俺、ご機嫌をうかがう
コトリ、と。
二階建てアパートの一室。
ワンルームの中央にあるローテーブルに、氷の入った麦茶が置かれる。
グラスの表面にはじっとりと細かな水滴がはりついていた。
「っく、ぐすっ」
ぺったんこのドレスの胸元で、幼女がしゃくりあげるのに合わせて不気味なドクロのネックレスが震えた。
カタカタと精巧に作り込まれた顎を鳴らす様子は、俺の冷たい対応を嘲笑っているかのようだった。
「その……すまん」
思わず言ってしまっただけで、冷たくするつもりは無かったんだが。
部屋の小さなキッチンで出来ることなんて限られている。
昨日の夕飯の残りの味噌汁を火にかける間に、炊飯器から二人前のご飯をよそう。一人は少なめにつぐことにした。
冷凍庫からギョーザを取りだし皿に移すと、電子レンジの解凍ボタンを押す。
時刻は昼の十二時すぎ。
まったく、草取りで貴重な休日が半分持っていかれてしまった。
味噌汁とごはん、ギョーザの乗ったトレーを置くと、ふわりと食卓にいい匂いがただよった。腹が鳴る。
フリルたっぷりの黒いドレスの幼女と、擦りきれたTシャツにジーパンの俺が向かい合った。
「ほれ、とりあえず食べてくれ」
そういって、箸をとり食べ始める。
窓ガラスに、黒髪黒目の平凡な男が映った。
謎である。さえないフリーターの男に、いきなりプロポーズをしてくるとは。
……しかし、泣かせてしまったのは申し訳ない。
目の前のちびっこは泣きはらしたアメジストの瞳をぬぐう。おそるおそるプラスチックのフォークをグーでにぎった。
ギョーザにつきさして、一口かじる。
とたんに、きらきらと大きな瞳が輝きだした。ぱあっと表情を明るくして、銀のツインテールがぶんぶんと揺れる。
「はるひと、これ、おいしい!」
きらっきらのお顔で、大きく口をあけてもうひとくち。
「おいひい!!」
満面の笑みである。
柔らかそうなほっぺたをモゴモゴ動かして、フォークを握った手を上につきあげた。こちらも用意した甲斐があるというものだ。
「おー、良かったな」
思わず俺も口もとをゆるめてしまう。
……頭に110の番号が浮かんできて、あわてて引き締めたが。
「俺の分も食べるか?」
そんなに気に入ったのならと、自分のギョーザを皿ごと差し出す。
「!」
彼女は瞳をさらに大きくして、テーブルに身を乗り出した。いいの!? と顔に書いてある。
キラキラとまわりにエフェクトがかかったような気がした。
「……」
ツインテールの先が味噌汁に浸かりそうになっていたので、無言でお椀を避難させる。幼女の毛先は若干湿っていたが、まあそこは、気にするな。
「はるひほはやはひいね!」
口いっぱいにギョーザを詰めこんだ様子はまるでリスのようだ。柔らかいほっぺたがさらに丸くふくらむ。
「はいはい」
なんとなく、目をひかれた。
よくみると、ネックレスの下がる胸元には黒いサテンのリボンがつけられ、中心には紫の小さな宝石があしらわれている。いかにも高そうなやつ。
普通、子どもに高価な宝石を持たせるだろうか。
「ふぅ」
三段重ねにしたクッションを座布団がわりに。
小さな女の子は両手を後ろについて上体を支え、満足そうに目を細めた。
ツインテールの先が眠そうにゆらゆら揺れる。
俺は空になった食器を下げると、フローリングの床に座りなおした。気を引きしめなおす。
さぁ、ここからが本番だ。おまえの話、聞かせてもらおうじゃないか。
「ベル」
銀のツインテールがピクリと揺れる。
三段重ねのクッションからずるっと滑り落ちて、背もたれがわりに寄りかかっている。
幼女は長い睫毛を震わせて、とろりとしたアメジストの瞳をうっすら開けた。
「んむ……」
ぐしぐしと小さな手でまぶたをこする。整った顔立ちが崩れ、さくらんぼみたいなつやつやの唇からふわぁと可愛らしいあくびが漏れた。
フリルたっぷりの黒いドレスが、ちょっぴりめくれている。ふわふわのパニエと、黒いタイツに覆われた足が覗いていた。
んーっと伸びをしたのにあわせてつま先がぷるぷると震える。
あぐらをかき、ローテーブルに片肘をついてその様子を眺めた。
「ベル」
もう一度呼ぶと、パッと大きな瞳が開いた。名前はやはり「ベル」で確定だろう。
幼女はみるみる口もとをほころばせた。あたりにキラキラとエフェクトがかかる。
目の上で切り揃えられた銀の前髪が、ふよんと跳ねた。
「はるひとが、ベルのなまえ呼んだ!!」
舌ったらずな可愛らしい声が響く。柔らかそうなほっぺたを赤くして、ぺちぺちとローテーブルを叩いた。ツインテールの先がピョコピョコと飛び跳ねる。
110番、110番……
思わず口元がゆるみそうになるのをこらえる。
いかんいかん。早く親御さんのもとに帰してやらねば。
「そんでお前、どこから来たんだ?」
幼女はこてんと首をかしげると、にぱっと笑って無邪気に答えた。
「ベル、魔界からきたよ!」
胸元にかかっていたネックレスのドクロもコロンと不気味に笑う。
「まかい」
……マカイ。魔界?
「お父さんとお母さんは?」
「魔界にいるの!」
「……お仕事は?」
「悪魔と魔物をまとめる!」
「……」
オゥマイゴッド。中二病か?
あー、なんか俺めまいするわ。……オーケー気を取り直していこう。
「なあ、いくつ?」
四角いクッションにふんぞり返った幼女はドヤ顔でこちらにピースサインを向けた。ぺったんこの胸元でドクロのネックレスが跳ねる。
「ベル、さんびゃくさい!!」
「……そうか」
見た目五歳だけどな。
スッ。
手を伸ばしてベルの指をもう一本たててやる。
「ほんとだもん! ベル、さんびゃくさい!」
「そっかー、三百歳かあ」
キッチン横の換気扇がカラカラと音をたてた。
スベったような空気がながれる。
俺は無言でグラスに新しい麦茶を用意して、自分とベルの前に置く。
そして、何事もなかったかのように尋ねた。
「……んでベル、お前何者だ?」
じっと目の前の人物を見つめる。
怪しいのだ。小さな女の子がとつぜん俺の部屋に現れたことしかり、見るからに高価な洋服を着ていることしかり。
銀髪というのもまず日本では見かけないだろう。なのに、日本語が通じるのも疑問が残る。
銀の幼女はアメジストの瞳をきらりと輝かせた。よくぞ聞いてくれましたとでもいうように、クッションの玉座で黒タイツの足を組む。
柔らかそうなぷくぷくのほっぺたがもちあがって、二度めのドヤ顔を浮かべた。
……なお、めくれあがったレースたっぷりの黒いドレスからは、中身の白いパニエとひらひらのドロワーズまで見えてしまっているのだが、ここはあえて。あえて割愛する。
俺にはそんな趣味はない。断じて。
ふわりとツインテールをゆらして、さくらんぼみたいなつやつやの唇が開かれた。
「ベル、魔王なの!」
「まおう」
マオウ。MAOU……魔王。
悪魔や魔物の王と呼ばれる、あれだろうか。
オマエ、アタマ、ダイジョウブデスカ?
俺の中の俺が冷静につっこむ。
ズキズキする頭をかかえている間も幼女は楽しげに喋り続ける。舌ったらずな可愛らしい声がきゃいきゃいと響いた。
「あっ、正確にはまだだよ? でもね、ベルがはるひとが好きっていったら、じーやが行っておいでって言ってね……」
あーもうちょっと待って、情報が多すぎる。もう無理。
俺は麦茶を一気に飲み干すと、カァン! とテーブルに叩きつける。そのままぐったりと上半身を伏せた。頭から煙出てない? そうか、出てないか……
ぼそりとつぶやく。
「ベル、すとっぷ」
ごめん、俺の負け。いや、何に対して謝ってるんだか分からないけど。とりあえずごめん。
かんべんしてください……