表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/301

第二十二話 銅貨一枚の奇蹟

「こちらが、娘の部屋です」


 主人に案内された先は、何とも立派な子ども部屋であった。

 窓際に天蓋付きの大きなベッドが置かれ、隅にはぬいぐるみが山のように積まれている。

 そして壁には、各地の風景を模写した絵画が一面に並べられていた。

 部屋を出ることのできない娘のために、主人が特注で造らせたものだろう。

 よく見れば、それらの絵画には共通して白い服を着た少女が描き込まれている。


「へぇ……! 愛情の籠ったいいお部屋ですね!」

「ははは……。私が娘のためにしてやれることといったら、これぐらいのことでして」


 主人がそう謙遜したところで、ベッドに横たわっていた少女がゆっくりと起き上がった。

 彼女が、件のアナスタシアらしい。

 年の頃はまだ十歳そこそこと言ったところであろうか。

 黄金の巻き毛がふわりと揺れ、瞳は大きなアイスブルー。

 鼻の作りは小さく、ぽってりとした唇が愛らしかった。

 さながら、ビスクドールのような可愛らしい少女である。


「お父様、この方たちは?」

「えっと……」

「こんにちは、私はイリーナ。教会の方から参りました」


 微笑みを浮かべながら、つらつらとそれらしいことを言うファム。

 イリーナというのは旅立つ前に決めた偽名である。

 今から二百年ほど前に活躍した聖女の名前で、今では定番の女性名の一つだった。


「シスターさんなの?」

「ええ、そんなところですよ」

「ふぅん……。それなら、アナの病気を診に来たの?」

「その通り。なかなか賢いですね!」


 そう言ってファムが笑うと、アナスタシアは布団をはだけて上着を脱いだ。

 医者や聖職者が来たらこうすると、行動パターンがすでに決まっているようだ。

 

「このまだら模様は……」

「はい、ある時から背中に現れたものです。これが体内の魔力の循環を乱し、やがては全身が動かなくなって死に至るのだと……」

「私も初めて見ますね。ですがこの感じ、病というよりは呪いに近いかもしれません」


 痛々しい痣を擦りながら、沈痛な面持ちをするファム。

 薬が効いているおかげか、アナスタシアはいくらか元気そうに見えるが……。

 その身体はいつ意識を失ってもおかしくないほどに弱っていた。

 ニーゼが言っていたこともあながち嘘ではない。

 早々に治療をしなければ、アナスタシアが死に至るのは確実だろう。


「今まで何人ものお医者様や魔導士様に見ていただいたのですが……。皆、手に負えないとさじを投げてしまって」

「それで、最後に教会を頼ったと?」

「はい。そしたら、ニーゼ様が良い薬があるとおっしゃられて。藁にもすがる思いで、ろくに確かめもせず言われるがままに購入したのですよ。今思えば、私としたことが商人失格です」


 大店の主だけあって、本来は優秀な商人なのだろう。

 もしこれが家族と関係のない話であったら、すぐにニーゼの嘘を見抜いたに違いない。

 しかし、さすがの彼も娘の命がかかわることとあっては目が曇ってしまったらしい。

 真一文字に結ばれた唇からは、悔しさがあふれるかのようだった。


「やはり、難しいですか? 魔導士様の話では、何とかできるとすれば聖女様ぐらいだとか」

「聖女様なら、何とかできるんですか?」

「はい。ですがそのようなことを言われても、私どもではとてもとても……」


 聖女に治癒を依頼することなど、一介の商人にはおよそ不可能であった。

 大陸最大の勢力を誇る聖十字教団。

 その聖女を動かすことは、どれほど金を積もうとそう簡単ではないのである。

 だがしかし、この主人とアナスタシアは非常に運が良かった。

 いまアナスタシアを診ているイリーナこそが、その聖女自身なのだから。


「私なら何とかできる……。レジレクションを使えと言うことですかね……」

「はい?」

「いえ、こちらの話です。それより、少しでいいので部屋を出てもらえますか? この子に治療を施したいのですが、あまり人に見られたくないので」

「へ!? 治療できるのですか!?」


 驚きのあまり、口をパクパクとさせる主人。

 これまで、数年に渡って懸命に娘の治療法を探してきたのである。

 それがこうもあっさりとできると言われてしまえば、茫然とするのも無理はなかった。

 しかし、驚く主人をよそにファムはあっさりとした口調で告げる。


「ええ。すぐに根治出来ますよ。見たところ生命力が弱まっていく病ですが、複雑な物でもないので」

「そ、そうなのですか……?」

「はい、任せてください!」


 ドンッと胸を叩くファム。

 その勢いに押されて、主人は半信半疑ながらも部屋を出て行った。


「では私も、失礼いたします」

「あなたは別に残っていてもいいのですよ?」

「主人についていてやろうかと思いまして」


 それだけ告げると、クメールは一礼して部屋を去っていった。

 ……そう言えば、彼はファムが神聖魔法を使う時は何かと理由をつけてその場から離れていたような。

 ファムはふとそのようなことが気になったが、特に不自然な理由でもないので黙っておく。


「では始めますよ。ちょっと熱いかもしれませんが、我慢してくださいね!」

「うん、お願いします!」


 ファムは少女の背中に自らの手を重ねた。

 そしてゆっくりと深呼吸をして、体内の魔力を練り上げる。

 自然と一体化し、その生命力を汲み上げて少女に注ぎ込むようなイメージで。

 魔力の流れを整え、少女と自身の間で魔力を大きく循環させる。

 やがてその手が金色に輝き始めると、ファムは朗々と呪文を紡いだ。


「天より注ぎし光、地より溢れる恵みの水。三界を巡る命の波動よ、この手に集いて――」


 光は次第に強さを増し、明滅を始めた。

 そのあまりの輝きに、周囲から色が失われる。

 そしてそれが最高潮に達した瞬間、爆発するように光が弾けた。


「ひゃっ!?」


 全身を駆け抜けた熱に、少女は思わず声を上げた。

 だがその直後、身体を蝕んでいた痛みが溶けるようにして消えていく。

 それはさながら、春を迎えて雪が解けるかのごとし。

 痛みに代わって身体を満たした心地よい暖かさに、少女はうっとりと表情を緩める。


「これで、もうすっかり良くなりましたよ」

「本当? もう、痛くはならないの?」

「ええ、もう大丈夫。今は身体が弱っているけれど、すぐに良くなるから」


 そう言うと、ファムはアナスタシアの頭をゆっくりと撫でた。

 そして彼女をもう一度寝かせると、足音を立てないようにゆっくりと部屋を出る。


「娘は!? 娘はどうなりましたか!?」


 扉から出ると、すぐに主人が声をかけてきた。

 娘のことをよほど心配していたのだろう、顔が涙にぬれてグシャグシャだ。

 彼は制止するクメールを振り切り、ファムに縋り付く。


「大丈夫ですよ、すっかり良くなりましたから」

「おお、おお……!! 私も、娘の様子を見ていいですかな!?」

「ええ。治療を終えて休んでいるので、起こさないようにしてくださいね」


 ファムがそう言い終わらないうちに、主人は扉を開けて中に入っていった。

 そして数分後。

 無事に部屋から出てきた彼は、天を仰いで祈りを捧げた。

 その晴れ晴れとした顔は、喜びと感謝を全身全霊で表しているかのようだ。


「神よ……! 今日ほど感謝したことはございません……!」

「喜んでいただけたようで、何よりです」

「そうだ、お礼をせねば! おい、誰か!」


 主人はパンパンと手を叩くと、近くにいた手代を呼びつけた。

 そして大きな麻袋を取り出すと、それを押し付けるようにして手代に手渡す。


「急いで金庫に行って、これいっぱいに金貨を詰めて来てくれ!」

「この大袋にですか!?」


 袋の大きさに、驚きを隠しきれない手代。

 この袋に一杯の金貨となれば、恐らく五千万にはなるだろう。

 いくら大店の主人とは言え、そうそう簡単に出すような金額ではない。


「かまわん、急げ!」

「は、はい!」

「あ、あの! お金でしたらいりませんよ!」

「へ!? いや、そういうわけには参りませんよ! 商人として、何かをしていただいたからには相応の金を支払うのが当然です!」


 主人の決意はなかなかに堅いようであった。

 ファムがそれとなく断ろうとするが、どうにも聞き入れようとはしない。

 だが、ここで金を受け取ってしまうと後が大変であった。

 あくまでも今のファムは、忍びで動いている。

 表向きは、現在でも教団の本部にいることになっているのだ。

 その状態でこれほどの大金を受け取っては、何かと処理が面倒なのである。


「んー、どうしましょうか……」

「ではご主人、こういうことでいかがでしょう? 今まで払った薬代に、今日の治療費が含まれていたということで」


 クメールがそれとなく割って入り、案を提示した。

 主人はそれでは申し訳ないと渋い顔をするが、ファムはそれで押し切ろうとする。


「そうです。我々も一応、教会とはそれなりに関係のある人間ですしね」

「ですが……」

「だったら、銅貨を一枚だけ下さい」

「え?」

「お金を出さないと筋が通らないということであれば、銅貨一枚だけ出してください」


 真剣な顔で、そう告げるファム。

 その凛とした表情とまっすぐな眼差しには、有無を言わせぬような迫力があった。

 聖女としての芯の強さが、そのまま滲み出ているかのようである。

 それを見た主人は、その雰囲気に押されて身を引く。


「……わかりました、では銅貨一枚だけ」

「ありがとうございます!」


 満面の笑みを浮かべながら、銅貨を受け取るファム。

 彼女はそれを大切に懐にしまうと、優雅に礼をした。

 そして、ゆっくりと店を後にする。

 去り行く彼女たちの背中を、主人は従業員総出で見送らせた。

 その眼には涙が浮かび、ほろりほろりと零れ落ちる。


「私たちがいて良かったです。しかし……あの子の病は少し気になりますね」


 感涙する主人を振り返りながら、ぽつりとつぶやくファム。

 アナスタシアの身を冒していた病は、穢れた魔力との接触が原因である。

 あれほどの穢れをもたらす存在となると、ファムは魔族ぐらいしか思い当たらなかった。

 それも相当に上位の存在が、彼女に触れたとしか考えられない。


「この地に魔族がやってきた……? とにかく、一刻も早くラージャに到着しなければ」


 そう言って、歩を速めるファム。

 こうして彼女は、事件の真相が眠るであろうラージャに急ぐのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] クメールって魔族ですかね、神聖魔法に近づかないなんて。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ