第6話 若き女性導師の赴任
大陸全体に張り巡らされた<知>の連環の一角に、セガンの
魔術師ギルドがある。
知識神リ=ウの神殿を併設した塔と直方体で構成された建物
であり、内部では学者や魔法使いたちが各種の研究や古からの
知識の伝承などに務めている。
そこに深緑色のローブをまとった若い女性が訪れたのは、ア
ネスがランベルと出会ってから数日後のことだった。
「マリアンヌ=コールラウシュ導師ですね。お待ちしておりま
した。最上階でラザン様にお会いください」
白に近い金色の髪のよく似合う、妙齢の魔法使いの来訪に、
受付の見習い魔法使いは思わず声をうわずらせた。
それに対して女性魔法使い……マリアンヌはかすかに頷いて
みせると、やや足早に塔の最上階に通じる階段を上る。
突き当たりの部屋では、この魔術師ギルドの長であり、リ=
ウ神殿の神殿長でもあるラザン導師が待っていた。
「お初にお目にかかります。アルベール=ラザンです。アセイ
=ラマ様の二十番目の弟子です」
「マリアンヌ=コールラウシュです。ここに赴任するまでアセ
イ=ラマ様より直接教えを受けていました。まずはよろしく
お願い致します」
学究だけで歳を取ってしまったような老導師に、マリアンヌ
は多少皮肉っぽく言葉を返すと勧められるまま椅子にかけた。
「この度は急でしたな。アセイ=ラマ様の命令でここの副長と
いうことで赴任されてきたとか」
世間話をするような口調で、ラザンが話を切り出した。
「はい。ラザン様お一人では荷が重かろうということで私が選
ばれました。なんでも、色々不可解な事件が起こっていると
聞きましたが?」
「最初に起こったのは、今から一月前の隕石落下でした。普通
ならこの街全てを吹き飛ばしかねない程の隕石がまるで着陸
するように落ちてきて……」
「その後、この街の領主であるトゥルヌフォール夫妻が馬車の
事故で急死、跡を継いだのは九死に一生を得たミシェル様と
姉君であるコンスタンス様、でしたね?」
長くなりそうな話を遮って、マリアンヌは聞き返した。
「そうです。ミシェル様は次期当主と目されていたとはいえ弱
冠十二歳、後見人のコンスタンス様も十六歳とあっては今後
どうなるか……。不穏な噂も聞こえていますし……」
「近隣の貴族たちがこの街を狙っているのでしたね。トゥルヌ
フォール家は街領主とはいえ王国内の身分は騎士身分。貴族
ではないのですね」
「その通りです。その他にも幾つか不安な点はあるのですが、
置いておきましょう。ところで……」
相手の表情などを気にすることなくラザンは話を続けたが、
マリアンヌはそれを聞き流しながら別のことを考えていた。
この街に来る前に調べたところ、<不安な点>には見逃せな
い事実が幾つか含まれていた。
まず気になるのが、二カ月前に起きた少女の怪死事件。婚約
者の少年は事故を主張しながらも、この地域特有の<償い>を
拒絶している。そして、ヴァルネス神殿にも腐敗にまつわる噂
が流れているわ。それなのに……。
深緑色のローブを着た女性魔法使いは内心の苛立ちを表に出
しそうになって、袖の中で拳を握りしめた。
雪に覆われたこの港町に何かが起ころうとしている。
それなのに、当事者たちに危機感がまったく感じられなかっ
たからだった。
アセイ=ラマ様も心配されていたわ。一つ一つは無関係に見
えても、結びつけば大陸を揺るがすことだってあるのだから。
やっぱり、私が解決しないと駄目だわ。
「コールラウシュ導師?」
突然、呼びかけられたような気がして、マリアンヌは弾かれ
たように顔を上げた。
同時に、不思議そうな顔をする老ギルド長と目が合う。
「あ、申し訳ありません。ちょっとぼんやりしていたもので」
「カマーベルからの長旅でお疲れでしょう。この階下にあなた
の部屋を用意してあります。休まれてはどうですかな」
「お心遣いありがとうございます。でしたら、私はこれで失礼
させていただきます」
「ギルド内での仕事については改めて説明させてもらいます。
コールラウシュ導師の専門は古代伝承。知識を求める若い魔
法使いに対する講義を期待していますよ」
そう言って、ラザンは人の良い笑顔を浮かべたが、当のマリ
アンヌは形式的に一礼して部屋から出ただけだった。
これ以上のんびりとした空気を共にしたくなかった。
私の本当の役目はこの街に起ころうとしている<何か>を阻
止すること。まずは調査しないといけないわ。
白に近い金色の髪をかき上げながら、階段を降りていく。
大賢者・アセイ=ラマから密命を授けられた以上、休んでい
る暇も無かった。
副長の部屋はすぐにわかった。
階段を一階分降りた先に、明るい茶色の髪を持つ小柄な少女
が居住まいを正して立っていたからである。
「はじめまして。コールラウシュ導師。あたしはラザン様より
あなたのお世話を命じられましたミリアム=カッシニアスで
す。お部屋はこちらです」
「そう。よろしく頼むわね。荷物は着いてるかしら?」
「はい。全て部屋の中に運び込んであります」
そう言って、ミリアムが先導して歩き始めたので、マリアン
ヌもそれに続いた。
同時に、カッシニアスという名前にある事を思い出す。
「あなたは確か、発明で有名だったわね。噂はカマーベルまで
届いているわ」
「本当ですか!?もしかして、アセイ=ラマ様にも……」
「もちろん、ご存じよ。その歳で人の役に立つ事をしているな
んて本当に感心ね」
期待に満ちた表情でミリアムが振り向いたので、若き導師は
そう言って微笑した。
発明に感心も興味も無かったが、彼女なら知りたいことを全
て教えてくれそうだった。
「はい。あたしがギルドに入ったのも人の役に立ちたかったか
らなんです。元々物を作るのは好きだったんですけど、それ
を見た父が入れてくれたんです。あ、こちらです」
「カマーベルにいた時と同じような部屋ね。悪いけど、片づけ
を少し手伝ってもらえるかしら?このままでは寝るのにも困
るわね」
「まかせてください!」
女性導師の言葉にミリアムは弾かれたように頷いた。
自分のことを完全に信用している事がわかって、マリアンヌ
は口元だけで微笑する。
密命を果たす為には、多少の嘘や偽りも仕方なかった。
それからしばらく、二人の魔法使いは家具しか入っていない
部屋を快適にする為に奮戦した。
その間にマリアンヌは世間話を装って、カマーベルで仕入れ
た情報の真偽を手伝いの少女から聞き出したが、目新しい事実
は出てこなかった。
ただ一点を除いては。
「あなたは……その婚約者の少年の事を知っているの?」
剣術使いの少女が森の中で死んでいた<事故>の話になった
時、マリアンヌは多少驚いて確かめ直した。
「ランベルとは家も近かったんで幼なじみなんです。本当はあ
たしがセシリアの代わりをやるって言ったんですけど、それ
も聞いてくれなくて……」
「誰かが死んだ婚約者の身代わりをしないといけないという掟
のことね。どうして彼は拒んでいるのかしら?」
「わかりません。たぶん、セシリアのことを忘れられないから
だと思います。とても魅力的な子だったんです」
婚約者が死んだ時から時間が止まっているのね。カマーベル
で聞いた時には気になったけど、大したことなさそうね。
頭の中にある記録簿の中から、<少女の怪死事件>を抹消し
ようとしたマリアンヌだったが、ミリアムの次の言葉にその手
を止めた。
「でも、最近セシリアによく似た記憶喪失の女の子と出会って
からようやく笑うようになったんです。髪の色も瞳の色も全
然違うんですけど、剣を持っている当たりそっくりで……」
「記憶喪失の女の子?」
「はい。気がついたら街の南……防御壁の外側に立っていたそ
うですけど、それ以前の事はまったく覚えていないんです」
「それは珍しい話ね。詳しく聞かせてくれないかしら?」
妙齢の女性導師に促されて、ミリアムは興奮を隠せずに今ま
での事を全て話した。
マリアンヌは悠然とした態度を崩さず耳を傾けたが、鋭い嗅
覚はそこに<事件>を影を感じていた。
何かありそうね。まずは一度会ってこの目で確かめないと。
「本当に気の毒ね。私にも手がかり探しを手伝わせてもらえな
いかしら?私からもカマーベルの方に問い合わせてみるわ」
「あ、はい!お願いします!だったら一度会ってみたらどうで
すか?今ならランベルの店で手伝いをしてるはずです」
「そうね。片づけが終わったら案内してもらえるかしら?街の
案内もしてもらいたいし」
「わかりました。とにかく急いで片づけませんか?」
思い通りの展開に、発明好きな少女は大きく頷くとすぐに荷
物の整理を再開した。
苦笑いのような微笑と共に、マリアンヌも止まっていた手を
動かし始めたが、心の奥の醒めた部分は、今得たばかりの事実
を少しずつ整理し始めているのだった。