36話
スザンナ夫人の見舞いに行った。夫人は俺達のナニーだった。今は屋敷を下がって、郊外の村で一人暮らしをしている。俺とグロリアにとっては第二の親と言うべき存在だ。グロリアは律儀にも、王太子に「一緒で無くても外出して良いか」聞いていた。流石の王太子も、そんな人物の見舞いなら、許可せざるを得ない。
「本来なら、俺も一緒にお見舞いにいくべきなんだろうが、叶わない。よろしく、伝えておいてくれ。」
何故、行く必要があると思うのか。
見舞いの帰りの馬車の中で、グロリアが雑貨屋に寄りたいと言い出した。王都で人気の雑貨屋だ。ナタリー嬢とカーライル嬢が行ったのに、自分だけが行けなかったのが悲しいらしい。「王太子と一緒じゃなければ、外出禁止じゃなかったのか?」と兄上が揶揄う。
「そうだけど、、、ナタリーもマリアンナも、すっごく楽しかったって。マリアンナはかわいいしおりを買ってたし、ナタリーはちっさな木彫りのリスを買って、カバンにつけてる。」
グロリアは口を尖らせる。したいけど、叶わない時の、小さい頃からの癖だ。
「ううん、やっぱり、いい。行かない。だって、アーサー様が言っちゃダメって、仰ったもの。アーサー様も、お外に行けないから、私も行かない。我慢する。ナタリーが三人お揃いの、ペン立てを買ってくれたし。」
兄上が微笑みながら、グロリアの頭を撫でた。
「そうだな、遠回りになるが、今日は雑貨屋の前を通って帰ろう。早く、外出禁止が解けるといいな。」
兄上が御者に合図を送り、道を変更させる。グロリアは窓の外を見ている。雑貨屋が近づくにつれて、道が混みだしたようだ。それだけ、人気なのだろう。
嬉しそうに外を見ていたグロリアが、突然、カーテンを閉めて、嫌そうや顔をする。
「どうしたんだ?もうすぐ、雑貨屋なんじゃないのか?せっかく、店の前を通るのに。」
俺が聞くと、人差し指を口に当てて「シー」とグロリアがした。それから、窓の外を指差し、手を交差させてバツ印を作る。カーテンに手をかけると、グロリアが俺の袖を引っ張って首を横に振る。カーテンを開けるな、ということだろう。どうしたんだ?何があるんだ?せっかく、雑貨屋の前を通るのに。
馬車が止まる。どうやら道が混んでいて、前に進めないらしい。多分、ちょうど、雑貨屋の前あたりだろう。何でグロリアはカーテンを開けないんだ?なのに、カーテンで見えない外を凝視している。
その時、コンコンと馬車のドアを叩く音がした。グロリアの体と表情が強張り、窓の外を睨んでいる。
「ギル様〜、ミッキー様〜、開けてくださ〜い。一緒に雑貨屋に行きましょうよ〜。」
聞きたくない声だ。
「ねえ、いるんでしょう?」
兄上も窓の外を凝視する。
「お嬢さん、危ないですから、離れてください。馬車を進めますから。」
御者の声だ。
「はあ、何言ってるの?中の人に用があるのよ。」
ない、俺もグロリアも兄上も、お前に用事なんかない!
「危ないですから、どいてください。怪我をしますから。」
「だから、中の人に用事があるって、言っているでしょ!」
ガチャガチャと音がする。ドアを開けようとしているようだ。中から鍵をかけてあるのに、ドアが開いてあの女が入って来るという恐怖に襲われる。
「おい、何をしてるんだ!」
途端に音が止んで静かになった。同時に、走る足音がして、遠ざかる気配。
御者と誰かが話す声がする。兄上がそっとカーテンを少し動かして外を見る。それから、カーテンを開けた。外に警邏の騎士がいた。兄上がドアを開けて、外へ出る。
「大丈夫ですか?ドアを無理矢理開けようとした者がいましたが。お名前を呼んでいたようですが、何か、お心当たりが?」
「いえ、頭のおかしな者の仕業でしょう。そうでなければ、公爵家を嫌っている者か。どちらにしろ、未遂に済んでよかったです。では、これで。」
と言って、まだ、何か言いたそうにしている警邏の騎士を遮って、御者に馬車を出すように合図した。
グロリアが俺の手を握った。俺も、心臓がバクバクしている。何で、あの女が雑貨屋のところにいたのか?俺達が今日スザンナ夫人の見舞いに行く事は、グロリアが教室で話していたので知っていたかもしれない。けれど、雑貨屋の前を通って帰る事は、帰りの馬車の中で決まったので、絶対にわからないはずだ。スザンナ夫人のフラットと雑貨屋は公爵邸を挟んで反対位置にある。馬車は紋章が付いているので、公爵家のものだとはわかる。たまたま、あの女も雑貨屋に来ていたのだろうか?単なる偶然なのだろうか?