十九話 ロックタイタス
ラージャの街から見て、西に広がる境界の森。
その端に沿うようにして、南へ半日ほど歩いたところに大きな湿地帯がある。
パンタネル大湿原。
湿度が非常に高く、昼でも白い霧が立ち込める不気味な土地だ。
生息する魔物も強力な種が多く、ベテランの冒険者でなければ訪れない場所らしい。
「……蒸し暑いですね」
足を止めて、額に浮いた汗をぬぐう。
ねっとりと湿った空気が、身体に纏わりつくようだった。
足場も悪いので、歩いているだけでも結構ハードだ。
「そろそろ一休みしよう。ロックタイタスがいるのはもう少し先だ」
「ロウガさんは、前にもロックタイタスと戦ったことがあるんですか?」
「まあな。前もバーグの親父からの依頼だった」
「へぇ……」
それは心強いな。
もっとも、あくまで俺が受けた依頼だからロウガさんに頼り過ぎてもいけない。
仲間として助けてもらう程度にとどめておかないと。
「ロックタイタスなんていうのは、要はバカデカい亀だ。噛みつきにさえ気をつけていれば、ジークならまず負けないだろう」
「噛みつき、ですか」
「そう。首を伸ばして、一気に食いついてくるんだ。この噛みつく力が強いのなんの。こんなバカでかい岩でもバリボリ食べちまうんだぜ!」
そう言うと、両手を大きく広げるロウガさん。
そんな攻撃を食らったら、人間の身体なんてひとたまりもないな。
俺がごくりと唾を呑み込むと、今度はニノさんが告げる。
「あと注意すべきは、湿原の環境です。稀にですが、底なし沼のような場所があります」
「うわ……そりゃ厄介ですね。見分け方とかはありますか?」
「周囲と比べて、わずかにですが地面の色が濃いです。例えば……あそことかそうですね」
そう言ってニノさんが指さしたのは、俺たちの前方十五メートルほどの場所だった。
よくよく目を凝らしてみると、楕円形の範囲で地面の色が濃くなっている。
「見ていてください。それっ!」
落ちていた木の枝を拾い上げると、ニノさんはそれをダーツのような要領で投げた。
綺麗な放物線を描いた枝は、そのまま色濃くなっている地面の中心に突き刺さる。
すると人の腕ほどの長さがある枝が、あっという間に呑み込まれて行ってしまった。
枝の先が見えなくなるまでに、十秒もかからなかったのではなかろうか。
水を吸って重くなっていた枝であろうが、とんでもない速さだ。
もしあそこに足を踏み入れていたら……ぞっとしない想像だな。
「底なし沼の怖さ、わかりましたか?」
「ええ。戦うときは足元にも注意ですね」
「逆に上手く利用して、獲物を落とすこともできるのですけどね」
自分が落ちる危険性もあるので、あまり推奨しませんがと付け加えるニノさん。
苦戦するならともかく、余裕があるなら使わない方がいい方法だな。
最悪、敵に押し込まれてしまう危険性もあるし。
「ま、ジークなら正攻法で勝てるだろ。その剣もあるんだしな」
「ええ。これなら、ロックタイタスの甲羅でも斬れると思いますよ」
バーグさんから借り受けた黒い剣。
強靭な隕鉄によって造られ、切れ味にも優れたこいつならば硬い甲羅もスッパリだろう。
むしろ、斬れ過ぎる武器であるだけに逆に扱いが難しそうだ。
鞘に納めるとき、指とか切り落としてしまいそうで怖い。
「いや、甲羅を斬れるってどんだけだよ……」
「これだけの剣があれば、それぐらいできません?」
「できねえよ!」
ぶんぶんと首を横に振るロウガさん。
そんなに強く否定することかなぁ?
姉さんは「剣士ならば斬鉄ぐらい出来て当たり前」とか言っていたけれど。
やっぱり特殊な基準だったのか……?
「そろそろ行きましょう」
「ああ、そうだな」
再び歩くことしばし。
白い霧の向こうに、巨大な黒い影が見えてきた。
山と見まごうばかりのそれは、ゆっくりとではあるが動いている。
間違いない、ロックタイタスだ。
しかも、一体だけでなく複数いる。
「いましたね」
「ああ、思った以上に多いな」
「私が飛び道具で一体をおびき寄せましょう。ロウガ、護衛を頼みます」
「わかった。それで、俺たちが引き付けているうちにジークがズバッとやるわけだな?」
「ええ」
うなずくニノさん。
なるほど、作戦はそれで問題なさそうだな。
俺は食いついてきた敵に出来るだけ強力な一撃を浴びせればいいってわけか。
「ではいきます。それっ!」
懐から手裏剣を取り出し、放つ。
十字の刃は激しく回転をしながら、振り子か何かのように急な曲線を描いた。
そして、ロックタイタスの頭に向かって勢い良く吸い込まれていく。
「グオオ!」
およそ亀らしからぬ声を上げたロックタイタス。
その巨体は、これまた亀らしからぬ速さで動き出した。
――ズシン!
ロックタイタスが象のような足を踏み出すたび、地面が震える。
改めてみると、やはりとんでもない大きさだな。
ちょっとした館ぐらいはあるぞ。
「こっちだ、こっち!! こいよ!」
盾を構え、敵の注意を自身へと誘導するロウガさん。
次の瞬間、ロックタイタスの首がグィンッと一息で伸びた。
ワニのような顔と巨大な牙が、ロウガさんの盾を掠めていく。
あれが噛みつき攻撃か、確かに凄い勢いだな!
直撃すれば、たとえ大盾を構えているロウガさんでもタダではすむまい。
「とりゃああっ!」
ロックタイタスの伸びきった首。
それが元に戻るまでに、わずかな間があった。
俺はすかさず黒剣を振り上げると、亀の首に向かって思い切り斬りつける。
――ズバァン!
気持ちが良いほどの切断音。
碧の体液が飛び散り、斬られた頭が宙を舞う。
「よし、まずは一体!」
振り向けば、既に二体目が迫ってきていた。
それだけではない、三体目や四体目までが動き出している。
どうやら、俺たちの存在をいち早く群れの脅威と認識したようだ。
反応が思っていたよりもずっと早い。
これはちょっと……予想外だぞ。
「おいおい! こんな一気にくるのは初めてだな!」
「野生の魔物は、本能で敵の強さを感じるそうです。もしかすると、ジークがあまりにも強すぎたのかもしれません」
「俺のせいですか!?」
「ははは、強いと認められて光栄じゃねえか! こうなりゃ、まとめてやるぞ!」
号令をかけると同時に、俺たちを守るべく前に出たロウガさん。
こうして乱戦が始まるのだった――。
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