生き延びる為なら変人でも構わない
「南東の国の王は変人という噂」の『変人』視点となります。
第二妃の母は私が産まれるのと引き換えに命を落としたらしい。
親無しとなった私を引き取ったのは王妃様。
あくまで身元を引き取っただけで世話をしていたのは侍女達だけど。
王妃様が私にくれたのは、罵声と蔑みと辛苦の日々だった。
「なんて陰気なのかしら、本当に目障りだわ」
「そんな事も出来ないの?」
「誰が貴女を引き取ってあげたと思ってるのかしら」
「王族として情けない」
「所詮、賎しい女の娘ね」
「申し訳ございません、王妃様」
俯いてそう応えるしかできない日々だった。
父である王は第二妃の母の事は愛していたらしいが、私には興味もないようで、声も目もかけられる事もなかった。
城にいる他の貴族や使用人からも遠巻きにされ、私はいつも一人だった。
陰鬱な日々だけが過ぎ行き、国の貴族が通う学院に入学した。
そこでだって何も変わらない。
後ろ盾もなく、王妃に虐げられるだけの王女に媚びを売る必要も、仲良くする理由もないのだから。
私は一人でただ、日々を消化するだけだった。
自らは何もしない。
特別な事は何もしない。
息をするだけの人形の様に、生きていた。
なのにーー
「アイツに言われてー」
「証拠が貴女にありまして?」
「隣国の密偵をー」
「いい気味ですこと」
「公爵様を殺したのはー」
「全部お前が悪いんだろ?」
「国家転覆を目論んだー」
「貴女には失望しました」
「遠方の領の乗っ取りをー」
「誰もお前なんか信じない」
「人身売買のー」
「お前が陛下を毒殺したんだな」
「この人に脅されてー」
「この恩知らずめが」
毒の味と刃の味、悪意と害意の温度に溺れ、血と涙の怨嗟に濡れ、呼吸一つままならない闇の底へ、堕とされた。
何故?どうして?
私は何もしていない。
何もせずに生きていた。
ただそれだけなのにーー
「お前が生きているからだ」
私の全てを終わらせる声がそう告げた。
その瞬間私は、産まれて初めて泣いた。
泣いて鳴いて哭いて哀いて啼いて。何日も暗く冷たい闇の中で泣き続けて、涙も声も枯れ果てた時にーー
「しにたくない」
ぽつりと零れた。
それが、私の大切なものだと、心だと、命だと、そう、気づいた。
だから私はそれだけを握りしめて、地獄の底から逃げ出した。
冷たい地面を素足で蹴って、凍った手で自分の体を抱いて、光に怯える目はどこか分からぬ何かを目指して。
がむしゃらに体を動かして、そして、力尽きた体は動きを止めた。
今にも追っ手に捕まるかもしれない。私に恨みを抱く誰かに殺されるかもしれない。このまま凍え死ぬのかもしれない。
様々な恐怖が私をただただ震えさせた。
やがて倒れた私に影がかかり、動けないまま怯えた。
「おい、大丈夫か?」
聞こえたのは、今までの人生で初めて聞く様な、優しい、声だった。
「怪我してるのかい?医者の所へ連れて行こうか?」
心から私を心配している。本当の親切で私に声をかけている。
震える心を噛み締めて、私は首を振る。そんな所へは行けない。行けばきっと、治療の前に捕まって殺される。
「お嬢さん、連れーーあーっと、侍女とか、護衛とか、親とかはどうしたんだい?はぐれたのなら探そうか?」
きっと、この優しい人も私の正体に気がつけば変わってしまう。
私を嫌悪して、罵り、突き出すに決まってる。
これ以上傷つきたくない。
生まれて初めて知った人の優しさを穢したくない。
「大丈夫です。お気になさらないで下さい」
顔を隠したまま言い、全身に力を込めて立ち上がる。
早くここから、この人から離れなくては。見つかる前に、知られる前に。
「でもーーっおい!」
しかし、踏み出した一歩は力なく砕け落ちて、私の意識もまた真っ逆さまに落ちて行ったのだった。
「お、気がついた?」
声をかけられるまで、目覚めていたはずなのに、自分が起きている事を認識できなかった。
故に、唐突に視界に現れたその人に驚いた私は悲鳴を上げることもできずに固まるだけだった。
「このまま起きなかったらどうしようかと思った、いやーよかったよかった」
朗らかに笑いながらその人は私の頭を撫でた。
痛くない、温かな感触も産まれて初めてで、私は声の出ないまま涙を流した。
その人は、私の名前を聞かなかった。
その人は、名前を教えてくれた。
カーティス·ヘッセン
なんて平凡な特徴のない名前。
でも、私にはとても温かい灯りの様に思えた。
私の事を聞かないまま色々な事を教えてくれた。
三つ隣の国の外交官であること。
この国へ来る仕事を押しつけられたこと。
城に入れて貰えなかったこと。
タコのカルパッチョが好きなこと。
一人暮らしなこと。
老けて見えるけど意外と歳が若いこと。
この国がもう、もたないこと。
「成人もしてない子どもに罪を押しつけて、酒を飲む様な奴らばかりが生き残っている。周辺国は既に見切りをつけただろうな」
この国に未来はない。
そう言われても何の感情も湧かなかった。
「お嬢さん、もしよかったら俺の国に来る?」
心臓が凍る気がした。
とても魅力的で、とても、怖かった。
「もし、もし私が。罪を負っていても、同じことが言えますか」
知られずにいられるはずがない。
いつか必ずばれてしまう。
そもそも、ばれずに国外へ逃げれるはずがない。
だって国中が私を殺そうとしているのだから。
「君みたいな可憐なお嬢さんにどんな罪があるっていうんだい?」
何も変わらない、雑談の様な軽い声だったから、馬鹿にされたのだと思った。
私なんかに何ができるんだ、と。
そうだ。私なんかに何ができるというのだ。
常に俯いて、片隅で一人で立ち、ナイフも持てないこんな私に、策謀や暗殺なんかできるはずがない。
それなのに私に押しつけられた罪は数しれない。
不意に、怒りが湧いた。
初めて怒りを覚えた。
その感情のぶつけ所だけを求めて顔を上げてーー
「君が悪い事なんてする訳ないだろう?」
本当にそう信じている笑顔が、私に向けられていた。
馬鹿にされたのではなかった。本当に私に罪がないと思ってくれていたのだ。
嗚呼、なんて真っ直ぐなんだろう。
私を真っ直ぐに見てくれる目は、とても温かくて優しい。
「俺の国は特に何もないけど、羊毛の毛布が温かいんだ」
なんて変な誘い文句だろうか。
思わず笑い声が口をついた。
初めて、自然に笑った気がした。
それからの数日間は夢物語の様だった。
害意や蔑みを向けられなかった。
温かい食事を一緒に食べた。
どうでもいい話をして笑った。
そして、知った。
とても真っ直ぐなこと。
少し気が弱いこと。
でもここぞという時は勇敢なこと。
とても驚くと言葉が声にならないこと。
優しくて、お人好しなこと。
この人となら一緒に居たいと思った。
この人は大丈夫。
私を虐めない、嫌悪しない、傷つけない。
私を笑顔にしてくれる、守ってくれる、優しくしてくれる。
初めて前を向けた気がした。
初めて先を期待した。
そこに刃と怒号と悲鳴があって、
絶望が私を襲って、
あの人の温かい手と引き離されて、
痛みが、
熱が、
恐怖が、
私を追い立てて、
必死に藻掻いて、
振り解いて、
逃げて、
逃げて、
逃げて、
逃げて。
やっぱり、私は私の運命から逃げられなかった。
冷たい体はあの日と似ていて、あの日よりもずっと冷たい傷口から命が流れていって、失くした熱を右手が探した。
私は一人だった。
いや、今までずっと一人だった。
あの人のいた数日間だけが特別だったのだ。
手足から力が抜け、地面に崩れ落ちた痛みも、どこか遠く感じられる。
目が霞み、次第に視界が闇に閉ざされていく。
それでも逃げなければと、感覚も分からぬ手足で藻掻く。
嫌だ、死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
私はーーーー生きたい。
暗闇の中手を伸ばせば、光がさした。
「おおおっ、お手が出たぞ!」
「妃様、赤子は元気でございますよ」
「妃様、どうかお気を確かに」
私はどういう訳か、割かれた母の腹から取り上げられ産まれるその瞬間に、死に戻っていた。
第二妃である母はそのまま死に、私は生き延びた。
訳が分からない。なんで。どうして。どうやって。
否。
理由も理屈もどうでもいい。
私は死にたくない。何があっても生きていたい。
せっかく人生をやり直すのならば、どんな手を使ってでも生き延びてみせる。
「母を亡くして可哀想に。私が貴女を育ててあげましょう」
「結構です王妃様」
「!?え!喋った!」
引き取って育ててあげたと恩着せがましく言いながら虐められると分かっていて、承諾する理由はない。
「ほほう、第二妃に似て生意気な顔をした赤子よ。我が娘の優しさを無碍にしたのも頷けようというもの。こんな女はぎゃあ!!」
娘が王妃であることを笠に着て好き放題する宰相の脛を蹴り上げてやる。お前達親娘にされた事の怨みは深い。
「そのぅ、殿下の学力は既に高等部をも凌いでおり、学院へ通うのは無駄かと存じ上げます」
必要な知識は既に身に付いている。時間の浪費はしたくない。
「何故殿下がこんな所にいるのだ!」
擦り付けられた罪も全て覚えている。擦り付けられる前に暴いてしまえ。
「何故貴様がそれを持っている!」
一人だって逃がさない。残らず捕え首を落としてしまえ。
「食事は全て部屋に持ってきて。料理長自身で」
風通しが良くなっても油断はできない。誰も信用してなるものか。
「殿下、いい加減お一人で出歩かれるのはおやめ下さい」
「私に勝てたら認めてあげます」
騎士だろうと信用ならない。いずれ裏切るかもしれない人間に背中など預けられる訳がない。
「私のお茶が飲めませんの?っきゃあ!」
毒の味は一回目で飽きる程噛み締めた。
「おや、どうされましたかの。殿ぐあ!」
役に立つ公爵を今死なせたりなどしない。私が生きる為に。
「殿下、成人の義とデビュタントのーー」
「行かない。好きにすればいい」
私を殺す事しか考えていない奴らの前に出る必要なんてない。
「私を誰だと思っているの!賎しい女の娘の分際で!!」
「王を毒殺せんとする逆賊以外の何者でもないでしょう」
王の目の前で王妃の首を刎ねた。
「いいだろう、お前が次の王だ。憐れな娘よ」
「言われるまでもない」
父はーー今世でも、最後まで名前を呼んでくれなかった。
王と王妃の葬儀の日。
二つの棺を前にしても何の感情も湧かなかった。
だから、想像した。
もし王が私を愛してくれていたら?
もし王妃が私を虐めなければ?
もし、母が生きていれば、未来は違ったのだろうか。
恐らく、大きく違ったのだろう。
今世の私が、惨めな生きた人形ではなく、勝者として生きているのだから。
しかしだからといって悔恨も悲痛もありはしなかった。
だって私は生きているのだから。
「陛下、心を痛めておいでですか?」
二つの棺に情などありはしない。
だからこの雫は、私の為の感情だった。
「私がこの国の王だ」
葬儀を終えて宣言すれば、皆が頭を垂れた。
だが、信用などするものか。
従順な振りなどいくらでもできる。
「陛下、王女でなくて良いのですか?」
「どっちでも変わらないだろ」
「陛下、戴冠式はーー」
「出ない。わざわざ殺されに行くなんて真っ平だ」
「陛下、民にお顔をーー」
「却下だ。見せずとも国は回せる」
「陛下、その奇抜な格好はーー」
「変装だ」
王としての責務を全うする。それだけの日々が始まった。
いや、相変わらず命は狙われていた。
油断など一時もできはしなかった。
息を殺す様に淡々と日々を送った。
初めは、八つ当たりにも似た、衝動だった。
ふと、感情が鎌首をもたげた、月夜だった。
どうして私が王になっているのか。
どうして私がこんな事をしなければならないのか。
どうして私が命を狙われなければならないのか。
どうして私はまたーー一人なのか。
誰もいない暗闇の中、月明かりの元で光る荘厳な玉座の前で、両手の中の物を握りしめる。
私を欲する民がいるから。
私を害する貴族がいたから。
私に無関心な王がいたから。
私の母を愛した王がいたから。
私を縛り付ける玉座があるから。
「私はッ、生きたいだけなのに!!」
まるでそれが仇かの様に憎く思えて。
ただ破壊するのではなく、刻みつけたくて。
その背の真ん中より下、心臓が来る位置に。
釘を、打ち込んだ。
釘を打った事のない私の腕は下手くそで。
何本も折り、歪に曲げながら、深く、深く、打ち込んだ。
これで何が晴れる訳じゃない。
終わる訳でも変わる訳でもない。
馬鹿な事をしていると、金槌を振りかぶる最中ですら自覚していた。
それでも。
これでこの椅子に座らなくて済むと思うと、どこかほっとした。
だけど、
「どうしてーー」
私は、笑えない。
「 」
「陛下、王冠をどこへーー」
「邪魔だから鳥の巣にした」
「陛下、何故男の振りなどーー」
「この国の『王』だからだ」
「陛下、何故妃などと嘘をーー」
「暗殺者をどうにかしてから苦情は言え」
「陛下、お姿をお見せ下さいーー」
「自分の醜い顔でも見ていろ」
「陛下、罠を仕掛けるのはーー」
「お前達が毎日うるさいからだ」
「陛下、お姿をお見せ下さらないので不正がーー」
「この能無し共。私が直接行く」
「陛下、民からの要望でーー」
「これは明日中に実行しろ。それはまず予算を組め」
「陛下、噂を放置してよろしいのですか?」
「個人を特定出来もしない噂に害はない」
そんな変わらない、不安定で、理不尽で、変化のない、生きるだけの日々で。
無性に、会いたくなった。
彼に。
私を見てくれた。私を信じてくれた。
たった一人の人に。
今の私と彼は会話はおろか会った事もないけれど。
どんな手を使ってでも会いたいと、思った。
三つ隣の国の王に要請すれば、面白そうに了承された。
自国で根回しをすれば、にこやかに了承された。
城の準備は万端。
密やかに護衛もつけた。
後は彼が到着するのを待つだけ。
そして、急に不安になった。
私は無理矢理彼を招聘した。
今の私は権力を振りかざす王そのもの。
噂通りの変人。
彼に嫌われてしまったらどうしよう。
彼が不幸になったらどうしよう。
湧き出した不安は泉の様で止まらない。
そうして、ついに、王の妃として彼の前に出てしまった。
急遽、わざわざ人を用意し、彼の質問や会話を予測してカンペを作り、王のふりをさせた。
私の顔を知る高位貴族にも口封じをした。
そんな私とは裏腹に、ようやく会えた彼は、あの時と同じだった。
立場のせいで言葉は気安くなかったけれど、変わらない。
気遣いとユーモアと真面目な言葉。じっと見極めようとする目。誰にでも怖気付く事のない人の良さ。
それに、彼は私を問い詰めなかった。
常識的に、仮にも王の妃と名乗る私に聞いた方が王の情報が手に入るはずだというのに、私にも他の人と同じ事しか聞かない。
あの時もそうだった。
きっと分かっていたのに、名前すらも聞かないで私を信じて連れ出そうとしてくれた。
あの玉座を見ても、彼は『王』を拒絶しなかった。
あの感情と衝動の吐き溜めでしかない玉座から何かを見出そうとしている。噂しか知らない王を慮ろうとしている。
優しい、人。
彼は、きっと、『王』の事も同じ様に救おうとしてくれるのだろう。
嘘で作られたハリボテの『王』を、少し、羨ましく思った。
自分で作ったくせに、どうかしている。馬鹿げている。
でも、だからなのだろう。
「釘の玉座に座す貴方様の、力になりたいと思いました 」
その言葉は何よりも嬉しくて、何よりも辛かった。
嘘をついていたのに。無理矢理だったのに。我儘をしたのに。彼を振り回して、結局自分からは何も言えなかったのに。
彼はまたーー私を救ってくれた。
「カーティス」
ずっと呼びたかった。ずっと呼んでいた。
温かい、灯火の名前。
決して長くはない時だったけれど、私に感情と笑顔をくれた、大切なあの時をくれた、大切な名前。
嗚呼、貴方と共に居たい。
貴方でなければいけないの。
一人は寒くて寂しいの。
せっかく生き延びたのに、生きているだけでは駄目だったの。
私は、生きたい。
貴方と共に。
「こっ、恋人!からで、お願い···します···」
「······くふっ」
本当に、貴方は。
「仕方ないわね」
貴方だけが、私を笑わせる。
貴方の為なら私は、変人でも構わない。
大変遅くなり申し訳ありませんでした。
心待ちにして下さった方々、ありがとうございます。
『変人』の噂やその結果に至る原因が明かされるお話のつもりなのですが、ちょっと上手く書ききれていない部分もあるかと思います。すみません。
補足すると、死なない為に戦う術も身につけつつ、前世の記憶を頼りにバドエン回避をした感じです。その行動の動機が他の人には分からない上にちょっと奇抜過ぎたので『変人』と言われるまでになったと。
本人は死にたくない一択の真面目な必死で、とにかく疑心暗鬼に生きてました。誰も信用しません。
それが周囲のマトモな大人達には、身を守らんと爪を立てて威嚇する子猫の様に見えて心配&微笑ましく、信用されないもどかしさを抱えながらも、王として仰ぎ従いつつ可愛がっており、彼女から珍しく私情で男の名前が出た為に、みんなわくわくしてる設定があったりなかったり。あ、噂の操作(有害な噂の揉み消し等)もその方達がしてたりとか。
相変わらず拙い作品ですが、お読みいただきありがとうございました。