第十話 聖女の出立
ジークがウェインたちと共にグラスゴブリンの討伐を行っていた頃。
ウィンスター王国にある聖十字教団の本部では、聖女ファムの壮行会が執り行われていた。
今回のラージャへの旅は、あくまでも秘密裏のもの。
教団の中でも、ごく一部の者にしか知らされていない。
だが聖女が動くのに何もしないわけには行かないと、ささやかながらも式典が催された。
それだけ、教団に取って信仰の象徴たる聖女は重要な存在なのである。
「必ずや真相を究明し、辺境の地に光を取り戻して参ります!」
ファムは胸に手を当てながら、集った関係者に向かって凛々しく演説をした。
彼女の力強い言葉にたちまち拍手が沸き起る
百年に一人と称される神聖魔法の天才にして、神託に選ばれし聖女ファム。
聖十字教団の関係者にとって、彼女はまさしく神にも等しい存在であった。
「聖女様は本気だな」
「ああ、あれほどまでに厳しいお顔は久しぶりに見る」
ファムの言葉に熱狂する聖職者たち。
一方、普段から彼女と接している司教たちは冷静であった。
ファムの表情にただならぬ気迫を感じ取った彼らは、声を潜めて話し合う。
「今回の一件、大事に至らぬと良いのですが」
「魔族との戦争となれば、我らも出陣せねばならんでしょうからなぁ」
「恐ろしいことです、くわばらくわばら」
万が一にも魔族との戦争が始まれば、主導するのは聖十字教団である。
教団幹部である司教たちも、いずれ前線に赴かねばならなくなるだろう。
もちろん司令部での仕事となるであろうが、戦地において安全の保障された地などどこにもない。
魔族が相手ともなればなおさらで、命を落とす確率は高かった。
教えのために身を捧げる覚悟はできている司教たちであったが、それでもやはり死は恐ろしい。
だがしかし――。
「ふん、何を弱気な。神の僕たる我々が、魔族ごときに恐れをなしてどうするのです!」
弱気になる司教たちを、一人の男が一喝した。
彼の名はクメール・ハスバーグ。
司教の中でも古参の一人で、タカ派として知られる人物だ。
この非常時においてもその気骨は健在らしく、覇気に満ちている。
「しかしですなぁ……。戦いとなれば血が流れます。それは避けるべきではないですか?」
一喝された司教のうちの一人が、もっともらしい口調でクメールに反論した。
彼の名はアムド・エイトネス。
三年ほど前に新しく司教に任じられた男で、何かと黒い噂の絶えない人物だ。
容貌からして聖職者らしからぬ肥満体で、普段の放蕩ぶりが伺える。
筋肉質な身体つきをしたクメールとは、ひどく対照的であった。
「それは単に、あなたが血を流したくないというだけの話では?」
「まさか! 私はただ平和を愛しているのみですよ」
「信じがたいですな」
眉間に皺を寄せて、不信感をあらわにするクメール。
それに対抗するように、アムドもまた目を細めて険しい顔をした。
二人の間で、目には見えない火花が激しく飛び散る。
にわかに漂う剣呑な空気に、たちまち周囲の者たちは距離を取った。
「そもそも魔族は我々の敵です。この聖十字教団は、かつて魔族に抗する人々によって結成されたという歴史をお忘れか?」
「忘れてはおりませんとも。しかしながら、我ら人類と魔族は互いに交わりを断ち長らく平和を保ってきた。それを破る必要はあるのでしょうか?」
「向こうから仕掛けてくるというのであれば、座して死を待つことはあるまい」
「何も、まだ来るとは限らないでしょう? こちらから刺激することもないと思いますがね」
「何を悠長な! 来てからでは遅いのだ!」
クメールの怒号が響いた。
聖職者らしからぬ荒々しい声に、たちまち会場全体が騒然とした空気となる。
壇上にいたファムも、すぐに二人の方を見た。
「二人とも落ち着いてください! 今は内部で揉めている場合ではありませんよ!」
「……聖女様が仰せられるのならば」
「致し方ありませんな。では、わたくしは用がございますので」
アムドは深々と頭を下げると、その場からゆっくりと立ち去って行った。
あとに残されたクメールは、心底忌々しげに歯ぎしりをした。
それを見かねたファムは、壇上から降りて彼に声をかける。
「アムドと何があったのですか? あのように声を荒げて」
「なに、ちょっとした意見の行き違いですよ。大したことではございません」
「なるほど。しかし、アムドにも困りましたね。信徒の規範たるべき司教として、もっと相応しい行動をして欲しいのですが……」
やれやれとため息をつくファム。
アムドの素行については、日頃から彼女も悩んでいるところであった。
特に金銭に絡む噂については、真偽のほどを問い質したいところなのであるが……。
相手は教団の大幹部である司教、聖女と言えども迂闊には触れられない。
しっかりとした証拠が必要であった。
「ひとまず、今はそれよりもラージャ行きの件について考えるべきですな」
「そうですね。一刻も早くノアを……いえ、ラージャの地に平穏を取り戻さなければ!」
「ええ。つきましては、今回の旅に私も同行させていただきたいと思うのですが……いかがでしょう?」
「クメールが、ですか?」
思いもよらぬ提案に、戸惑いを隠せないファム。
しかし、司教である彼が同行してくれるというのは何とも心強い話であった。
加えて、クメールは戦闘においても卓越した実力を誇っている。
神聖魔法の才こそ欠けるが、剣技においては並の騎士をはるかに上回るのだ。
「ありがたいです。しかし、良いのですか? あなたも忙しいでしょう?」
「聖女様をお守りするためです」
そう言うと、クメールはスっとファムとの距離を詰めた。
彼はそのまま、ファムに小声で耳打ちをする。
「最近、教団内部にも不穏な噂が多い。聖女様に万が一のことがあっては、一大事ですから」
「わかりました。同行を許可しましょう」
「ありがたき幸せ」
「ではともに参りましょう! 我らが征く道に光あれ!」
聖杖を高々と掲げ、勇ましく号令を発するファム。
それに合わせるように、空の薄雲が割れて窓から光が降り注いだ。
たちまちファムの身体を神々しい光が包み込み、腰まで伸びた髪が黄金色に輝く。
その姿は、天使か女神か。
聖なるものを具現化したような聖女の姿に、信徒たちはすぐにひれ伏すのであった。