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さちや その1

作者: 赤堀 まゆ

現在のタイのバンコクからチャオプラヤ川を北方に

上ったところにソンタム王(ボーロマラーチャー1世)

が治める王都アユタヤがあった。そこには日本人町が

栄えていた。


尊敬するタイ王国のみなさまのご多幸を祈りつつ。

   さちや その1


 現在のタイのバンコクからチャオプラヤ川

を北方に上ったところにソンタム王が治める

王都アユタヤがあった。日本の徳川幕府の始

まりの時代である。そこには日本人町があり

日本人傭兵隊もおり、駿府の下級武士であっ

たがアユタヤに渡り、傭兵として頭角を現し、

ソンタム王の覚えもめでたい山田長政もいた。

その配下にあって元甲賀の忍びの血筋の者が

いた。

 さちやはその娘である。さちやの母は王宮

の奥で王女に仕える下働きをしていたが、さ

ちやの父に見初められ夫婦となった。山田長

政はじめ、日本人傭兵隊あげて祝福したこと

は、この後、日本人町を待ち受ける不運を思

えば、穏やかで幸福な嵐の前のなぎの間合い

であった。

 さちやは物心がつく頃より父から忍びの訓

練を受けた。さちやは物覚えが早く忍びの道

具や武器を使う事が楽しいようであった。父

は体を鍛えることを重んじていたが、そこは

考え方を変えた。おなごである、何事も継続

してとにかく一つ一つ身に着けて行くことが

大事と判断した。小刀をはじめ多少武器が使

えるようになったころ、母が再び王宮へ出仕

した。そして、王の第三夫人の娘と共に学び、

遊ぶ役割がさちやに与えられた。


 この数年、山田長政はその武功により右に

出るものがないほどに勢いがあった。また、

日本人町自体が日本はじめ各地との貿易によ

り栄えていた。

 さちやは15歳になった。父との忍びの訓

練と王宮での王女との生活はさちやなりに納

得のいく部分もあり、また、不満もあったが、

時折、王女とともにいただく甘い菓子と、割

と率直にものを言える性格が素直な王女の人

柄に幸せをみいだしていた。

 それ以上を望むのは分不相応な事だとさち

やもわかっていた。王女と共に学び遊ぶ事か

らさちやの役割は王女の警護役に変わってい

くところであった。

 そんなある日、事件は起こった。さちやの

父は殺害された。それは、この後起きる重大

な政変の前触れであった。

作者紹介


別紙


・住所:静岡県在住

・氏名:小堀 マサユキ(コボリ マサユキ) 及び、

    小堀 ユウコ(コボリ ユウコ)

・年齢:不詳

・職業:システムエンジニア 及び、専業主婦

・電話番号:080-5407-5805

・Eメールアドレス:スマホ,kokokom0092@gmail.com

  PC, kokoko092@gmail.com

 ※連絡はスマホメール優先でお願い申しあげます。

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