二十四話 姉と情報屋
ノアが実家を去ってから、約一カ月半ほど。
姉妹たちはそれぞれに伝手を使って懸命に彼を探していた。
しかし、思うように成果は上がっていなかった。
この広い大陸において、一人の人間を探すということは姉妹の権力をもってしても困難なのだ。
「そのノアって男は、もうこの国にはいないかもしれねえな」
王都の下町にある場末の酒場。
昼間から安酒の匂いが立ち込めるそこで、ライザはとある男と向き合っていた。
男の名はアーガス。
世界有数の大都市であるウィンスター王都で、もっとも腕利きとされる情報屋だ。
元冒険者で、ライザとは古い付き合いがある人物である。
「ひと月半ほど前に、ノアとよく似た特徴の男が南部行きの馬車へ乗ったって情報があった。恐らくはそこからさらに馬車を乗り換えて、国外へ出たんだろうな」
「ううむ……! 家出してすぐにこの王都を出たというわけか」
「いや、初日は王都の下町に滞在していたようだ。それらしき人物が宿に泊まったって情報を得ている。初めにどのルートを通ってどこへ向かうのか、じっくり計画を練ったんだろうな」
そう言うと、アーガスはグラスに注がれていたエールを煽った。
家から逃亡したノアは、ライザの弟だと彼は聞かされていた。
しかし、実際に行動を探ってみるとライザとは似ても似つかない抜け目なさである。
情報屋である彼は、目の前の剣聖がどれほど取り繕ったところで脳筋であることをとっくの昔に見抜いていたのだ。
「アエリア姉さんの教えが裏目に出たか……」
「アエリアって言うと、フィオーレを率いているあの?」
「そうだ。ノアの魔法以外の座学については、ほとんどアエリア姉さんが面倒を見ていたからな。最近はもっぱら課題を出すだけになっていたが、前は週に五日きっちりと指導をしていたぞ」
「おいおい、あの会頭直々とは恐れ入ったな。あの人の勉強会、参加費いくらか知ってるのか?」
「……さあ、いくらなのだ?」
アーガスの様子からして、それなりに高いのだろうとはライザにも推測がつく。
しかし、具体的な金額については全く察しがつかなかった。
そもそも、座学が好きではないライザのことである。
勉強会の費用など、金を払うどころか金を貰っても行きたくないと思っていた。
「ざっと百万ゴールドだ、百万ゴールド」
「なんだ、大したことないではないか。この前、ドラゴン討伐で一億ぐらい貰ったぞ!」
「それはライザの収入が多すぎるだけだ。百万と言ったら、この王都で三か月は生きていける金額だよ」
「む! それは凄いな!」
勉強をするのにそれほどの金を払うのか、と驚くライザ。
アーガスは目を見開いた彼女にやれやれとため息をつく。
「……つまりだ。そのノアってやつは、きっちり英才教育を受けて頭が良いってことになるな?」
「ああ、そうだな」
「そうなってくると、ますます見つけるのは難しい。こりゃ探すのにも骨が折れる」
そう言うと、アーガスは黙ってライザの前に手を差し出した。
するとライザはテーブルの上を見まわし、自身の前に置いてあった果物を彼の手に握らせる。
「……いや、取ってくれって意味じゃない」
「ん?」
「金だ、金! 察してくれ!」
「そういうことならはっきり言え。で、いくら欲しいのだ?」
「このまま国外まで調べる範囲を広げるなら、一千は欲しい」
「わかった、いいだろう」
ライザはためらうことなく財布の中から白金貨を取り出した。
一枚で百万ゴールドの価値がある高額な硬貨だ。
あっさりと差し出されたそれに、さすがのアーガスも目をむく。
彼の経験上、これほどあっさり金を出す依頼人は初めてであった。
「……いきなり全部は受け取れん。まずは前金で五百だけ貰おう」
「いいのか?」
「全部をまとめてもらうわけにはいかないだろ」
「私としてはもっと払ってもいいぐらいなのだが」
「俺に金を渡せば見つかるってもんでもないからな?」
勘違いしているらしいライザに、すかさず断りを入れるアーガス。
金を渡したからには確実に見つけてほしいなどと言われては、彼も困るのだ。
今回の仕事の難易度は、王国一を自負する彼の腕をもってしても難しいのだから。
「そうか、だったら仕方がない」
「じゃあ俺はそろそろ行くぜ。さっそく仕事に取り掛からないといけねえからな」
「私も家に帰るとしよう」
こうしてライザが酒場から出たところで、見知らぬ女性が彼女に声をかけた。
制服を着ていることからして、冒険者ギルドの職員のようである。
――また、私に依頼が来たのか?
ライザの眉間に深い皴が寄った。
数日前、辺境都市から来た依頼を断った時はかなりしつこく粘られたからである。
「剣聖ライザ様ですよね? 私は冒険者ギルド王都支部のエイミィと申します」
「いかにも私がライザだ。それで、君は何の用があってここまで来たんだ? 私を見つけるのもなかなか大変だっただろう?」
すっかり余所行きの顔となったライザが、剣聖の威厳を保ちつつ尋ねる。
するとエイミィは姿勢を正し、すがるような目をして言う。
「ラージャ支部から、再び連絡がありました。状況が悪化したため、どうしてもお越し願いたいと」
「そのことなら、先日お断りしたはずだ。私はいま問題を抱えていて、この街を離れられない」
「先方は一億の報酬を払うとおっしゃられています」
「すまないが、私にとっては大して意味のない金額だ」
呼び止めようとする手を振り払い、ライザはその場を立ち去ろうとした。
しかしここで、エイミィが思いもよらぬことを言う。
「ライザ様、少しお待ちを! 実は、あなたの探されている弟様の件についてお話がありまして」
「…………どういうことだ?」
「ラージャ支部に、弟様の行方を知っているという方が現れたそうなんです」
「それは本当だろうな?」
声に凄みを効かせるライザ。
最強の剣士が放つプレッシャーに、エイミィは顔を真っ青にしつつも首を縦に振る。
「ち、誓って嘘ではありません……」
「そうか。なら行かねばな」
「……ありがとうございます! さっそく、快速馬車の手配をいたしますね!」
「いや、それでは遅すぎる」
ライザの言葉に、キョトンと首を傾げるエイミィ。
冒険者ギルドが所有する快速馬車は、恐らく大陸でも最速に近い交通機関だ。
これ以上の速さを求めるならば、それこそ騎乗用に飛竜でも飼いならすしかない。
そんなことが出来るのは大国の騎士団ぐらいだ。
「もしかして、飛竜をお持ちなのですか?」
「いいや。だいたいあんなもの、すぐバテてしまって長距離移動には向かないだろう」
「ではどうやって、ラージャまで?」
「足があるじゃないか。走っていけばいい」
そう言うと、ライザは軽く屈伸をして体をほぐした。
彼女はそのまま、戸惑うエイミィを置き去りにして走り出す。
その速度たるやすさまじく、あっという間に通りの彼方へと消えてしまった。
「こ、この街からラージャまで軽く二千キロはあるんですけど……!」
呆然と呟くエイミィ。
剣聖ライザに、一般人の常識はもはや通用しないようであった。
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