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星の夢の終わりに  作者: 上杉蒼太
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第1話 たとえ世界を敵に回しても


 低く垂れ込めた暗い雲の下を、北風が吹き抜けていた。

 港町・セガンのヴァーユ神殿。

 風と商売の神を祭る<回廊の神殿>も、まるで火が消えたよ

うな淋しさに包まれていた。 

 いつもなら商売繁盛を願う街の人たちで賑わうのであるが、

近づく厳しい冬を先取りするかのように暗く沈んでいた。

 思い出したように雲が切れて、わずかに日が差した。

 光が戻り、風を形にしたように彫刻で飾られた正門と、そこ

を通り抜けたばかりの一人の少女の姿が浮かび上がってくる。

 歳は十七、八というところだろうか。

 この地方では珍しい漆黒の長い髪と黒曜石のように美しい瞳

が印象的である。

 一見すると普通の町娘のように見えたが、神殿を見据える横

顔には強い緊張感が漂っていた。

「まだ、来てないのね」

 小さく息を吐き出して、少女……セシリアがつぶやきを漏ら

したのは回廊に足を踏み入れた時だった。

 白いリボンで一部を束ねた長い髪を季節風になびかせ、両手

を吐く息で温めながら歩き始める。

 非常に丈の長いワンピースであるコットの上から上半身を覆

外衣シュルコと風除けのマントを羽織っていたが、寒さ

は堪えきれなかった。

 確実に近づく長い冬を感じさせるかのように、中庭の池にも

薄い氷が張り、周囲の木々もまた全て落葉して風に虚しく揺れ

ていたが、目もくれずに足を進める。

 吹きさらしの回廊の終点は礼拝所だった。

 周囲を見回して誰もいない事を確かめると、そっと長椅子の

片隅に腰かける。

 祭日ともなると風と商売の神に祈る人たちで一杯になるこの

場所も、沈黙と冷たい空気だけが支配していた。

 まるで今のわたしのようね。味方もほとんど無く、暗闇の中

でずっと立ち続けている。この町に来た時からずっとそうだっ

たわ。でも……。

 質素なマントにかけていた指を離して、セシリアは回廊の方

に目を向けた。

 いつも自分のそばにいてくれた少年を探すかのように。

 ランベルやミリアム、パメラさんたち、そして神殿長様がい

たからここまで来ることができたわ。もう……引けない。たと

え何があっても。

 今日ここに呼ばれた理由はおおよそ見当がついていた。

 おそらく神殿長は心を鬼にして説得してくるはずだったが、

首を縦に振るわけにはいかなかった。

 永遠に続くかのような静けさの中で、寒さを堪えながらこれ

までの事を思い返していた時のことだった。

「セシル!」

 待ちわびていた少年の声が、背後から届いた。


 愛称で呼ばれて、セシリアは反射的に振り向いた。

 礼拝所の巨大な扉に手をかけて、ランベル=グリマルディは

どこかばつの悪そうな表情を浮かべて立っていた。

 赤みを帯びた髪を幅広の布で半分覆い、少しさめた雰囲気と

精悍さを同居させた少年である。

「悪い、遅くなって。すぐにテニールス様の部屋に行こうぜ」

「ええ。……今のうちに言っておきますけれど、わたしの結論

 は変わりません」

「わかってる。俺だって同じだからな」

 簡潔に言い切ると、ランベルは身を翻して礼拝所から出た。

 すぐにセシリアも追いついて、肩を並べる。

 厚手の上衣にブレというズボン、そして単色のマントで肩を

隠した少年の横顔は、多少緊張しているようにも見えた。

 やはり、これからの対面で出てくるはずの<事実>を前に戸

惑っているのかもしれなかった。

 無言のまま、神殿長の部屋の前まで来た。

 一瞬だけ、空中で視線を交差させると、セシリアが意を決し

たように扉を開けて中に入っていく。

「二人とも来たか。まずは座ってくれ」

 フェリックス=テニールス神殿長は、自分の机で二人の信者

を待っていた。

 いかつい体を神殿の責任者としての正装に包み、ヴァルネス

神殿の神官戦士並に短い髪と、小さな鼻眼鏡が特徴的な青年で

ある。

 いつもなら軽口で場を和ませるのであるが、この日ばかりは

固い表情を崩そうとはしなかった。

「ここに来てもらった理由はもうわかっていると思う。アセイ

 =ラマ様からの返事がさっき届いた」

 向かい合うように座ったセシリアとランベルの肩がわずかに

震えた。

 窓から差し込む弱々しい日差しが翳って、室内は薄い闇に包

み込まれる。

「内容は要約すると次のようなものだった。<最後の封印を解

 き放つ事は、この世界の破滅につながる。貴殿は全力をもっ

 てその試みを阻止せよと>。意味はわかるな?」

「はい。わたしがしようとする事は世界を……いえ、この星す

 らも滅ぼしかねない。大陸一の賢者はそう結論を下されたわ

 けですね」

 淡々とした口調で、セシリアが答える。

 ずっと前からその言葉を用意していたかのように。

「そうだ。君たちの事をよく知っている私には止める義務があ

 る。……しかし、引く気は無いのだな?」

「ありません。ここで止めてもこの星は滅びます。その時が先

 伸ばしにされるだけです。それでは意味がありません」

「しかし、最後の封印を解くと何が起こるか、私にも予想はつ

 かない。ただ、間違いなく私でもかばいきれない事態になる

 はずだ」

「たとえそうなっても、俺がセシルを守ります」

 ランベルが身を乗り出したのはその時だった。

 その言葉に、少女は一瞬だけ安心したような表情を浮かべた

が、テニールスは一段と渋い顔をしただけだった。

「どちらに転んでも駄目なら、俺は少しでも可能性のある方に

 賭けます。セシルならできるはずです」

「覚悟はわかるが、状況は厳しい……いや、ほとんど最悪と言

 ってもいい。街の人たちはすでに君たちがしてきた事に気づ

 いている。この上で何かしたら捕まるかもしれない」

「無理もありません。わたしは……それだけの事をしてしまい

 ましたし、これからもすると思います。でも、自分で犯した

 <罪>は自分で償いたいんです!」

 いつもは控えめな黒髪の少女が突然語気を強めたので、テニ

ールスも少し気押されたようだった。

 しかし、手を机の上に置くとなおも説得を続ける。

「それは重々承知している。しかし、第三者の目で見るとセシ

 リア殿のやろうとしている事はこの世界を破滅に追い込むよ

 うにしか見えない。今ならまだ間に合う。最後の封印を解く

 のを諦めてほしい」

「いいえ。わたしは今の世界が好きです。だからこそ、罪を償

 って救いたいんです。他に方法はありません」

「幾らアセイ=ラマでも、この危機を解決できるとは思えない

 ぜ。テニールス様もわかってるんじゃないのか?」

「……その通りだ。しかし、それは私個人の考えに過ぎない」

 乱暴ながらも、正鵠をえたランベルの言葉にテニールスは正

直に認めた。

「私はヴァーユ神殿の神殿長として行動しなければならない。

 だとすれば、セシリア殿を止めなければならないのだ」

「本当に済みません。わたしの身勝手の為に……」

「いや。これは私個人の問題に過ぎない。セシリア殿は自分の

 信じる道を進むといい」

 そう言って、若き神殿長は初めて微笑したが、セシリアもラ

ンベルもつられなかった。

 窓から再び、わずかな日差しが差し込んでくる。

「私の事は気にしなくしてもいい。立場上、説得などはするが

 本当に止めたりはしない。街の人たちの動きについてもこち

 らで牽制する。例の自警団も私に任せてほしい」

「いいのか?そんな事をしたりして」

「もちろん良くはない。しかし、世界を救う為にはそれしか方

 法が無いのでは仕方ない。私もこの世界が好きだからな」

 テニールスが言い切った瞬間、雲が完全に途切れて明るい光

が室内を満たした。

 晩秋の弱くて温かいそれは、三人が共有する微かな<希望>

によく似ていた。


 星が、眠りから覚めようとしていた。  

 表面にある全ての文明を振り落とす目覚めの瞬間は、微睡む

ような夢の終わりと共に近づきつつあった。 

 阻止できるのはきっかけを作った罪深き少女だけだったが、

味方はほとんどいなかった。    

 それでも、少女は希望だけを胸に自らの運命に立ち向かわな

ければならなかった。

 たとえ、世界を敵に回すことになっても。

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