3話 対決
「気が付いたか? 」
なにやら頭がボーッとする。 目の前に見えるのはペルさんの綺麗な顔と大きな胸の膨らみ。 そうか…… 俺はあの後、のぼせて倒れたんだっけ。
彼女をバスルームに押し込んだ俺は、結局頭から足の指先まで洗う羽目になってしまった。 袖と裾を捲り上げ理性を失わないよう、ついでに鼻の穴にティッシュを詰め込んで彼女の全身を洗った。 ボディタオル越しに伝わる彼女の感触にクラクラしながら最後に彼女を湯船に放り込み、体が温まったら出ておいでとドアノブに手をかけたところから記憶がない。
「すまなかったな。 少し無理をさせてしまったようだ 」
頭の下に柔らかい感触…… ソファでしばらく膝枕をしててくれたらしい。
「ご、ごめん! 」
申し訳無くなって起き上がろうとすると、額を押さえつけられて戻されてしまった。
「まだこのままでよい。 残念ながら私は回復系の力は持っていなくてな、癒してはやれんが少しは楽だろう? それに、こうしていると私も心地いいのだ 」
子供を見守るような、優しい笑顔の彼女に俺は笑顔で返す。 いやいや、十分に癒されてますよペルさん。
「こちらの風呂というのは実に気持ちいいものだな。 あちらでは儀式の前に身を清めるくらいなものだからとても新鮮だ 」
儀式というのがどういう意味なのか気になる所だが、膝枕に免じて今は詮索しないでおこう。
ふと気付いたが、彼女越しに見えるリビングの天井の一部がモヤモヤと歪んでいるように見える。 俺は眼を目を擦って何回も瞬きしてみたが見間違いではない。
「ペルさん、あれは? 」
俺が指を指した天井を彼女は見上げる。 まるで水の波紋のように波打った天井のその部分に光の魔方陣が描かれ、その中から突然青髪の少女が顔を出した。
「やっと見つけました! お姉さま! 」
「リーサ! 」
リーサと呼ばれた少女は、『うんしょ』と天井の魔方陣から這い出てきて見事な着地を決めて見せた。 そのまま俺達の元にパタパタと寄ってきて、涙ぐみながらけたたましい声で喚き散らした。
「あの魔法陣からお姉さまの気配が突然消えてしまったのでどうしたのかと思ったら、人間界で何をやってるんですか! 」
ペルさんの登場シーンがあったから別に慌てたりはしないが、人が天井から湧き出てくる現実離れな光景。 ペルさんによるとリーサはセイレーンという種族らしいが、セイレーンと言えば神話では下半身が魚の人魚のような姿だ。 所詮神話は人間の作り話ということか……。
「どれだけ心配をしたと思ってるんですか! $@&#!…… 」
彼女は耳にキンキンくる甲高い声でわめき散らす。
「何をやってると言われれば、この男の嫁をやっているのだが 」
ペルさんは何も動じることなくリーサの質問に答える。
「よ……嫁ー!? 」
リーサは目をまん丸くして驚いている。 それにしてもデカイ声だ。
「おおお……お姉さま! ハーデス様がいながら不倫とはなんたることですか! 」
「あのバカ者とは既に破局していると何回言えばわかってもらえるのだ? 」
ペルさんはため息をつきながらリーサをなだめていた。 そう言えば神話でもペルセポネは冥王ハーデスの奥さんなんだっけ。
「バカ者だなんて…… ハーデス様落ち込みますよ? 」
「あちらに帰ってあのバカ者に伝えろ。 二度と私の前に現れるなと 」
ペルさんがそう言った途端、今度はテーブルの上が光輝く。 その中から仮面を被った大男が腕組みをした状態で、ペルさんと同様ステージセットのようにゆっくりと出てきた。 仮面の奥に光る目は血のように赤く、筋肉質の体はボディビルダーみたいだ。 ド派手な登場だが、そのままいったら……
ゴン!
やっぱり頭をぶつけた。 なんでわざわざテーブルの上から出て来るんだろう…… 彼もやはり両手で頭を押さえて痛がっている。
「心配したぞペルセポネ。 さぁ帰ろう 」
ドスンとテーブルから降りて改めて腕を組み直したこの大男が、きっと冥王ハーデスなのだろう。 太く凛々しい声が王の貫禄を感じさせる。
「黙れバカ者! よくもまぁその汚い顔を私の前に出せたものだな 」
俺と初めて会った時のようにペルさんは無表情でキツイ言葉を投げつける。 ハーデスは腕をほどき背中を丸めてシュンとしていた。 先ほどの貫録はどこにもない。
「お前にはほとほと愛想が尽きた。 二度と私の前に現れるな 」
「そう言わんでくれ。 ペルセポネ、ワシにはお前だけしかいないのだ 」
いきなり弱々しくなった…… 未練タラタラじゃねーか。
「うるさい。 メンテやレウケにも同じことを言ったのだろう? どうせあの二人とも別れていないのだろうが! アテナやアルテミスからもお前にナンパされたと聞いている。 恥を知れ! 」
ハーデスはペルさんに散々罵られてますます小さくなっていた。 次々と女神の名前が出てくるあたり、どうやら手当たり次第浮気して離婚されたらしい。
「ところでペルセポネ、お前が膝枕をしている人間は何なのだ? 」
ギロッと嫉妬心たっぷりの目でハーデスに睨まれる。 ビリビリと神経に触るような威圧感で身体中の筋肉が固まってしまう…… やべぇ、殺されるかも。
「睨むなバカ者。 私の旦那様だ、お前なんかより数倍いい男だぞ 」
「あ? 旦那様だと!? 」
俺を睨めつける目が真っ赤に光る。 ビリビリと空気が震え、家がミシミシと音を立てて悲鳴を上げ始めた。 ヤバい、これでは家が…… いやこの辺一帯が吹き飛ばされるかもしれない。
「やめろバカ者! 」
ペルさんの目も藍色に光り、体全体を薄紫色のオーラが包む。
一触即発。 どうしたらいいのかわからないが、とにかく何とかしようと俺は強張る体を無理矢理動かし、震える足を必死に奮い立たせて、ペルさんを背にハーデスの前に立ちはだかった。
「なんだ? 人間風情がこのワシとやり合うつもりか? 」
ハーデスは威圧感をそのままに仮面の下で薄ら笑いをしている。 奴が本気など出さなくても俺など一瞬で捻り殺せるのだろう。 ケンカしたところで到底敵う訳もないが、黙ってペルさんを横取りされるのは面白くない。
「ヒロユキ、お前…… 」
怖い。 どす黒いオーラを発しているこの神様めちゃくちゃ怖い。 考えろ…… この状況をなんとかする方法が何かあるはずだ……
「勝負だハーデス。 俺が勝ったら大人しく帰ってもらう 」
恐怖で震え上がりそうな体を懸命に抑えながら凛とした態度をとって見せる。
「イキがるな小僧。 貴様なんぞ…… 」
「じゃんけんで勝負だ! 」
凄みを利かせて迫ってくるハーデスの言葉を遮り、俺は大声で叫んだ。
「あ? じゃんけんだと? 」
「どう足掻いたってあんたに力で勝てるわけがない。 公平に勝敗を決めれるもので勝負だ 」
「ヌハハハ…… ぬかせ小僧! 男の勝負は力だ! 戦いだ! 」
ハーデスは大笑いして俺の目の前に拳を突きつけてきた。 じゃんけんとは何だ? と言われたらどうしようかと思ったが、どうやら神々も知っているようで助かる。
「たかが人間風情とのじゃんけんにビビってんのか? 同じ土俵の上じゃ戦えないのかよ 」
ハーデスは無言のまま肩をプルプルと震わせている。 先ほどよりどす黒いオーラが更に大きくなり、仮面の隙間から僅かに見える口元からは白い湯気が立っていた。
「まさか神様が人間からの挑戦を断るのか? 究極の三択だ、人間ごときにじゃんけんじゃ勝てないのかよ? 」
ハーデスの目がより一層輝きを増した。 怒りがピークのご様子だ。
「……よかろう。 ワシが勝ったら貴様を冥府に持ち帰って一万回殺してやる 」
かかった! すかさず右手を後ろに振りかぶり、俺は間髪入れずに合図の言葉を放った。