二十話 暴食の名を冠する者
「こりゃまた、とんでもないもんだな……」
親指の先ほどから桶いっぱいにまで膨れ上がり、なおも巨大化しようと蠢くスライム。
赤く脈打つそれは、何かの心臓のようで見ていて気味が悪かった。
まさか、水を吸っただけでここまで一気に膨れ上がってしまうとは。
俺やマスターたちはおろか、修羅場に慣れているはずの姉さんまでもが息を呑む。
彼女は俺たちを庇うようにスライムの前に出ると、鋭い眼差しでその様子を観察する。
「こいつは……何なのだ?」
「グラトニースライムって種やね。超酸性の体液を放出して、何でも溶かして食ってしまう恐ろしいスライムや。特に水分があると、こうやって一気に際限なく膨れ上がってしまう」
「恐ろしいな……そんなスライムがいたのかよ」
「私も、実物を見るのは初めてやね。古い記録でしか知らんかったわ。何百年も前に絶滅したって言われてるはずや」
「そんなのがどうしてまた?」
俺の問いかけに対して、ケイナさんは困ったように首を横に振った。
残念ながら、彼女にもわからないことらしい。
まさか、魔族か何かが人為的に古代の危険種を復活させたのか……?
とっさに嫌な考えが頭を巡ったが、真相はわからない。
「……とりあえず、現れてしまったものは仕方がない。重要なのはこれからだ」
そう言って、話を仕切りなおしたマスター。
彼はそのままケイナさんの方を見やると、やや重々しい口調で尋ねる。
「それで、そのグラトニースライムに弱点はないのか?」
「ええっと……『カルアデア王記紀』によると、こいつの弱点は確か……」
腕組みをしながら、うんうんと唸り始めるケイナさん。
やがて彼女は、パチンッと指を弾いて言う。
「炎や! カルアデア王は、炎でこいつを焼き払ったはずや!」
「え? そんな馬鹿な!」
「なんや、ずいぶんと驚いた顔をして」
「いや、だって……」
グラトニースライムに対して、俺は上級の火炎魔法を放った。
にもかかわらず、ほとんどと言っていいほどダメージを与えられなかったのである。
それが弱点だとは到底思えなかった。
姉さんたちも俺と同じく信じられないのか、すぐさま尋ねる。
「本当なのか? グラトニースライムには、以前、ジークが上級火炎魔法をぶつけたが……効かなかったぞ?」
「うーん、あくまで他と比べれば効きやすいってレベルやからねぇ。そもそもこのスライム、あらゆるものに対して抵抗性が非常に高いんよ。物理攻撃はもちろん、魔法にもほぼ完璧な耐性がある」
「まるで完全生命体ですね……何と厄介な」
「何か、いい方法はないんですか? あのまま放置しておくわけにも行きませんし」
「そやねぇ……超級魔法なら、ほぼ間違いなく焼き払えるはずやで」
超級って……それを使えるのは、賢者のシエル姉さんぐらいだな。
いやでも、シエル姉さんと会うのはちょっと……。
俺とライザ姉さんは、互いに顔を見合わせた。
事情が事情なだけに協力を仰ぐべきなんだろうけど、連れ戻されるのはほぼ確実だからなぁ。
シエル姉さんはライザ姉さんと違って、脳筋じゃないから説得困難だし……。
けど、街の一大事だからなぁ……。
「……まあ、超級魔法が使える魔法使いなんてそうそうおらんからなぁ。Sランク冒険者に招集をかけるしかないんやないか?」
「うむ、Sランクの天魔導師殿ならあるいはと言ったところだな」
「すぐに連絡を取ってきます!」
お辞儀をすると、すぐさま部屋を出て行く受付嬢さん。
これはまた、思っていた以上に大事になってきたな。
広い応接室がにわかに緊張感で満ちていく。
「ところで、グラトニースライムが出現したラズコーの谷って場所なんやけども」
「なんだ?」
「まさか、水でいっぱいになるようなことはあらへんよな? そうなるともう、手が付けられへんようになるで」
「ああ、そのことか。だったら心配はない。あそこは嵐でも来ない限りは常にからっぽだ」
……それならば、ひとまずは安心か。
俺たちはほっと胸をなでおろした。
大陸の中心近くに位置するラージャ周辺に、嵐などそうそう来るものではない。
せいぜい数年に一度くらいだ。
「とにかく、急いで何らかの対策をしないといけないですね」
「そやね。……とりあえず、私を現地に連れて行ってくれへんか? どの程度まで巨大化しとるかとか、さらに詳しい状況が知りたいわ」
「わかった。じゃあ、またジーク君たちのパーティにお願いできるか?」
「もちろんです! 急ぎましょう!」
「私も行こう。今度こそ遅れは取らん!」
姉さんは姉さんで、何らかの秘策でも編み出したのだろうか?
やけに自信のある様子であった。
俺が付与をした防具もあるし、頼もしい限りだ。
「では、こちらの方で依頼扱いとして処理しておこう。さっそく出かけてくれ!」
「はい!」
こうして俺たちパーティとケイナさんは、再びラズコーの谷へと向かうのであった――。
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