プロローグ1 俺、求婚される
「ねえ、ベルをはるひとのお嫁さんにして?」
それは、舌ったらずに小さな唇からつむがれた。
気づくとその子はそこにいた。めちゃくちゃ可愛い子だ。五歳くらいの、小さな女の子。
「お、女の子……?」
べつに俺が呼んだんじゃない。
朝、目が覚めて。床に落っことしたスマホのアラームを止めようと起きあがって。そしたら、いた。
「んふふ、はるひと?」
くりっとしたアメジストの大きな瞳を輝かせて。にこにこと無邪気な笑みを浮かべて。床にしゃがみこんでほおづえをつき、俺を見上げていた。
ぷくぷくの柔らかそうなほっぺたがむにりと押しつぶされている。
「ベルは、はるひとに好きになってもらわなきゃいけないの」
使命感を帯びたように、アメジストの瞳がきらめく。
「は? 好きに?」
その子は、奇妙な格好をしていた。
小さい子特有のサラサラな髪は銀色。ツインテールにされていた。ちょっと触ってみたくなる。
服は、フリルのいっぱいついた黒いドレス、だろうか。
パニエでこれでもかと膨らませた上に暗い紫色のスカートをのせ、黒いレースを何重にも重ねている。
フリルonフリル。どこまでもフリルまみれ。
よくこんなにゴテゴテとしたドレスを着れるものだ。遠目にみればフリルが歩いているように見えるだろう。
最後に、ネックレス。
ゴツゴツした小ぶりな頭蓋骨を革ひもに通しただけのそれは、ぺったんこの胸元で強烈な違和感を放っていた。
「う……」
ガイコツの真っ黒な眼窩と目が合って、結構こわい。
固まっている俺に、整ったあどけない顔が近づく。あわててのけぞった。
「ねえ、だめ?」
小さな両手をほおにあて、幼女はこてんと首をかしげた。
可愛い。あざといけど、控えめにいって、めちゃめちゃ似合っている。
「──それは、」
言いかけて、固まる。
この子、だれだ?
そもそもどこから入ってきた?
さっき春人って……なんで俺の名前を知ってる? どう見てもちびっこだし、親御さんは?
そこで俺は、肝心なことに気がついた。
もしここに誰かが入ってきて、この状況を見られたら?
部屋の温度がすうっと下がった気がした。背筋を冷たい汗がながれる。
フリーターの一人暮らしの男の部屋に入ると、そこにいたのはファンタジーな美幼女。
脳裏に110の番号がチカチカと点滅する。これでは、通報されてしまう。
「ま、待て待て待てまてまてまて」
俺はベッドの掛け布団を引き寄せると、素早く壁際までさがった。
「い……」
口もとに手をあて、震えながら天井をあおぐ。
「いぃいやああぁぁー!!!」
二階建てアパートの一室に、高らかな声が響いた。
◇
「よっこい、せっ!」
一心不乱に、青々としげった草をまとめてひっつかむ。
何かを無心でやると、憂鬱なことを気にしなくていい。夢中でやれば忘れることができるからだ。
突然だが、草取りのコツを知っているだろうか?
根っこから抜くことだ。
出来れば小さい芽の段階のうちに抜いた方が良い。デカくて、根を張ってしまっているやつは、シャベルで深く掘り返す。
あー、軍手と虫よけも忘れちゃいけない。トゲに引っかかったり、虫に刺されるから。
「はるひと、一人でなにをぼそぼそしゃべってるの?」
んで、隣には俺を不思議そうに見つめる銀髪ツインテの幼女が……幼女が…………
「やっぱりいるぅぅぅ!!!!」
ブチィッ!!
思いっきり草を引っこ抜いた。……あ、根っこ千切れてら。あとで掘り返そ。忙しいなあ、草むしりしなきゃなあ。気にしない気にしない。
そう、謎過ぎる幼女が隣にいても、気にしちゃダメなのだ。
俺は絶賛、アパートまわりの草とり中だった。
のどかな町のすみっこにある、淡いグリーンの二階建てアパート。
いつ建てられたのか分からない建物は、雨や風でところどころ茶色くさびている。周囲には草がボーボーに生えていた。
それでもここは落ち着くから、俺は気に入っている。
今は三時間ほどかけて、ようやく敷地の半分をキレイにしたところだ。
「ああ、疲れた……」
騒いで迷惑をかけた罰だそうで。寝起きに悲鳴をあげたら、大家のトメばあが飛んできた。
────「こら春人! お前さんときたらいつもいつも……」
「ぐはっ」
スパァン! とお手製のハリセンが俺に炸裂する。これ、めちゃめちゃ痛い。
ハリセンは、ピンクの割烹着のポケットに装備されているのだ。七十代くらいだろうか? 元気なものである。
「と、トメばあ。あの、こ、この子はその……」
恐怖と焦りで思いっきり挙動不審になりながら、床にしゃがんだままの幼女に目をやる。
やばい、幼女ユーカイで捕まる。二十五歳にして人生終了か?
「なあに?」
幼女は、ぱあっと笑みを浮かべて首をかしげた。
可愛いけど今はそれどころじゃない。俺の人生がかかっているのだ。
タマネギ頭に赤い簪をさしたトメばあは、パシリと手のなかでハリセンを鳴らした。
「トメさんとお呼び! それに、この部屋には他に誰も居ないじゃないか!! アタシの頭はまだボケちゃいないよ」
「え、いない?」
……なるほど、どうやらトメばあには見えていないらしい。だけど、どうみてもそこにいるよな。
「いない?」
俺の頭がボケたのか?
「虫が出ただの、鍋が吹きこぼれただの……ちっさいことで騒ぐのもいい加減にせんかい!」
しわくちゃの目をつりあげて俺をにらむと、トメばあは玄関の扉をバタンと閉めて帰っていった。
さらっと恥ずかしいことを暴露して。
「トメばあ……」
……最後のは言わないでほしかった。三年も前のことじゃないか。
「ねぇはるひと。ベル、およめさんなれる?」
「え?」
回想にひたる俺の顔を、紫紺の大きな瞳がのぞきこむ。無邪気な声が現実に引き戻した。
「いいでしょ? ベル、はるひとのこと好きだよ?」
両手をフリルたっぷりのドレスのうしろで組み、黒いつやつやのエナメルシューズをもじもじさせている。
草を引き抜いて土だらけの地面に立つその姿は、あまりにも不釣り合いだ。
「いや、無理だろ」
つい、ポロっと言ってしまった。
年の差がありすぎる。というか俺はそういう趣味はない! そう、断じてない。
「……」
幼女はしばらく立ち尽くしていたが、俺の言ったことを理解したのだろう。見開いたアメジストの瞳に涙の膜が張り、みるみる目じりからこぼれ落ちた。
「っく、うっく。……ひっく」
「あ、おい……」
これは、やばい。
柔らかなほっぺたが真っ赤になり、銀のツインテールがこらえきれずにぷるぷると揺れる。
小さな口がへの字になり、震えだして、とうとうそれは開かれた。
「う、うぁぁああああ!」
「えっ、えっ、ちょ、」
途方に暮れるとはまさにこのこと。涙を流すちびっこを前に、どうしたらいいのか分からない。
「終わった……俺が泣きたいわ」
突然やって来た不思議な女の子。
これが、幼女から想いを告げられる日々の始まりだった。