第十六話 霧海の猿
「……そんなこと、本当にできるのか?」
魔力探知を頼りに、白霧の海を歩き始めた俺。
しかしその俺の行動に対して、何故かウェインさんはひどく懐疑的な様子だった。
魔力探知なんて、魔法使いならごくごく基本的な能力のはずだけど……。
ひょっとして、見たことないのだろうか?
「ええ、魔力探知は基本的な技術ですから。魔法使いならだいたいできると思いますよ」
「私の知っている魔力探知は、そんなに便利なものではなかった気がするが……。せいぜい、周囲に敵がいないか判別するぐらいのことしかできなかったはずだ」
「え? それはちょっと……」
使う人の腕が、あまり良くなかったのかもしれないなぁ。
魔界から発せられる魔力は相当強いから、それなりの魔法使いなら探知は容易いだろう。
たぶん、シエル姉さんならそのほかに周囲の地形なども正確に測れるのではなかろうか。
もっとも、常に魔力を垂れ流すことになるので燃費はあまり良くないのだけども。
「とにかく、早く先へ進みましょう。サンクテェールと魔力探知の両方を維持し続けるのはきついので」
「あ、ああ。そうだな……」
「敵は私が何とかするから、お前は探知に専念しろ」
「助かるよ、ライザさん」
こうして俺たちは、ランドドラゴンを走らせて森を駆けた。
時折、霧の中から得体の知れない魔物が飛び出してくるのだが……。
そのことごとくが、あっという間に姉さんの剣の錆となった。
どうやら、このあたりに生息している魔物は力量そのものはたいしたことがないらしい。
霧に乗じて奇襲するのを防ぐことさえできれば、姉さん一人でどうとでもなるようだ。
もっとも、姉さんがどうにかできない魔物なんてほぼ存在しないわけだけれども。
「んおっ!? なんだ!?」
「どうした? おい、しっかりしてくれ!」
いきなり足を止めたランドドラゴン。
もしかして、急に具合でも悪くなってしまったのだろうか?
慌てて下に降りてランドドラゴンの足元を確認すると、太い蔦のようなものが絡みついていた。
まさか、また植物系の魔物か!?
慌てて松明を手に周囲を確認するが、特にトレントなどの姿は見られない。
代わりに、どこからか低い唸り声が聞こえてくる。
「この声は……猿か?」
「言われてみれば、そんな感じの声ですね」
「この蔦、よくよく見れば粗末な網のようだな」
あまりにも作りが原始的であったため、すぐには気づかなかったのだが。
太い蔦が編まれたそれは、何者かの手で作られた罠のようであった。
どうやら、先ほどからこちらを威嚇している猿たちが作ったものらしい。
「知恵のある魔物ってわけか。これは面倒かもしれないな」
「ええ、場所が場所ですしね」
周囲は深い森、それも霧によって視界が覆われている。
木々の間を縦横無尽に駆け抜ける猿と戦うには、最悪に近い環境だった。
「むっ! よけろ!」
何かを察知し、身を翻した姉さん。
その眼前を丸太のような何かが通り抜けていった。
あれは……投げ槍か!
それも、大きさと速度が半端ではない。
木をそのまま引き抜いたような槍を、風が唸るほどの勢いで投げつけてきている。
「ウホッ! ウホホッ!!」
「く、姿が見えん! どこから飛ばしてきているのだ……?」
「うごっ!?」
「ウェインさん!?」
ウェインさんに投げ槍が直撃し、そのまま吹き飛ばされて行ってしまった。
幸い、防具のおかげで大事には至っていなさそうだが……。
このままじゃ、かなり厄介なことになりそうだ。
「ジーク、この霧を一時的にでも吹き飛ばせないか?」
「無理だよ。ライザ姉さんの方こそ、斬撃を全方位に飛ばして薙ぎ払えないのか?」
「できるが、そんなことしたらそこら中の魔物が集まって収拾がつかなくなる」
周囲を見渡し、渋い顔をするライザ姉さん。
ここは境界の森のど真ん中、何が潜んでいるかわからない場所だ。
いくら姉さんやウェインさんがいるとはいえ、過剰に騒ぎを起こして敵をかき集めるのは避けたい。
それこそ、ドラゴンの群れが湧いて来たっておかしくない土地なのだ。
だがここで、ウェインさんが不意にとんでもない大声をあげる。
「歯が、歯が折れてるううぅ!!!!」
ドラゴンの背から落ちた際に、顎を地面に打ち付けてしまったらしい。
ある意味でトレードマークのようだった白い歯が、一本折れて抜け落ちていた。
それがよほどショックだったのか、さながらマンドラゴラのような恐ろしい叫びをあげる。
お、おいおい!?
こんなところであんなデカい声を出したら、とんでもないことになるぞ!!
即座に止めようとするが、時すでに遅し。
そこかしこから、猿の唸り声が響いてくる。
「ウホホッ! ウホウホッ!!」
「囲まれましたね……! 全方位から声が聞こえる……!!」
「全く何てことしてくれたんだ!」
「す、すまない! 取り乱した!」
平静さを取り戻し、謝るウェインさんだが時すでに遅し。
四方八方から、投げ槍と投石の嵐が襲い掛かってきたのだった――!