7話 友達
「狙ってみろと言わんばかりに挑発してきたから何か策があるのだろうと予想してたのだけど、まさか何も策なしに私の矢を受けるだけだったとは思わなかったわ 」
間近で声が聞こえてふと目を開けると、アルテミスが俺のすぐ横に座っていた。 彼女が俺の胸を優しく撫でると、刺さった金色の矢は光の粒に変わり空気中に溶けていく。 刺さった傷口はおろか、服さえ穴は空いていなかった。
「まったく…… 精神だけでも死んでしまうのよ? ゲームじゃないんだから 」
「すみません。 肉体じゃなければ死ぬことはないかなって思ったんですけど…… でもこれくらいしないとあなたの意表を突けないでしょ? 」
やれやれと言わんばかりにアルテミスはため息を一つ。
「あなたの意図にまんまとハマってしまったわ。 悔しいけど私の負けね 」
悔しいとアルテミスは言ったが、その表情はとても優しく正に女神の微笑みだ。
「ハーデスの時もこんな感じだったの? まさか本当に彼をワンパンしたわけではないんでしょう? 」
「男と男の勝負だと言ってじゃんけんをしたんですよ。 単じゅ…… 真っ直ぐでアツそうな人でしたから 」
アルテミスは唖然としていたが、クスクスと笑い始めた。 ややしばらく笑って落ち着いた彼女は、俺の目の前で再びパチンと指を鳴らす。 その瞬間、フッと目の前がブラックアウトした。
ゆっくり目を開けると、元通りの俺の家のリビングの風景。 覗き込むようにリーサが俺の顔を見て目をパチパチさせている。
「あっ、戻ってこられましたよお姉さま 」
「気分はどうだヒロユキ、アルの中は気持ち良かったか? 」
「紛らわしい言い方はやめてよペルさん 」
苦笑いの俺に、ペルさんはニヤニヤしている。
「貴女のその不純なところはホント呆れるわ 」
同じく目を覚ましたアルテミスは、赤い顔で恨みがましくペルさんを見ていた。 リーサはパタパタとキッチンを往復して俺達に水を手渡してくれる。
「それで、お前の満足する結果になったのか? アル 」
俺も気になってアルテミスの顔色を伺う。 彼女はフフッと鼻で笑った。
「呆気なく一撃で負けちゃったわ。 方法は別として、まぁ及第点ってところかしら 」
「私の旦那様は人間でありながら強かろう? 」
とても満足気な笑顔のペルさんにアルテミスは微笑みながらため息を一つ。
「そうね、貴女が興味を惹かれるのがなんとなく解る気がする 」
アルテミスは受け取ったコップを一気に飲み干すと、ソファから立ち上がって壁に向かい手をかざす。 するとかざした手を中心に、金色の光の魔方陣が描かれた。
「一度ゼウス様に報告しに戻るわ。 貴女を連れ戻しに来たけど負けてしまったってね 」
そう言うとアルテミスは魔方陣に足を踏み入れる。 『そうそう』と彼女は魔方陣に片足を突っ込んだまま立ち止まり、俺に視線を向けた。
「私の勘違いならいいんだけど…… 誰かを守るということは自分を守れて初めてできることだからね。 自己犠牲では彼女を守るとは言えないわ 」
少し寂しげな表情を残して、アルテミスは魔方陣に消えていった。 風にハラハラと溶けていく魔法陣を見ながら、アルテミスが残していった言葉の意味を考える。
そっか…… きっとアルテミスは過去に大事な誰かを亡くしてるんだ。 今回の彼女との一戦はそれを思い出させる状況だったのかもしれない。 なんだか彼女に悪いことした…… そう考えていると、静まり返ったリビングの雰囲気を断ち切るように、ペルさんが俺の隣にドカッと腰を降ろす。
「何を湿気た面をしている? どんな一戦だったのか私にはわからんが、お前は生きてここにいる。 彼女にはそういう過去があった…… ただそれだけのことでお前には関係のないことだ 」
確かに関係はないのだが、アルテミスのあの言葉の意味はとても重たい。
「んぐ!? 」
ペルさんが唐突に、持っていたクッキーを俺の口に無理矢理押し込んできた。
「お前は優しいな。 もし彼女の意思に応える気があるのなら生きて私を守れ 」
モグモグとクッキーを頬張る俺を見て、ペルさんは柔らかく微笑んだ。
「アルテミスは私の一番の友人だ。 気にかけてくれるのは私としてもとても嬉しい 」
間近で見るペルさんの笑顔は、呆れる程綺麗でいい香りがする。 ウンと強く頷いて、俺も笑顔を返したのだった。
ピンポーン
そんな時、珍しく家のチャイムが鳴る。 玄関のドアを開けるとそこには矢崎カンナがいた。 あまり話したことはないが、卒業式の時に連絡先を交換した高校時代のクラスメイトだ。
「矢崎? 」
「諏訪君、大丈夫? 」
少しオドオドした態度で矢崎はそう言う。 何が大丈夫なんだろう?
「うん大丈夫だけど…… 久しぶり、どうしたの急に? 」
「さっき柄の悪そうな人達に絡まれていたみたいだから 」
どうやら買い物帰りのあの一件をどこからか見ていたらしい。
「見てたんだ、ちゃんと逃げれたから平気だよ。 心配ありがとうね 」
「良かった…… 人だかりが出来てたから覗いてみたら、君が女の子を守ろうとしてるんだもん。 びっくりしちゃった 」
ああ…… この方はとんでもない勘違いをなさってる。 でもリーサのような少女が、大の男を吹っ飛ばすなんて普通考えないよな。
「いや、なんか恥ずかし…… 」
「怪我とかしてない? 君、今一人暮らしなんでしょ? 私に出来ることあったら言ってね 」
高校時代も、面倒見のいい可愛い女子だったと思い出し、懐かしくて少し会話が弾む。
「よく一人暮らしなんて知ってるね。 地理学部の阿部とかその周辺しか会ってないと思うんだけど 」
「私も阿部君と同じ大学の経済学部だから。 それでね…… 」
矢崎はショルダーバッグの中からスマートフォンを取り出して俺に見せる。 よく見ると俺のと同じスマートフォンだ。 慌ててポケットを探して自分のスマートフォンがないことに気付く。
「気付かなかった…… わざわざ届けにきてくれたの? 」
「うん、プロフィール見たら諏訪君だったから。 それともう一つ用事があるんだ…… あのね 」
「客人か? ヒロユキ 」
矢崎が要件を言いかけたその時、俺の後ろから声を掛けたのはペルさんだった。 矢崎は俺越しにペルさんの姿を見て固まっている。
「そんなところで立ち話をしないで中に入ってもらえばよかろう。 客人に失礼だぞ? 」
「そうだね、矢崎は時間ある? お茶くらいどうかな? 」
矢崎はしばらく呆けていたが、ハッと我に返って俺とペルさんの顔を交互に見ていた。
「あ、いや…… えっと。 うん…… いや、はい、お邪魔します…… 」
リビングのソファでリーサが用意してくれたお茶を飲みながら、矢崎は終始上の空だった。 彼女にペルさん達のことを話したのが悪かったのか、何を聞いても空返事しか返ってこない。 結局、もう一つの用事の内容を知ることは出来ず、フラフラと帰る彼女を見送ることしか出来なかった。
「まあ無理もなかろう。 私がお前に召喚された女神というだけでも、こちらでは信じられないことだ。 この非現実的なことをすんなり受け入れているお前が変わり者なのだろう 」
ペルさんは相変わらずコーヒーを楽しみながらフフッと微笑む。
「お前が望むのなら、あの者の今日の記憶を消すこともできるがどうする? 」
ペルさんは静かに俺の返答を待っていた。
「いやいいよ。 俺が変わり者扱いされようが、ペルさんが俺の奥さんなのは確かなんだし 」
「そうか、私の旦那様は変わり者なのだな…… まあそうでなければ私とは付き合いきれんかもしれないが 」
フフフとペルさんはコーヒーカップを片手に優しく笑っていた。