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曲がりうる信念




 ーーどんなに窮地に立たされたとしても、自分の信念だけは曲げたら駄目。そこ崩したら人間終わりなんだよ。



 私の幼いころからずっとそう言っていたお婆ちゃんが、先日自分の信念を曲げた。生きとし生ける人間を宝石に変えちまうだなんてとんでもないと糾弾していたお婆ちゃんが、なんと自分を宝石にしなさいと訴え始めたのだ。

 ついにボケが始まってしまったのかと悲観したが、どうやらそうではないみたいだった。



「お金がないと生きて行けないんだよ」

「そんなこと知ってるよ。どうしたのよいきなり」

 私が宝石島の施設で働くと告げたとき、猛反対していたくらいだったのに。どういう風の吹き回しなのだろう。


「だから、お金がないと生きて行けないんだよ」

「分かってるって。おんなじこと2回も言わないで」

「腹の中の赤ん坊の養育費は誰が出す? 逃げた男の行方は知れないんだろう」

「もううるさいな。私仕事だから」

「しっかしとんでもねえ男だ。私よりあんな奴が宝石にされた方がいいのかもね」

「うるさい!」

 妊娠したこと、言わなきゃよかった。私は逃げるようにして家を飛び出した。





 生まれたときから祖母との2人暮らしで、ずっと細々とやってきた。丁寧な暮らしなんて知らない。金なんてどこにもない。それでもお婆ちゃんは悪事に手を染めることもなく、真っ当に働いて私を育て上げてくれた。そんなお婆ちゃんが、どうして。自分を宝石にして、換金しろだなんて。




 『宝石島』。犯罪者とか犯罪者っぽい人を集めてから化学反応で宝石に変えてしまうという、頭のおかしい島。そしてその宝石を見せしめに空からバラまいている、もっと頭のおかしい島。

 就職先にここを選んだのは、誰もやりたがらない仕事で、この地域にしては給料が良かったから。じゃないとこんな場所に誰も近づくわけがない。先日、所長のコネで中学生2人が施設見学に来たらしいけど、普通に頭おかしいだろ。倫理観どーなってんの。


 私の子どもは、真っ当に育つといいな。まだ膨らんでいないお腹をさすってから、作業着に着替えて現場へと向かう。




 醜い人間から綺麗な宝石が出来上がるまでには多大な工程を要するし、部署によっては肉体的にも精神的にもかなりハードな仕事となる。高カリウムを静脈注射して材料の心停止を行う部署。使いものにならない部分を切開して取り除いたり、血液を抜く部署。なおフレッシュなものはパックされ輸血用に回される。これらはれっきとした医療行為となるため、医師や看護師の免許保有者じゃないと務まらない。


 あとは、暴れないよう処置前にメンタルケアを行う部署。そして一番大事な、化学反応で宝石に加工する部署。私はここにいる。入職当初は独占な臭気とあまりにも異様な光景に吐き気を催しながら辞めたいと何度も思っていたが、何体もの材料と対面しているうちに、すっかり感覚が麻痺してしまった。放っておけば腐りゆくであろう材料が次々と綺麗な宝石に変わっていく様は、程々にやりがいを与えてくれる。



 簡単な仕事だ。今日もいつも通り材料たちを薬品プールに漬けこんで、あとは適宜様子を見たりして、休憩が来るまで暇しているはずだった。




「すごく臭いね。宝はこうやって作られていくんだね」

 作業場に、いるはずのない声が響いた。枯れかかった、もう何万回と家で聴いてきた馴染みある声。

「お婆ちゃん! なんでここにいるの!」

 私の叫びに同僚たちが手を止めて注目するが、そんなのお構いなしに私は取り乱し続けていた。一気に詰め寄って詰問する。

「どうして! ねえどうして! どうやって入ってきたの! ねえ!」

 お婆ちゃんは怖いほど平然としていた。笑顔まで浮かべているではないか。


「所長に話をして通してもらったんだよ。孫の働きぶりがみたいって言ったら、なんなく許可してくれたさ」

 あの野郎余計なことを。胸の奥で毒づきながら私は懇願する。

「ねえもう分かったでしょ。ちゃんと働いてるって。だから帰って。出口まで送るから。ここはお婆ちゃんみたいな人が来る場所じゃない」

「何言ってるの。お婆ちゃんを宝石にして金にしなさい、って先日言っただろう。今日はそれをさせにきてもらったんだよ。お婆ちゃん、覚悟はできているんだ」


 駄目だ、緊迫が空回りして会話のペースが噛み合わない。

「何言ってるの。正気に戻って。昔のお婆ちゃんに戻って。『自分の信念曲げたら終わり』ってあんなに言ってたじゃない。宝石島のことだってあんなに嫌ってたのに」




 途中でお婆ちゃんに名前を呼ばれて、反射的に私は口をつぐんでいた。お婆ちゃんの言葉には、いつもずっしりとした重みがあった。それは今もだ。

「綺麗事だけじゃ、人生生きて行けないんだよ。うちはもうどうしようもない。こうは言いたくないけどね……世の中、金がないと困るんだ」

「そんなの……私の稼ぎで……」

「こないだあんたの給料明細を見ちまった。悪いけどね、あんなんじゃちっとも足りないよ。それに産休中はどうする。いいか、子育てを甘く見るな」



 だから…………。そこで言葉を切ったあと、お婆ちゃんは近くのプールに向かって歩き出した。あそこに生きたままの人間が飛びこむなんて、前代未聞だった。



「やめて!」

 千切れそうな声を上げていた。もはや悲鳴に近かった。腰が抜けて、その場にへたりこんでしまった。結局他の同僚らが慌ててお婆ちゃんを取り押さえ、最悪の事態は免れた。


 たまたま床に投げ捨てられていた、余りの生身の部分が視界に入った。お婆ちゃんとそれを交互に見比べたとき、麻痺してずっと心の奥底に閉じこめていた感覚が一気に内側から襲いかかってきた。全身が不規則的に震撼して動けない。



 私は、なんてことを…………。



 取り押さえられたお婆ちゃんの目は、獲物を取り逃がした肉食獣のようにギラギラしていた。その真っ直ぐな目は死に飢えていた。優しくて、誠実で、大好きなお婆ちゃん。こんなお婆ちゃんは見たことなかったし、見たくもなかった。



 望まないで宝石に変えられてしまう人たちがいる一方で、自ら望んで宝石になりたがる人もいる。


 私のせいだ。私がこんなところで働いてさえいなければ、きっとお婆ちゃんがおかしくなることなんてなかった。震えは収まったが、色々な理由で涙が止まらなくなっていた。


 こんなところにいたら、皆おかしくなる。



 突発的に作業着の帽子を投げ捨てて、無理やりその手を取っていた。

「辞める。だから帰ろう、お婆ちゃん」

「駄目だ」

「駄目じゃない!」

 突き抜けるような怒号に、お婆ちゃんは目を丸くしていた。呆気にとられて戦意を喪失したようだった。



「駄目じゃない。私だって、信念曲げたくない。お婆ちゃんと私と子どもを守るためだから……」

 ドン引きしている作業員たちを尻目に、お婆ちゃんの手を取ったまま3人で出口まで駆け抜ける。駆けこむようにしてエンジン付きの船に乗りこんだ。お婆ちゃんはずっと無言だった。私も目を腫らしながら、無言でハンドルを握っていた。海の上には容赦なく宝石の雨が降り注いでいた。屋根に当たってコツンコツンと音を立てる。ええい鬱陶しい。ちっとも魅力的じゃない。一気に加速して地元を目指した。


 しばらくして、お婆ちゃんが口を開いた。あんたの行為は社会的には許されないが、それでもあんたの信念は貫かれた、と。きっと腹の中から、その勇気を子どもも見届けていただろう、と。




 陸に着くまでに、雨は晴れていた。

「すまんかった」

「いいよ。私も、ごめんね」

「無事に生まれるといいなあ」

「そうだね」

 お婆ちゃんも私も同じ顔で笑っていた。


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