第4話 セガンの発明娘
ランベルの家……グリマルディ商店は、広場と港の中間ぐら
いの位置にあった。
ゆるやかだった坂も、この当たりからやや急になって下って
いる為、道の先には鉛色の冬の海がよく見えた。
「家には親父たちがいるけど気にしなくてもいい。俺がちゃん
と説明するからさ」
吹き抜ける風を受けながら坂の果てを見つめていると、ラン
ベルが声をかけてきた。
「何から何まで……ごめんなさい」
「いいっていいって。親父、ただいま」
かしこまるアネスをランベルは笑って慰めると、扉を開けて
家の中へと入っていった。
内部は広く、暖かったものの雑然としていた。
天井近くまで届く大きな棚が二つ並び、海産物から作られた
保存食、日々の暮らしに欠かせないパンや色々な肉類、豆類が
所狭しと置かれていたからである。
その奥にあるカウンターでは、ランベルの父親のジャンが開
店の準備をしていた。
「ん?誰だ?一緒にいるのは」
「墓参りの帰りに広場で会ったんだ。記憶を失って困っていた
から連れてきたんだ」
「記憶が……無い?」
小銭を数える手を休めてジャンは顔を上げると、ぎょろりと
した目でアネスを上から下まで見回した。
一瞬、何かを言いだけな表情になったが、息子が鋭い目線を
向けると、わざとらしい咳払いをして誤魔化した。
「まずは飯を食ったら神殿に行ってくる。たぶん、何か分かる
と思うんだ」
「ああ。昼までには戻ってこいよ。オレは後で仕入れにいかな
いとならんからな」
「あら、ランベル。その人は誰だい?」
父親が納得して仕事に戻るのと同時に。
奥から出てきた小太りで陽気そうな女性が、同じような質問
を投げかけてきた。
母親のパメラだった。
「墓参りの帰りに見つけてきた記憶喪失の娘さんだそうだ。ま
ったく、世話好きな奴だ」
小銭を大きな手で器用に集めながら、ジャンが答える。
「いいんじゃないのかい。困ってる人を見捨てるよりはね。そ
れより、食事は?」
「それが何も食べてないみたいなんだ」
「あらまあ。だったらすぐに準備するから。とにかく上がって
もらって。本当に気の毒だねえ……」
心から同情する口ぶりでパメラは言うと、そのまま奥に引っ
込んでしまった。
ランベルとその家族のやり取りに口を挟めず、ぼんやりとそ
れを見送った少女だったが、軽く肩を叩かれて我に返った。
「アネス、こっちだ」
「ランベル。その娘さん、名前を覚えていたのか?」
「いや。俺が便宜的につけただけだ」
「セシリアではないのか?」
父親の何気ない言葉に、少年は急に表情を険しくした。
ぶっきらぼうな口調で答える。
「困っていたから助けただけでアネスを<身代わり>にするつ
もりはないぜ。たとえ誰なのかわからなくてもな」
「しかし、このままだとお前は一生罪を償えないままだろう?
それでもいいのか?」
「それでも仕方ないだろ?誰が決めたかわからないけど、あん
なおかしな習慣に従うつもりはないからな」
怒りを必死になって堪えるような声だった。
しかし、今までに何度も似たような議論を繰り返してきたの
か、ジャンは小さく首を振ると、何も無かったように仕事に戻
っただけだった。
「ところで、<身代わり>というのは何の事ですか?」
店の奥にある居間兼食堂まで来るのと同時に、堪えきれなく
なってアネスは口を開いた。
「この街には昔から、婚約者を失った男性、または女性はある
償いをしないといけないんだ。一年間、別の異性を亡くした
婚約者に見立てて共に過ごさないといけない、という忌ま忌
ましい償いだ」
「え?ということは……」
「俺は今から二カ月程前に婚約していたセシリアを<事故>で
亡くしてる。でも、償いをする為の相手は見つけていない。
ただそれだけの話だ」
ランベルと向かい合うように座ったアネスだったが、予想も
しなかった事実を打ち明けられて、かなり戸惑っていた。
罪悪感すら込み上げてきて、拳を胸の前で握りしめる。
「気にしなくてもいい。これは俺個人の話だからな。アネスは
関係ない」
「もしかして、街の人たちがあんな顔をしてたのは……」
「セシリアの死におかしな点もあったし、未だに俺が償いをし
ようとしないからなんだ。ま、従うつもりは無いけどな」
「それでは駄目です」
突然、アネスが身を乗り出したのはその時だった。
少年だけでなく、厨房にいたパメラも驚いた様子で目を向け
てきたが、思いつくまま一気にまくし立てる。
「どんな決まりでも、償いはきちんとしないと駄目です。もし
記憶が戻らなかったら、わたしが<身代わり>になります。
それでもいいですね?」
「お、おい。ちょっと待てよ。俺たち会ったばかりだぜ。そん
な事を簡単に言うな」
「行き倒れになりかけたところを親切にしてもらって、何もで
きないなんて嫌なのです。一年なんてすぐです」
「アネスちゃん、落ち着いたらどうだい?」
気押されて、ランベルが言葉を見つけられないでいると、思
いがけないところから助けが入った。
鯨の脂身とキャベツと空豆を煮込んだ庶民料理……アルテ・
シヴェを鍋ごと持ってきたパメラだった。
「お腹が空いてると気が立ってしまうからね。これでも食べて
落ち着きなさいよ。お代わりは幾らでもあるわよ」
「でも……」
「この子は意地っ張りだけど、ちゃんと筋を通す性格だから仕
方ないのよ。それに街の人たちだっていつかはわかってくれ
るだからね」
のんびりとしているものの、説得力のあるパメラの言葉にア
ネスは急に恥ずかしさが込み上げてきた。
頬を真っ赤に染めて座り直すと、申し訳なさそうに小さくな
ってしまったからである。
それでもパメラは、「気にすることないの」と言いながら鍋
から料理を盛りつけてテーブルに置いてくれた。
「早く食ったらどうだ?冷めたらおいしくないぜ」
「え、ええ。本当に、ごめんなさい」
「さっきから謝ってばかりだな。でも、気持ちはとてもありが
たかったぜ」
ぶっきらぼうな言葉だったが、ランベルは笑っていた。
それを見てようやく感情の波が静まったアネスは小さく首を
縦に動かすと、木のスプーンで煮込料理に手をつける。
余程空腹だったのか、鯨の脂身が調味料のアルテ・シヴェは
とてもおいしかった。
会話が無いまま食事が終わったのは、それから半刻(約三十
分)後のことだった。
「ごちそうさまでした。本当に助かりました」
スプーンを器の中に置くと、アネスは軽く両手を合わせて少
年とその母親に感謝した。
「二日ぐらい何も食べてなかったみたいだな。さてと、そろそ
ろ神殿の方に行ってみるか?正体がわかるかもしれないし、
早い方がいい」
「はい。ところで、神殿というのは?」
「風と商売の神・ヴァーユの神殿だ。神殿長様は若いけどなん
でも相談に乗ってくれる方なんだ」
「ヴァーユ……」
初めて出てきた神の名前に、記憶の引き出しを探ろうとした
アネスだったが、何も出てこなかったのですぐに諦めた。
腹は満たされたが、心の中には大きな穴が開いたままで、そ
れが焦燥感を煽っているかのようだった。
店番をする父親のジャンに小さく頭を下げて、外に出る。
雪は止んでいたが、空は依然として暗く、道の果てに見える
鉛色の海と半ば同化している。
吹き抜ける風の冷たさに、白い息を吐き出した時だった。
「ランベル!」
よく通る少女の声が背後から届いた。
さらりと黒髪をなびかせながら振り向いてみると、膝下ぐら
いまでのコットに長い革靴を履いた少女が勢いよく坂を下りて
くるのが見えた。
明るい茶色の髪は肩の下ぐらいまでしかなかったが、髪の色
と同じ色合いの瞳は、俊敏で愛嬌のある鹿のようだった。
「おい、そんなに走ると転ぶぞ」
「だーいじょうぶ。この靴はあたしが発明した滑り止めが着い
てるから……って、きやっ!」
少女の自信に満ちた発言は、悲鳴と共に消えた。
ランベルの前で止まったところまでは良かったものの、止ま
り過ぎて積もった雪の中に突っ込んでしまったからである。
アネスは思わず口元に手をやったが、ランベルは呆れたよう
な表情を浮かべると、やや乱暴な手つきで助け起こす。
「うーん。こんなに止まるなんて。ちょっと調整失敗かも」
「いつものことだろう?それより、俺は行くところがあるから
話なら後でな」
「今日はギルドに行く前にお昼を……その子、誰?」
ぱたぱたとコットや髪の毛についた雪を払っていた明るい髪
の少女だったが、アネスに気づいて小さく首をかしげた。
それでも、目線が合うなり「はじめまして」と人なっこい笑
みと共に頭を下げる。
「墓参りの帰りに広場で会ったんだ。記憶を失ってて、自分が
誰かも分からないようだから、今からテニールス様の所に相
談に行くところだったんだ」
「だったらあたしも行く!」
ランベルが言い終わるよりも早く、少女は勢いよく手を上げ
て宣言した。
「ランベル一人じゃちょっと頼りないからついてってあげる。
朴念仁だから二人だけだと苦労するわよ」
「お前、そう言いながら好奇心を満たすつもりだろ?」
「ま、そうとも言うわね。どうせギルドにはいつ行ってもいい
んだし、この子を放っておけないし。あ、言い遅れたけどあ
たしはミリアム=カッシニアス。セガンの魔術師ギルドで修
行しているの。よろしくね」
「魔術師ギルド?魔法使いなのですか?」
「正確には発明家ね。この街で<発明娘のミリアム>を知らな
い人はいないぐらいなんだから」
「そりゃ一月に一度は失敗して爆発させたりしてればな」
「そ、それはそうかもしれないけど……。上手くいってる物は
上手くいってるじゃない」
ぽつりとつぶやいたランベルに、少女……ミリアムは思い切
りふくれている。
「広場の街灯もあたしが改良してさらに明るくしたんだから。
亡くなった前の領主様だって喜んでくれたじゃない」
「わかったわかった。それより、神殿に行くぞ。アネスの正体
を突き止めないといけないからな」
「アネス?ふーん。ランベルにしてはいい名前ね。でも、身代
わりにする気は無いんだ」
「当たり前だろ?俺はあんな習慣に従うつもりはないからな」
多少怒ったように言い切ると、少年はそのまま広場の方に向
かって歩き始めてしまった。
取り残された二人の少女はお互い顔を見合わせると、揃って
後を追いかける。
「ランベルって軽そうな顔もするけど、本当はあまり付き合い
良くないのよね。今まで大変だったでしょう?」
「出会ってから随分優しくしてもらってますけど……」
「それは……。って会ったばかりで言うことじゃないわね。で
も、元気出しなさいよ。神殿に行けば何かわかるかもしれな
ないんだし」
微笑して、アネスは小さく頷いた。
それを見て<セガンの発明娘>も、無邪気な笑顔を返したの
だった。