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星の夢の終わりに  作者: 上杉蒼太
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第9話 死者が街に来る日

 中央広場に面した一角に、酒場<光の天使>亭はある。

 主に街の人たちが利用する居酒屋で、昼間は軽食を提供する

食堂としても営業している。

 その店に、一人の老人が入ってきたのは昼食の時間をやや過

ぎた昼下がりのことだった。

「いらっしゃい」

 扉から下げた鈴を鳴らして客が入ってきても、中年の主人は

顔を上げずに洗い物を続けていた。

 たった一人の女給が風邪を引いて休みなので、常連客相手で

もかまっていられなかったのである。

「済まぬ。少し遅くなったが、いつものはできるか?」

「なんだ、誰かと思えばダミアンのじいさんか。声を聞くのは

 久しぶりだな。五年前の冬にぽっくり逝って以来……」

 ぴたりと洗い物の手が止まった。

 自分で自分の言葉を反芻し、急速に全身を駆け上がる恐怖と

共に顔を上げる。

 あまり光の届かないカウンターの一番隅の席。

 五年前まで毎日のように昼食を食べにきた指定席に、老人は

悠然と腰かけていた。

「お、おい。じいさん。あ、あ、あんた死んだんじゃ……」

「そうだったかのう?ここに来るまで何をしてたか思い出せん

 のだが、なに忘れてるだけじゃろうて。それよりわしの昼飯

 はまだかのう?」

「だ、だからあんたは五年前に死んで……。うわっ!」

 冬の真昼に幽霊でも出現したかと思い、なけなしの勇気を振

り絞って老人に近づいた主人だったが、突然鼻を刺激した猛烈

な悪臭に卒倒しかけた。

 顔色の悪い老人の体から、胸が悪くなるような死臭が撒き散

らされていたからである。

「なにをしてるんだか……。わしは腹が減ってるんじゃ」

「は、ははっ。昼飯はちょっとだけ待ってくれ!」

 もはや恥も外見も無かった。

 一刻も早くその場を逃れたかった主人は一目散に裏口から飛

び出したからである。

 冷たい季節風の吹き抜ける広場に出て、ようやく大きく深呼

吸する。

 ど、どうなってやがるんだ?ダミアンのじいさんは五年前に

死んでオレも葬儀に参列したはずだ。確か遺体は共同墓地に埋

葬されていて……。まるで甦ったみたいだった……。

 そこまで考えて、顔を上げた主人だったが、見知った顔が墓

地のある南の方から歩いてくるのに気づいた。

 もし知人ならこの恐怖を打ち明けて分かち合いたい。

 そこまで思い詰めて、足を踏み出したのであるが……。

 二、三歩進んだところで。

 主人はさらになる恐怖に全身を支配されて、再びその場から

逃げ出してしまった。

 懐かしそうに目を細めながら堂々と歩いてくるのは、三年前

に病死したはずの自分の父親だったからだった。


 街を襲う怪事をランベルとアネスが知ったのは、居酒屋の主

人がヴァーユ神殿に逃げ込んだ頃のことだった。

 二人で食料品店にいた所に、血相を変えたミリアムが乱暴に

扉を開けて転がり込んできたからである。

「た、大変!共同墓地から……死んだ人たちが復活して街の中

 を歩き回ってるみたい!ちょっと隠れさせて!」

「おいおい。落ち着けよ。夢でも見たのか?」

「そんなわけないでしょう!?あたしも見たんだから!夏に死ん

 だ近所のおじいちゃんに声をかけられたのよ!もう町中大騒

 ぎになってるんだから!この扉にも鍵かけて!」

 まくしたてながら必死になって扉に閂を下ろそうとしている

幼なじみに、ランベルは返す言葉が見つからなかった。

 常識はずれな出来事に、思考がついていけなかったからであ

るが、その隣にいたアネスは違った。

 一瞬顔を伏せただけで衝撃を受け流すと、カウンターから出

て扉に閂を下ろしたからである。

 呆然とするミリアムに、いつもより少し低い声で質問する。

「今街の中を歩いているのは本当に、共同墓地に埋葬されてい

 た人たちなの?」

「間違いないわよ。近所のおじいちゃんも共同墓地に埋葬され

 たんだから。セシルのちょっと前だったし」

「セシル……セシルはいなかったのか!?」

「怖くて逃げてきたんだから分かるわけないじゃない!本当は

 これからギルドに行かないといけないのに」

「わたしが付き添ってあげるわ。それならいいでしょう?」

「アネス?……ねえ、突然どうしたの?」

 死者との再会で恐慌状態に陥っていたミリアムだったが、い

つもと様子の違う少女に、少しだけ冷静さを取り戻した。

「付き添ってくれるのはありがたいけど、今街の中は大騒ぎに

 なってるわ。下手に動かない方がいいわよ」

「ううん。わたしはしなければならない事があるから。少しだ

 け待ってて。準備してくるから」

 困惑と疑問に対するアネスの答えは、行動だった。

 長い髪をふわりと翻して、棟続きの住居の方へと消えていっ

たからである。

「あいつ……突然どうしたんだ?」

「さっきからずっと一緒だったんでしょう?何かあった?」

「いや。今までと変わらないな。あまりしゃべらずに俺の手伝

 いをしてたけど……。待てよ」

 ある事を思いついて、ランベルは赤毛の髪をまとめる幅広な

バンダナに手をやった。

「この前あいつとセシルの墓に詣でたんだ。その時からかな?

 たまに何かを考えるような顔をしてることがあるんだ」

「記憶を取り戻そうとしてるんでしょう?アネスって、記憶が

 無くて苦しんでるんだから」

「それとも違うな。もっと……上手くいえないな」

 自分の語彙の貧弱さに頭を掻いたランベルだったが、内心で

はアネスの<変化>を冷静に受け止めていた。

 今は亡き婚約者が、時々似たような表情を見せては行動し、

自分を取り巻く障害などを取り除いていた事を思い出したから

である。

 やっぱりアネスはセシルに似ている。外見だけじゃない。あ

の捉えどころの無い性格もそっくりだ。もしかすると、今回の

事件にも何か思うところがあったのかもしれない。

 根拠は無かった。

 しかし、慣れない手つきで店の手伝いをしていた少女が自分

から動き始めた事に、内心安堵しているのだった。


 屋根裏部屋に戻って、アネスは小さく息を吐き出した。

 正直なところ、自分でも何をしようとしているのかよくわか

らなかった。

 ただ、ミリアムの怯えた様子を見ている内に、心の中で失わ

れた記憶を取り戻す為の何かが動き出すのを感じていた。

 今何かすれば、記憶を取り戻せるかもしれない。死者が復活

しているのは怖いけど、動かないと。それには……。

 落ち着きを取り戻すのと同時に、アネスは床に膝をついて寝

台の下から大きな箱を引っ張り出した。

 一瞬ためらうかのように手が止まったものの、首を振って勇

気を奮い起こすと蓋を開ける。

 そこには、初めてこの街に来た時に着ていた白と青で彩られ

たコットと、長剣が納められていた。

 これが必要ね。わたしに残された数少ない手がかりだし、い

ざとなったらミリアムさんを守る必要があるわ。

 心のどこかで、もう一人の自分が囁いていた。

 記憶を取り戻し、犯した罪を償うには剣を持つしかないと。

 その<声>は本来の意識とは離れた部分から聞こえてきてい

たが、アネスは気にかけなかった。

 一気に普段着代わりの朱色のコットを脱ぎ捨てると、白と青

のそれに着替えたからである。

 束ねていた髪も下ろして肩の後ろに押しやると、最後に唯一

の武器である長剣を握りしめる。 

 わずかな時間を経ただけで、食料品店を手伝う少女は街の危

機に立ち向かう存在に生まれ変わっていた。

 これが……わたしの本当の姿なのかしら?記憶を取り戻す為

に戦うなんて。でも、全然変だと思わない。

 部屋の片隅に置かれた古い姿見に自分の姿を映して、アネス

は静まり返っていた心が熱くなるのを感じていた。

 とにかく進むしかないわ。どうして死者が甦ったのかまった

くわからないけど、解決すれば何か分かるはず。

 最早部屋に戻ってきた時のような迷いはまったく無かった。

 剣を手に、黒髪の少女は部屋から出て行ったからである。

 その先に何が待ち受けているのか分からなかったが、歩き出

さなければ自らの記憶と過去を取り戻す事はできなかった。

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