一年目の学校祭 side風巻
気づいた時には土端の肩を掴み避けさせると包丁の刃を掴んでいた。これ以上振り回されては困ると思ったからだ。当たり前のことだが、刃が食い込み血がぽたぽたと溢れ、痛みに自然と眉間に皺がよった。男はあからさまに恐怖し包丁を放した。
「さ、刺すつもりはなかったんだ。お前が!前に立つから!俺が、俺、……」
俺は知っている。この感覚。目眩に似た澱みが視界を支配した。罰しろと心の奥底から湧き上がる。いつもは抑えている感情が爆発した。
掴んでいた包丁を床に落とした。真っ赤に血塗られた手で男の髪を掴むと、まっすぐ見下ろした。
「覚悟はできてんだろうな」
男の髪の根元を強く握った。男は俺の背後にこの世にいるはずもない闇を見たのだろう。あるいは現世にはいない怪物か。
「ひいいいぃい!」
男は悲鳴をあげると口から泡を拭き、その場に気絶してしまった。
「フツー脅しただけじゃ、気絶しないわよね」
元凶の土端は看板を床につけて寄りかかりながらニヤニヤと笑っていた。
「何が言いたい」
「別に。一応助けてもらったわけだし、保健室まで付き合おうか」
「わかってんだろ。いらねえよ」
さっきまでどくどくと血があふれていた手からは、一滴すら浮かばなくなっている。痛みすらもうない。俺が普通の人間ではない証だ。そしておそらく土端も同じような人間、いや。人ではないものなのだろう。ただ、俺とは違うように感じるのは気のせいだろうか。人間にはわからないだろうが禍々しさが微塵も感じられない。吐き出す言葉はあまりに辛辣で冷たいものばかりだが。
すると突然教師が慌てて走ってきた。
「大丈夫か!?風巻。お前手が真っ赤じゃないか」
教師はすぐに血まみれの俺の手に視線を向けて近づいてくる。
やばい。怪我が治っていることを見られるわけにはいかない。
そう思った矢先、土端が怪我をしていない方の手を掴んで教師の前に立った。
「怪我したみたいなので、私が保健室連れて行きます。話は後にしてください」
有無言わせず、土端は俺の手を引きながらその場を離れた。俺はしばらく引かれるままに歩いたが、人気のない廊下で手を振り解いた。
「……わるい」
「いいえ」
振り解かれたことに驚くこともなく、土端はポケットから真っ白なハンカチを取り出し紐状に引き裂いた。簡易的な包帯のような細長い布にするとまだ赤い俺の手のひらに巻きつけた。
「しばらくはこのままでいなさい。多少赤い方が怪我してるように見えるでしょ」
くるくると巻かれていく布を眺めるだけで言葉が出なかった。つっけんどんな態度だが、やっていることは手当てで、つまり俺の危機的状況をわかっていてごまかそうとしてくれているからだ。歪に巻かれたそれは土端の性格そのものを表しているようで何だか笑えた。
「なに?」
「いや、なんでも」
あからさまに機嫌を損ねた土端は、巻き終えた手をペシンと強く叩き、俺から一歩離れて向かい合った。
「どうせ先生たちに聞かれるんだから合わせましょう。男は突然暴れた。そこでアンタが包丁を掴んだ。それに怯えて男は倒れた。それを起こそうとアンタが血の付いた手で頭に触れた。そこに先生がきた。私たちは何もしていない」
「そのままだな」
淡々と告げられた言葉に言い返す理由もなく頷くだけになる。何も意見をしない俺にさらに機嫌を損ねた土端は、一つため息を吐いて、今一度俺を見つめた。
「張り合いがないわね」
「張り合ってもしょうがねえだろ。お前が正しいんだから」
「つまらない男」
フンと鼻を鳴らし笑うと土端は踵を返して職員室の方へ向かった。