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2話 日常

 一通り家事を試してみた彼女は、今はダイニングテーブルの俺の向かいに座ってバタークッキーと淹れたてのブラックコーヒーに夢中だ。


「お気に召したようで  」


「これは美味しい。  程よいコクと甘さにサクサクとした食感、そしてこのコーヒーのほろ苦さ…… 幸せだ…… 」


 満面の笑みでクッキーを頬張る彼女は、うっとりする姿もまた美しい。


 家事に関しては全くやったことがないと言うだけあって、フライパンを丸焦げにしてみたり掃除機が爆発してみたり、洗濯洗剤を一箱突っ込んで脱衣所中を泡だらけにしてみたりと散々な成果だった。 女王と言うのだし、まあ仕方ないと思うしかない。


「冥界ではどんな暮らしをしてたんだ?  」


「忘れてれてしまった  」


 彼女はコーヒーを啜りながらあっけらかんと言う。


「……忘れた?  」


「しばらく魔方陣の中に閉じ込められていたものでな。  長い間眠っているとどんな暮らしをしていたかも忘れるものだ  」


  彼女は再びクッキーを口に放り込む。 忘れるくらい眠っていた……  いやそれよりも、仮にも女王が閉じ込められるってどんな状況なんだ? しかもあまり気にしていないのは、閉じ込められるなんて日常茶飯事なんだろうか。


「そんな目で見てくれるな。 任務失敗のちょっとしたペナルティだ 」


 はは……  もしかしてドジっ子ちゃんなのか?


「 まぁ私の話などどうでも良い。  それにしてもこの辺りは平和だな。  退屈そうだがとても落ち着く  」


 窓の外を眺めて彼女は優しく微笑む。


「それは良かった  」


 笑顔で彼女に答えると、ふと彼女は顎に人差し指を当てて考える。 今気付いたが口元の小さなほくろがセクシーだ。


「思ったのだが、お前の嫁になって私はあれこれ楽しい思いをしている。 が、お前は私を嫁にして何か得になっているのか?  特に私は何をした覚えもないのだが  」


「なってるよ。  ペルセポネという女神を独占してる  」


 彼女はフフッと微笑む。


「本当にそれだけなのだな。  今までの人間のように私の力を欲する訳でもなく、何かを強要するわけでもない。  私にも自由にしていいとお前は言う  」


「女神が自分の奥さんって凄いなと思ったんだよ。  本音を言うと、あの場だけで終わらせたくなかったというかなんというか……  」


 ふーんと彼女は頬杖をついてニヤニヤした。


「私に惚れたのか?  」


  惚れるというより思わず見とれてしまう…… 顔が熱くなっているからきっと真っ赤なんだろう。  また彼女に笑われてしまった。


「本当にお前のような奴は初めてだ。  ある程度楽しんだら冥界(あちら)に戻ろうかと思っていたが……  可愛い男だ  」


 なんと返答していいかわからずに黙り込む。


「アフロディーテやヘラにはよくこんな光景を見るが、私相手に赤くなる男もいるのだな……  フフッ 」


 照れたような困ったような微笑みだ。  ギリシャ神話における愛と美の女神アフロディーテや婚姻の女神ヘラがどれだけ美しいのかは知らないが、彼女も十分過ぎるほど美しい。


「へぇー…… こっちの神話もあながち作り話ではないんだな  」


「シンワ?  」


「うん、ギリシャって国に伝わる神々の話でさ、ゼウスやハーデスやアテネや……  ペルさんの話もあるよ  」


「ほう、それは興味深い。  どこに行けば見れるのだ?」


「図書館がベストだろうけど…… その服は流石に目立ちすぎるよなぁ  」


 彼女は立ち上がって自分の服装を見回しパチパチと瞬きをする。


「…… これではダメなのか?  」


「いや…… いいんだけど、場に合わないと言うか。 ドレスを着て図書館に行く人はいないよ  」


 『そうか』と彼女は言うと、パチンと指を鳴らした。 と同時に、パンと一瞬でワインレッドのドレスが粉々に弾ける。


「!?  」


 突然のことで、素っ裸の彼女をまじまじと見つめたまま固まってしまった。 一糸纏わぬ姿の彼女は、『うーん』と唸って天井を見上げて目を閉じる。 やがて霧のような薄紫色の光が彼女を包み、その光が弾けた瞬間、彼女はベージュのワンピースに身を包んでいた。


「昨日見た衣装を真似してみた。  これなら問題ないだろう?  」


 正に神業だ…… いやそれよりも俺、鼻血出てないだろうか……。





 そんなわけで俺達は市内の図書館へ来ている。  長い綺麗な足を組んで閲覧フロアで読書に励んでいる彼女は、どこかのセレブのような雰囲気で地味めな服装でも明らかに浮いている。 周りの男達はその姿に二度見ならぬ三度見し、中にはガン見して鼻の下を伸ばしている奴もいた。 男として気持ちはわかるが、嫁をジロジロ見られるのはなんか落ち着かない。 かれこれ2時間……  まさかギリシャ神話にこんなに食いつくとは思わず、暇を持て余した俺は適当に選んだ小説を開き、彼女と並んで座っていた。  チラっと彼女の様子を見ると険しい顔をしたり、時には吹き出したりしている。


「そう言えば日本語読めるんだね  」


 暇だったので素朴な疑問を投げ掛けてみた。


「翻訳の力を使っているのだ。  文字ならず言葉もその力のお陰だがな  」


  そう言えば違和感が無さすぎて気付かなかった…… さすが神様。


 「それにしてもこのギリシャ神話というもの、かなり過剰ではあるがよく調べてあるし表現が面白い。 もしかしたらこのギリシャという地方は、私らと深い繋がりがあったやも知れんな。 興味深い…… 」


「なんなら貸し出しにしようか?  」


「貸し出し?  こちらでは書物庫から持ち出して構わないのか? 」


  彼女は真ん丸な目をして驚いていた。


「手続きさえ済ませれば一週間持ち出していいんだよ 」


「そうか! 是非そうしてくれ。 ここの椅子は固くてお尻が痛い  」


 彼女はパタンと辞書のような本を閉じ、ニコリと笑って俺の前に差し出した。





 家に帰ってくるなり、彼女は再びギリシャ神話の分厚い本を開いて没頭している。  先に風呂を済ませた俺は彼女にコーヒーの差し入れをした。


「ご苦労……ではなかったな、ありがとう  」


 ゆったりとソファで読書していた彼女は俺に微笑んでくれる。


「お風呂空いたよ 」


 微笑んだまま彼女は目をパチパチさせている。 なんのことを言っているのかわからない様子だ。


「風呂は入らないの?  うーん、湯浴みと言った方がわかりやすいかな?  」


「もちろんするが、お前はこれから何か儀式をするのか? 」


「…… ん?  何も儀式なんてしないけど  」


 彼女は怪訝な顔で俺を見ている。  風呂にしてもあちらとこちらではなにやら意味合いが違うらしい。


「いや、一日の汗を洗い流しただけなんだけど  」


「そういうことか。 こちらの習慣なのだな?  試してみよう  」


 女神は汗などかかないと豪語していた友人の話を思い出し、それは本当だったと一人で納得する。  俺は彼女をバスルームに連れていき、シャワーの使い方やシャンプー、コンディショナー、ボディソープのボトルを説明した。


「そうか。  ではよろしく頼む  」


  突然彼女の服がパンと弾けて無くなる。  俺はまたまじまじと彼女の一糸纏わぬ姿を見てしまった。


「ち、ちょっと待て!  よろしく頼むってどういう……  」


「説明されたところでよくわからんからな。  実際にやって見せてくれということ……  おやどうした?  真っ赤な顔をして  」


 彼女は照れもせずに細くくびれた腰に手を当てて言う。 真正面から見る彼女の全裸はある意味芸術なのだが、生身の女性に免疫がない俺には刺激が強すぎた。  俺は堪らず彼女の両肩を掴みクルリと反転させてバスルームに押し込む。  髪は洗ってあげられるが体は無理っすペルさん…… 

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