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星の夢の終わりに  作者: 上杉蒼太
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第7話 墓守の老木

 ミリアムが深緑色のローブ姿の若い女性と共にグリマルディ

食料品店を訪ねてきたのは、アネスが一人で店番をしていた時

のことだった。

「こんにちは。今日は買い物ですか?」

「ううん。面白い人を紹介しに来たの。ランベルは?」

「今倉庫の整理をしてます。ジャンさんが腰を痛めたので、代

 わりにやっています」

「だったら駄目ね。ま、それはいいとして。こちらは魔術師ギ

 ルドのコールラウシュ導師よ。今日赴任されたばかりなんだ

 けど、アネスが困ってると聞いて力になってくれるって」

「はじめまして。記憶が戻らなくて苦労しているそうね。私も

 お手伝いさせてもらえないかしら?」

 一歩進み出たローブ姿の若い女性……マリアンヌが品のよい

笑顔と共に言ったのはその時だった。

「お節介かもしれないけど、困っている人は見逃せないのよ。

 なんならカマーベルにも問い合わせてもいいわ」

「カマーベル?」

「この国の南西にある学術都市なの。大賢者・アセイ=ラマ様

 を中心にした知識の宝庫だから、今度こそ手がかりが見つか

 るかもしれないわ」

 ミリアムの説明で納得できたのだろう。

 店番をしていた少女は今までの経緯を全て話した。

 もちろん、自分の部屋にしまっておいた長剣と青と白のコッ

トも鑑定してもらった。

「こんな色合いのコットは初めて見るわね。強いて言うならア

 ルデンヌ地方に昔から伝わる色の使い方に似てるけれど、こ

 こまで繊細ではないわ」 

「アルデンヌ地方というと、かなり北の方じゃないんですか?

 マリティア帝国時代の文明が残っていて……」

「ええ。でも、この色合いと繊細さを両立させる事ができる職

 人は……大陸にはもう存在しないわね」

 珍しく、マリアンヌは正直な考えを口にしていた。

 大賢者の直弟子らしく豊富な知識を自在に結びつけて考えて

みたものの、それでも手にしたコットの由来を断定することは

できなかった。

「剣の方もかなり古い時代の装飾が鞘に施されているわね。マ

 リティア時代のものかしら?」

「それはあたしのお父さんも言ってました。だいたい数百年ぐ

 らい前に作られたものだそうです」

 いつの間にか、二人の魔法使いは当の本人そっちのけで推理

を始めてしまった。

 手持ち沙汰になったアネスはしばし彫刻のように動かないで

いたものの、終わる気配がないのでそっと目線を落とした。

 濃い朱色のコットと白い上衣が視野に入ってきたが、長い黒

髪も束ねて下ろしていたので、どこにでもいる若い町娘のよう

な姿だった。

 なんだかこの格好も板についたわね。最初はどうなるかと思

ったけど。でも、こんな事をしていてもいいのかしら?

 額にかかった前髪を軽くかき上げるのと同時に、ふとそのよ

うな考えが浮かんできた。

 仕方ないわね。ランベルさんは記憶が戻るまでここにいても

いいって言ってくれたけど、甘えられないんだから。だったら

店番でも何でもして、少しでも恩返ししないと。   

 本当は、ランベルが未だに見つけようとしない婚約者の身代

わりを務めてもいいと思っていた。

 しかし、当の本人が強く反対したので、パメラなどの取りな

しの末に食料品店の手伝いをする事で落ち着いたのだった。

「あ、ごめん。ほったらかしになっちゃった」

 とりとめなく今までの事を思い返していると、ミリアムのあ

けすけな言葉が耳に届いた。

「あたしったら駄目ね。謎解きを始めると周りが見えなくなっ

 ちゃって。とにかく、コールラウシュ導師がカマーベルに問

 い合わせてみるっていうの。それでいいでしょう?」

「ごめんなさいね。色々考えてみたけれど、決め手が見つから

 なかったのよ」

「いいえ。わたしの為にわざわざ済みません」

 心の底からそう言って、店番の少女は深々と頭を下げた。

 外見に違わない謙虚さに、一瞬不意を突かれたような表情を

見せたマリアンヌだったが、すぐに笑顔に戻ると「お役に立て

なくてごめんなさい」と軽く謝った。

 思った通り、育ちも性格も良い普通の少女ね。でも、今の技

術では再現できないような物を持っているなんて。アセイ=ラ

マ様に報告しないと。そして、監視も……。

 そのような事を考えていたマリアンヌだったが、アネスの問

いかけるような視線に気づいて口を開く。

「そういえば、このお店食料品を色々扱っているのね。私の住

 居からも遠くないし、今後贔屓にさせてもらうわ」

「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

「よかったわね、アネス。こんなに素晴らしい人にも助けても

 らって。きっと記憶は戻るわよ」

「それじゃ、仕事が残っているから私は一度ギルドに戻らせて

 もらうわ。これからもよろしくね」

「あ、じゃあたしも行きます。夕方から聞きたい講義があるし

 実験の続きもやりたいし。アネス、またね」

 マリアンヌがさっさと店を出ていったので、ミリアムは早口

に別れを告げて、その後を追いかけていった。

 後にはアネスだけが残されたが、扉が閉じられる直前に吹き

込んできた初冬の風に、小さく体を震わせた。

 寒いわね。でも、ランベルさんが戻ってくるまでもう少しが

んばらないと……。

 そう思いながら部屋から持ってきたコットと剣を片づけよう

とした黒い瞳の少女だったが、剣を持とうとした瞬間。

 突然痛覚を感じて、慌てて手を離した。

 よく見ると指先が切れて、わずかに血がにじんでいた。

 どうしたのかしら?引っかけたのかしら?

 見直してみても刺などは無かったが、朱色の線が白い指をつ

たい、純粋な痛みは脳に響く。

 何もできずにいる心に警告を発するかのように……。


 北の街・セガンは冬の朝ともなるとかなり冷え込む。

 建物の中にいても、張られた水に薄い氷が張る程で、人は寝

る時にありったけの衣類を着込んだり布を被ったりする。

 それでも、目が覚める時は覚めるもので、その場合思いがけ

ない寒さに体を震わせることになる。

 寒い……。どうして目が覚めたのかしら?

 屋根裏部屋の小さな窓から見える空が暗いことに気づいて、

アネスは寝台の上で白い息を吐き出した。

 少しずれた布などをかけ直すと温かさが戻ってきたが、眠気

はほとんど吹き飛んでいた。

 眠れないわね。でも、起きるにはまだ早いわ。このまま布団

の中にいて……。

 そう思うのと同時に、階下で小さな物音がした。

 一瞬小さく驚いたものの、すぐにある事を思い出してそっと

寝台から抜け出す。

 足音を立てないようにしながら梯子を降りて、物陰から居間

を覗き込む。

 思った通り、着替えを済ませたランベルが出かけようとして

いるところだった。

「ランベルさん、お墓参りに行くのですか?」

 考えるよりも早く、アネスは率直な言葉を口にしていた。

 突然背後から声をかけられて、さすがの少年も飛び上がりそ

うになったようだったが、多少怒ったような口調で切り返す。

「お前、どうしたんだ?こんな時間に。まだ早いぜ」

「なんか目が覚めたのです。ご一緒してもいいですか?」

「どうしたんだ?急に。かまわないけどつまらないぜ。墓地に

 行くだけだからな」   

「だったら少しだけ待ってください。用意してきます」

 小声のやり取りの末、アネスとランベルが揃って家を出たの

はそれからしばらくしてからのことだった。

 珍しく空は晴れていて、東の方は明るくなりつつあったが、

白い町並みを吹き抜ける風はいつになく冷たかった。

「何を考えてるんだ?お前」

 不機嫌そうな声でランベルが口を開いたのは、坂を上り広場

が見えてきた頃のことだった。

「一度セシリアさんのお墓参りしたかっただけです。ミリアム

 さんの話だと、わたしに似てたとか」

「髪と瞳の色は全然違うけどな。そもそも気にすることは無い

 だろ。身代わりにするつもりもないしな」

「でも、ミリアムさんこうも言っていました。わたしが来てか

 ら、ランベルさんの止まっていた時間は動き始めたと。わた

 しはセシリアさんに似ているから……」

 ランベルが立ち止まった。

 禁句を口にしたかと、内心後悔したアネスだったが、聞こえ

てきた次の言葉に安心する。

「そうかもしれないな。俺は意識しない内にお前とセシルを重

 ねていたのかもしれない。でも、お前をセシルにはしない。

 まったく別の人間だからな」

「だったらいいんです。でも、どうしても身代わりが必要な時

 には言ってください」

「そのつもりはない。謎さえ解ければ、必要ないからな」

 聞き取りにくい、小さな声だった。

 それでも少年は、それ以上の質問を拒否するかのように足早

に歩き始める。     

 やっぱり、セシリアさんの事を気にしているのね。不可解な

事故で命を落としているのだから無理ないかもしれない。だか

ら掟に従うのも拒否している……。

「ごめんなさい。ランベルさんの気持ちも知らないで差し出が

 ましい事を言ったりして」

「いいっていいって。でも、お前本当に謝ってばかりだな。あ

 まり繰り返すと逆効果になる事もあるぜ」

「済みませ……あっ。今後気をつけます」

 言ったそばからまたも頭を下げそうになって、白い肌の少女

は口元を手で押さえた。

 頬まで真っ赤になったが、ランベルが振り向かなかったのが

幸いだった。

 その後、会話も無いまま二人は歩き続けた。

 墓地に近づく頃には自然と肩を並べていたのであるが、お互

い相手の事を意識していないように見えた。

「ここが街の共同墓地だ。信仰する神に関係なく、街に住んで

 いた人がみんな埋葬されている。俺の家もひいお祖父さんよ

 り前から墓があるんだ」

 いつもと変わらない口調で赤毛の少年が言ったのは、一面雪

で覆われた広い土地が見えてきた時だった。

 よく見ると、墓の在り処を示す木の柱や石碑が積もった雪の

間に見えていて、辛うじて墓地として認識できた。

「こんな時に来るのは俺ぐらいだから足元には気をつけろよ」

「ええ。ところで、あそこに見える木は?」

 昨日の足跡を確かめながら、婚約者の墓に向かおうとしたラ

ンベルだったが、アネスの質問に足を取られそうになった。

 頭に手をやりながら振り向いてみると、深い朱色のコットと

マントを着込んだ黒髪の少女は墓地の片隅にそびえ立つ巨木を

じっと見据えていた。

「あれは墓守の木だ。なんでもこの墓地ができた時からあるっ

 て話だ。夏になると枝を茂らせるから見栄えがいいけど、こ

 の季節だと不気味なだけだな。この墓に埋葬される死体を養

 分にしているなんて話も……」 

 墓守の木を語る上で欠かせない<冗談>を口にしたランベル

だったが、アネスがその場から動こうとしないので少しだけ心

配になった。

「お、おい。アネス。今の話は冗談だぜ」

「え?あ、はい。わかっています。それより、セシリアさんの

 お墓はどこら辺なんですか?」

「奥の方だけど、俺の足跡があるからそれをたどればいい。本

 当に誰も来ないんだな。この季節」

 文句のような、ぼやきのような言葉を残してランベルは歩き

始めたが、アネスは真剣な表情を浮かべたまま当たりを見回し

ていた。

 墓守の木を見た時から、鏡のように静まり返っていた心がざ

わめくのを感じていたからである。

 どうしたのかしら?初めてこの街の外2来た時と同じね。ま

さか、わたしの過去に何か関係があるのかしら?

 目を巨大な老木に戻し、上から下まで見つめ直す。

 種類は分からなかったが、数百年間風雪に耐えて多くの人た

ちの死を見つめてきた為か、常識では図れない<力>すら秘め

ているような気さえした。

「アネス!どうしたんだ?」

 胸元に両手を置いて、何かを感じようとした記憶喪失の少女

だったが、突然声が飛んできて我に返った。

 墓の前まで行っていたランベルだった。

「済みません、ちょっとぼんやりしてただけです」

「そんな所で突っ立ってると風邪を引くぜ。墓はこっちだから

 早く来たらどうだ?」

 小さく頷いて、アネスは新雪の上についた足跡を辿りながら

歩き出した。

 その瞬間、俄に強くなった季節風が吹き抜けていったが、慌

ててマントや束ねた髪を押さえた少女は気づかなかった。

 風で吹き飛ばされた新雪の下に、街道へ向かっていく足跡が

幾つもあったことに。

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