プロローグ
よく、晴れていた。
俺とグロリアは早めの昼食のあと、先日仕立てたばかりのよそ行きの服に着替えさせられた。子供はすぐに大きくなる。だからいつもは少し大きめに仕立てるのに、今回はピッタリに仕立てられていた。
グロリアは出かける時にはいつも持つ、斜め掛けのバッグを持って行きたがった。きれいな小鳥の刺繍がしてある、お気に入りのバッグだ。その中には色とりどりのドロップの入った小瓶が入っている。しかし、置いて行くように言われた。置いて行くことに同意はしたものの、納得がいかないのか頬が少しふくらんでいる。
馬車に乗った。伯父上でさえ滅多にのらない、この家で一番豪華なやつだ。もちろん、俺とグロリアは乗ったことがない。俺とグロリアは並んで座った。向かい側の伯父上は少し楽しそうな、それでいて少し残念そうな複雑な顔をしていた。
昨日の夕食後、「明日、大事な用で出かける。昼過ぎに出発する」と伯父上が言った。どこに行くのか、何しに行くのか、聞いても教えてもらえなかった。「用事の途中で眠たくなったらいけないから」と、いつもより少し早めにナニーのスザンナ夫人にベッドに押し込まれた。
まだ、眠たくない。今日は「怪我をしたらいけないから」と、外で遊ばせてもらえなかった。仕方ないので、グロリアと一緒に本を読んだり、絵を描いた。もちろん、勉強と音楽の練習もした。「上手にできました」と先生に褒めてもらった。
いつもは行き先も用も教えてもらえるのに今回は教えてもらえない、なんでだろう。いったいどこに行くのだろう、何しに行くのだろうと、急に不安になった。コンコンと小さなノックのあとドアが開いて、グロリアが覗いた。俺は手招きした。
眠れない時、グロリアはよく俺の部屋に来る。そして一緒のベッドで手を繋いで寝る。「男の子のギルベルト様と女の子のグロリア様は一緒のお部屋で寝てはいけません。まして、同じベッドなんて!」とナニーのスザンナ夫人は怒る。伯父上は苦笑しながら「まあ、まだ子供だから。それに、兄弟と一緒だし。そのうち、一緒に寝なくなるよ」といつも夫人を宥めた。
ベッドに入ってから、
「明日、売られちゃうのかな?」
不安そうにグロリアが言う。一週間前、教会にボロボロの子供が保護されたのだ。「お前は悪い子だからいらないって、売られたんですって」と参列者が話していた。二人とも身に覚えがあった。厨房のクッキーをつまみ食いしたのだ。
見れば、グロリアは泣きそうだ。
「大丈夫だよ、売られたって。二人一緒ならなんとかなるよ。それに、売られる前に教会に逃げちゃえばいいんだよ。」
「そうだね。売られる前に逃げちゃえばいいよね。ギルと一緒なら、売られても大丈夫だよね。」
それから、二人で手を繋いで寝た。
翌朝、同じベッドで寝ているところをスザンナ夫人に見つかって二人とも怒られた。でも、悪い子だから売りに行く、という話は出なかった。そのかわり、「こんなことでは将来が不安でたまりませんわ!公爵家の令嬢と辺境伯の令息なのに」とぶつくさ言っていた。伯父上は相変わらず、苦笑していた。
しばらくすると、伯父上は目を閉じた。考え事をしているようだった。何を考えているんだろう。不安でたまらない。馬車の中で俺もグロリアも口をきかなかった。きけなかった。ただ、ギュッと手を繋いでいた。こうしていると、安心できた。たとえ全世界が敵になっても、グロリアと一緒なら大丈夫だと信じられた。
俺とグロリアは生まれた時から、とは言わないが、物心ついた時には一緒だった。俺の母はエルメニア王国のノーザンフィールド公爵の令嬢だった。伯父上の妹だ。長じて異国であるヴェストニア王国のアルトドラッヘン辺境伯と結婚した。辺境伯には先妻との間に二人の男児がいた。ただ、先妻は騎士の娘で貴賎結婚だった。俺が生まれた頃には貴賎結婚の法は無くなっていたが、納得していない貴族も多かった、母や伯父上は辺境伯の地位には興味はなかったが、周りもそうでないとは言い切れない。お家騒動の火種になりかねなかった俺は、長旅に耐えられるようになってすぐに、伯父上のところに送られた。
伯父上には俺と同い年の娘がいた。グロリアだ。グロリア一人しか子供がいなかった。何故ならグロリアの母親は出産時に亡くなってしまったから。だから、グロリア嬢と結婚して公爵家を継がせる、と誰もが考えただろう。俺の実家、ローゼンリッター家とグロリアのブルーローズ家は昔から婚姻を結んでいた。それぞれの王家との婚姻よりも多い。王家との婚姻がというよりも、他家との婚姻の方が少ないのである。誰が継いでも血の濃さはそうかわらないのだ。現にブルーローズ家の先代公爵夫妻は両従兄弟婚だ。ローゼンリッター家の先代当主もそうだ。
しかし、なぜ、両王家はこの外国との婚姻に文句をつけないのか?理由は明白である。ローゼンリッター家はヴェストニア王国の軍事力の三分の一を持ち、ブルーローズ家はエストニア王国の富の半分をまかなう。その力を失うことはできない。そしてこの両家は狭い海峡を挟んで隣り合っており、昔は橋まで掛かっていたらしい。文句をつけようものなら、二つの家はそれぞれの王国から独立し一つの国を建てるだろう。なにしろ、この両家はもともと一つの家なのだから。