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学年一××が上手い女の子が首を絞めてくる  作者: 羽田宇佐
調子が悪いし、あいつが悪い
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 今日はそれなりに良い日だと思う。

 目が早く覚めたし、英語の小テストがそこそこ良い点数だった。


 昨日、寮で美空と話してから気持ちが切り替わった。


 私は黒板を見て、ノートを取る。

 今日は、白い紙に並んだ文字がいつもの五倍綺麗に見える。

 これならピアノも昨日よりもっと上手く弾けそうな気がする。


 機嫌良く先生の声を聞いていると、世界史の授業があっという間に終わりに近づく。田中さんが宿題のノートを集めて職員室に持ってくるように先生から言われているが、私には関係ない。ノートは教卓の上に置くようにと言われたから、田中さんにかかわらずに済む。


 昨日の夕食のメニューはロールキャベツのままでステーキになったりはしなかったが、田中さんとは離れた席に座ることができた。彼女のことは気になるが、必要以上に近づかなければどうということはない。こちらから近づかなければ彼女から近づいてくることがないのだから、平和に暮らすことができる。


 起立、礼、着席。

 田中さんではない日直の声が響いて、授業が終わる。


「倉橋さん。田中さん、手伝ってあげて」


 教室から出て行こうとした先生の口から私の名字が飛び出して、思わず「えっ」と大きな声がでる。


「倉橋さんのペンケース、先生の今日のラッキーカラーだから。お願いね」


 私を選んだ理由らしきものがにこやかに告げられ、机の上の青いペンケースをまじまじと見る。


「お前のせいか」


 ぼそりと呟くと先生に聞こえたのか、追加で声が飛んでくる。


「文句言わない。早くする」

「はい」


 おのれ、ペンケース。


 という言葉はごくりと飲み込んで席を立ち、ノートを持って教卓の前へ行く。積み上がっているノートの山の上、自分のものを一冊加えて田中さんの隣に立つ。


 教卓にできた紙の山は、ノートを持ったクラスメイトが入れ替わり立ち替わりやってきてあっという間に全員分が集まる。田中さんは、唇が糊でくっつけられているみたいに一言も発しない。私の唇も動かない。


 人数分のノートが集まって、私たちは教卓にできた山を半分こにして職員室へ向かう。


「なんであんたと一緒にノート運ばなきゃなんないわけ」


 廊下の端を歩きながら田中さんに文句を言う。


「この前から気になってたんだけど、私、田中だから」

「は?」

「あんた、じゃなくて、田中。あと文句あるなら先生に言ったら」


 私のほうを向くことなく淡々と田中さんが言って、歩く速度を上げる。


「言えるわけないじゃん」

「倉橋さん、度胸ないよね。キャンキャン吠えてるだけじゃ意味ないと思うけど」


 普段、黙って座っているからわからなかったが、田中さんは口が悪い。言葉にいちいち棘がある。しかも、感情的な言葉を冷たい声で言うから少し怖い。


 感情が伝わってこない声で人の感情を逆なでするなんてわけのわからない技術は、生きていく上でまったく役に立たないと思う。どうせなら、その技術を田中さん自身に活用して、もう少し感情的に物を言ったほうがいい。


「あん、た――なかさんって、なんでピアノやってるの?」


 感情が本当に欠落しているのか、感情表現が下手なだけなのかわからないが、田中さんは楽しそうに音楽をやっているように見えない。そんな彼女がどうしてピアノを弾き続けているのか気になる。


 ほんの少し。

 本当に少しだけ気になる。


「才能あるから」


 一番つまらない答えが返ってくる。


「普通、そういうこと自分で言う?」

「言ってもいいくらいだと思うけど」


 彼女の自信は根拠のないものではない。

 確かに才能があるし、認められている。

 でも、言わずにはいられない。


「正確に速く弾けるだけじゃん」


 白鍵だけの世界になったような均一な世界を作り出す田中さんのピアノは、白すぎてその向こうになにか色があっても見えない。白すぎる彼女だけの世界は少し寂しくも思える。なにかを感じさせるのだから、ただ正確に速く弾いているだけではないはずだ。そう思うが、わざわざそれを本人に伝えたいとは思えない。


 それでも、今のは言い過ぎだった。


 唇に糊をして封をしておくべきだったと思うが、口から飛び出た言葉はもうなかったことにはできない。感情的な自分を反省した昨日の私は、田中さんと話している間にどこかに消えてしまった。


「そうだね。でも、そういう才能も磨けば需要があるんじゃないの。正確に間違えることがない完璧なピアノを聞いてみたいって人もいるだろうし。世の中、需要と供給だよ。聴きたいと思う人がいなければ意味がないし、聴きたいと思う人がいれば価値がある」


 田中さんが一気に喋って、さらに歩く速度を上げる。


「そうかもしれないけど。やっぱり気持ちって大事だし、私はただ正確なだけのピアノを聴きたいと思わない」


 私の言葉に田中さんの足が止まる。

 言ってはいけないことを言ってしまったような気がして、心臓がぎゅっと縮んで息苦しくなる。


 感情的になるのは良くない。

 わかっているのに、止められなかった。


「人にはできることとできないことがあって、私はできないことをしないだけ。それに、倉橋さんは聴きたいと思わなくても他の人は違うかもしれない」


 田中さんが振り向いて私を見る。

 表情が変わっていなくてほっとする。

 でも、本当になにも変わっていないのか自信がない。


 どんな人にも心はある。

 ただ、心は見えない。

 彼女に変化があってもわからない。

 田中さんの気持ちが白すぎて見えない。


「自信ありすぎ」


 なにを言うべきかわからなくて、つまらない言葉を口にする。


「それだけ練習してるし、倉橋さんより練習してる自信ある」


 雑音だらけの廊下、田中さんの声が耳に響く。


 彼女の言うことはもっともで、練習をしていなければ正確にピアノを弾けるわけがない。ミスしないことは基本だけれど、その基本を守ることは難しい。そして、人はミスをする。そのミスをなくそうと思ったら、気が遠くなるほど練習しなければいけないはずだ。


 だが、言い方が気に入らない。

 どこに私よりも練習しているなんて言葉を付け加える必要があったんだ。


 私の才能を妬んで首を絞めたとか、田中さんはいちいち人の神経を逆なでしてくるから、一緒にいると内臓がぐるぐる回って腸捻転を起こしそうなくらい腹が立つ。

 傷つけた、なんて思った私が馬鹿だった。


「田中さん、いちいち失礼だよね。謝りもしないし」


 私は廊下をキュッと鳴らし、止まっている彼女を置いてけぼりにするように歩き出す。


「昨日言ってたコンクール、倉橋さんが私より成績良かったらこの前のこと謝るし、失礼なことは言わないけど」


 冷たい声で言うと、田中さんが私を追い越して前を歩く。


「なにそれ。ピアノは勝負するものじゃないし、コンクールに出るなんて言ってない」

「勝負するものじゃないけど、学校でもコンクールでも順位が出る。そういうものでしょ、ピアノって。それにそう言いながら、倉橋さんもコンクールに出るんでしょ」

「出ない」


 はっきりと言って、廊下をキュッキュッと鳴らして歩く。


「倉橋さん。私に謝ってほしいなら、コンクールに出て勝負すればいい。コンクールに出もしないでぐだぐだ言ってても説得力ないから」


 腹が立つ。


 感情的にならないほうがいいとわかっているけれど、廊下をダッシュして校内を走り回りたいくらい腹が立つ。全力ダッシュで校内を駆け回ったら階段でつまずいてコロコロと一番下まで転がり落ちそうな運動神経だから実際にはしないけれど、田中さんの首根っこを掴んで一緒に階段から転がり落ちてやろうかと思うくらいには彼女に腹が立っている。


「倉橋さん、急いで。授業間に合わなくなる」


 振り向きもしないで田中さんが言う。

 言い過ぎたかもなんて、心配して損した。

 彼女とは相性が悪い。

 それでもノートは職員室に届けなければならないから、私は歩くスピードを速めた。

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