ、無遠慮な物言いをしてしまったかもしれない。
「お気持ちだけで十分ありがたかったです。綺麗なものを見せてくださって幸せでした。明日からも仕事を頑張ります。今日はありがとうございました」
不興を買う前に早く切り上げたい。
深々と頭を下げて話を終わりにしようとすると、皇帝もまた慌てたふうに進み出てきた。
「待て。ではせめてこれを」
帯を探り、小指の頭ほどの小さなものを取り出した。
「あ……」
淡い緑色の玉だ。どこかで見たことがある色だと思ったら――莉空の瞳の色とよく似ていた。
思わず、手を伸ばしてしまう。
手のひらに置かれたそれには、ぼんやりとしたぬくもりが宿っていた。
「これは魔よけの翡翠玉なんだ。そなたを守ってくれる」
「魔よけ……」
心惹かれて目を近づける。
楕円の玉の真ん中に、小さな掘り込みが施されていた。
なんの装飾だろうと目を凝らす。
(動物……?)
二頭身の動物の姿だ。
頭の上には二本の角、目は三角に吊り上がり、口は異様に横に広く、奇妙な曲線の端には上向きの鋭い牙が生えている。
――怪物である。
「ひっ」
(正直に言って気持ち悪い!)
摘まんでポイしたくなる。
だが、魔よけとは本来そういうものだと思い返す。
節句には怖い武人の掛け軸を飾ったり、仏像にも憤怒の表情が怖ろしいものがあったりするのと同じだ。きっと。
(魔物も裸足で逃げ出す怪物ってことね……)
そう考えてみると、悪くないかもしれない。
(莉空の瞳の色をした魔よけ)
弟を守ってくれる気がして、手放しがたくなった。
「いいのですか……?」
それでも一応、いただく前にもう一度尋ねる。
皇帝はおおらかにうなずいた。
「もちろんだ。もらってくれないと、俺も引っ込みがつかない」
「でしたら、いただきます。ありがとうございました」
礼を述べると、皇帝は満足げにほほえんだ。
なんだかよくわからないが、これで水蘭は解放されたのだった。
部屋へ戻ると、莉空の姿がない。
「すみません、お姉さまがた、莉空がどこへ行ったか知りませんか?」
布団の上で身を寄せ合っていた菊花たち三人組が、にやにやと見上げてくる。
「知らない。いたことにも気づかなかったし」
「それより、さっき大きな男が訪ねてきたよ」
「あんたの男? 趣味悪いね」
そして、三人して声を立てて笑う。
思い当る人物が見つからない。きっと菊花たちの嫌がらせだろう。
そんなことより莉空だ。
もう日が暮れるのに、どこへ行ってしまったのだろう。
居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出した。
「莉空ー? どこにいるの? 返事して」
庭へ下りて少し進んだところで、物陰から、すっと莉空が現れる。
「やだ、びっくりした。脅かさないで。心配したんだから」
莉空はうつむいたまま、ぼそりと言う。
「長公主様の呼び出し、なんだったの」
「ああ、それは……なんだろう。皇帝陛下の慈善事業的な活動?」
「え?」
「長公主様はいらっしゃらなくて、皇帝陛下が待っていたのよ。それで、これをくれた。魔よけのお守りだっていうから莉空にあげる」
小さな翡翠を取り出して莉空に差し出す。
改めてみると本当に綺麗な色つやをしている。
(彫刻は奇妙な怪物だけれど)
莉空は受け取ろうとして手を出し、はっとして引っ込めた。
「その色……水蘭の」
「ん?」
「……僕は、いらない。だってそれは、水蘭のだから」
(わたしの?)
たしかに皇帝は水蘭にこれをくれた。
そこが引っ掛かるのだろうか。
「遠慮しなくていいのよ。わたしのものは莉空のものでしょう。同じよ」
「違う。全然」
それきり、莉空はそっぽを向いてしまう。
(ほんとうにいらないみたい)
これでは不用品を押しつけているみたいだ。
水蘭はしぶしぶ手を収めた。
すると、莉空は聞こえるか聞こえないくらいの声でつぶやく。
「お守り。水蘭を、守って」
「やだ、なに急に?」
「別に。……お腹空いた」
「ふふ、朝あんなに食べたのにね。ご飯にしましょう」
玉を帯のあいだにしまい、かわいい弟の手を握る。
莉空の小さな手は、夕風に冷やされてひんやりとしていた。