第六章 迷宮とは
「やっと一段落か……」
迷宮主としての特性なのか、迷宮内でどれだけ動き回ろうとも疲労感は無い。
それどころか一向に眠気すら感じないのだから、迷宮内とはいえ年中無休で活動ができそうだ。
結果、慣れない事をした精神的疲労が大きい。
だが、そんな努力の甲斐もあり、見渡す限りの茶色い土塊は無機質な石造りへとリフォームされた。
全部屋が石造りとなっているが、自身の未熟な迷宮操作能力と応急処置である事の結果である。
今後時間を見つけては徐々に改築していけばいいだろう。
迷宮内の気温は暖かくも寒くもないが、流石に石の床や壁はひんやりとしている。
和御が購入した絨毯がなければ足冷えに悩まされる事になっていた。
「いやぁ、迷宮って凄いな。エネルギーさえあれば何でも有りっていうのは誇張じゃなかったか」
迷宮を創造してから1日も経ってはいないが、超常的な力の片鱗を知る事となった。
浴室を造れば、掛け流しの浴槽が。
注がれるお湯は言葉通りの無限であり、常に一定の温度に保たれた。
排水や湯気はそのまま迷宮へと吸収、分解され、浴室は常に清浄な状態に保たれている。
トイレも汚水は迷宮が自動で処理してしまうので問題は無い。
キッチンでは、ガスも無しに点火ができるコンロに、ただただ冷える冷蔵庫という名の氷室。
驚いた事に、触れるだけでゲーム機の充電までできてしまった。
これらの現象の原動力は、地脈から得たエネルギーと聞いている。
そして信じ難い事に自身の感覚が確かならば、これら全てのエネルギー消費量は許容総量からして1パーセントにも満たない。
それどころか消費を大幅に上回る供給に圧倒されてしまう。
恐ろしいのは、将来的に地脈からの供給が追いつかなくなる事か。
まだ遥か先の事だが、生き延びていればいつかはぶつかる壁である。
「まっ、まずは一年生き延びるのが目標だな」
部屋を見回って瑕疵が無いか確認する。
歩くうちに、リビングへと辿りついた。
壁と一体化したコンテナの扉が一番最初に造られた部屋である事を主張していた。
「お茶を淹れましたので一息いれませんか?」
リビングでは和御がお茶を用意していた。
気合を入れて造ったキッチンが有効利用されているのは嬉しい。
和御の厚意に甘えて休む。
代金は国が肩代わりしてくれるので思い切ってお高い物を注文した甲斐があった。
貧乏舌でも美味しいという事だけ分かる。
煎餅が欲しくなるが、注文していない事が悔やまれる。
「……さて、環境も整って一息もつきましたし、迷宮の性質を把握してしまいましょうか」
「え? 本当に一息? もうちょっと休憩しない?」
まだ一啜りしただけなんだが。
「その考えは甘いです」
一言で切り捨てられた。
「過去にこんな事がありました。当時は迷宮主に負担を掛けないよう、生活環境を整えるのは数日掛けて行う事になっていました。それまでの日常が殺し攻略されの生活へと一変するのですから仕方ない面もありましたが――それが失敗でした」
「――っ」
真剣な口調に思わず息を呑んでしまう。
「“核ハンター”という言葉を聞いたことは有りますか?」
「たしか、迷宮核だけを狙う探索者の事だったか」
探索者であった時でも噂話しか聞かなかったが、彼らは強さを求める戦闘狂であり狂信者でもあるという。
「そうです。彼らが迷宮核を狙うのは富や名声ではなく、その恩恵を得るためです」
「目的は迷宮核を砕いて手に入る“異能”か……」
核を砕くと迷宮核に内包されたエネルギーが砕いた人間に取り込まれる現象が起こる。
その際、迷宮核の超常的な能力が人知を超えた力を与えるという。
「彼らは迷宮核の為ならば手段を選びません。その結果、我々“迷宮省”に内通者が潜り込む事態まで発展していました。……気が付いた時には新設迷宮の大半は創造と同時に襲撃を受け、公式には正規攻略済みと資料を改竄されていました。この事実が発覚したのも奇跡的に生き延びた迷宮主からの報告が切っ掛けでした」
「…………」
言葉も出ない。
“異能”は炎を巻き上げ、重力を捻じ曲げたりと様々。
その光景はまるで創作の様。
そんな超常的な力は更に迷宮核を砕く事により、強化や新たな異能を手に入れる事ができる。
迷宮核を砕き続けた果てに在るのは人を超えた何かか。
そこに神の様な上位者の姿を見てしまう者が居てもおかしくはない。
「一種の信仰染みた彼らの考えには賛同者も多く、迷宮省も内通者への対策していますが完全ではありません。ですので迷宮部分を造るまでは駆け足で進めたいと思います」
「その話を今するっていうのは、内通者を警戒しての事か?」
「そうです。迷宮内は外と隔絶された空間、隠しカメラや盗聴器などの電波を遮断することができますので。内通者の存在を仮定して誘導や油断を誘う為、内密にしていた事につきましては申し訳ありませんでした」
思い返せば、家具や食料などの物資は国から手配された物であり、届いたのは今日だ。
個人で以前注文したゲームや雑誌などの小物は日を置いて和御が直接持ってきていた。
近くのゲーム屋で買えるゲーム機が届くまでに時間が掛かっていたのは、盗聴器等の検査をしていたからか。
そんな彼女の頑張りに引きつった笑いしか帰せなかった。
「……ああ、うん。その選択は正しかったようだぞ?」
隠しカメラや盗聴器と聞いて思わずコンテナ内部を迷宮主の能力で精査してしまった。
部屋作りで散々行使した為か、迷宮内部の事は自身の体の一部かの様に手に取るように分かってしまう。
それこそ、コンテナ内に音が響くたびに発せられる波とかが。
TVのワイドショーなどで自宅に盗聴器が仕掛けられた人が動揺する姿があるが、理解できてしまった。
急ぎ確認してみれば注文した置時計からであり、内部を改めれば物的証拠が現れてしまった。
「よし、早速防衛線を敷こう!」
蛇行に蛇行を重ねたフルマラソン並みの道でも作れば時間稼ぎになるか。
「その為にまずはこの迷宮の性質を把握しましょうね」
やんわりと嗜められてしまった。
「……あ、そうだちょっとに聞きたい事が」
本題に入る前に聞きたい事を質問する。
「迷宮について、ですか?」
「ああ、探索者をやってた時は、迷宮は甲種以外は半分お遊びって認識しかなかったからな。それ以外に詳しい事は知らない」
自身が迷宮に関して知っている事はそこまで多くない。
迷宮主として裏事情を知ったが、迷宮自体については種別による利害の違い程度しか知らない。
迷宮についての研究は幾つか発表されているが、一般に広まっているかと言えばそうではない。
関わりの深いはずの探索者であっても、潜って資源を回収する以外に興味はないのが大半だ。
その事を含めて伝えると彼女は驚いた。
曰く、誰もが知っているものだと考えていたそうだ。
彼女は迷宮の管理、維持を主とする“迷宮省”の人間だからか、“知っていて当たり前”の境界線が違いすぎる。
「……そうですか。なら、先ずは基礎知識から教えます。細かい話は防衛線を敷いた後にしましょう。――こちらをどうぞ、私なりに迷宮に関する事を纏めた物です。今後時間が出来た時に読んでみて下さい」
そういうと彼女は手提げの鞄から本を取り出す。
辞書並みの厚さの大判書籍が小さな鞄からぬるりと出てくる様は少し面白い。
……実際の容量が外見の何倍もある拡張鞄か。あの大きさで車並みの値段なんだよなぁ。
かつて手が届かなかった一品を常用できる程度には彼女は稼いでいるのだろう。
受け取った本の重さに彼女の頑張りが見えた。
「では、迷宮について話しましょう」
●
「“迷宮”とは物理、概念問わず、森羅万象を糧に成長する存在です」
初っ端から理解の範疇に飛び出した。
「具体的に言うならば“エネルギー”が分かり易いと思います。有名どころでは熱、光、電気、位置、運動といったエネルギーがありますが、それ以外にも喜怒哀楽の感情や生命力といった概念すらエネルギーとして糧とします」
「喜怒哀楽の感情……ああ、だから遊園地や行楽地と化した迷宮があるのか」
一般人向けとしてそういったものが存在しているのは知っていた。
一年を通して季節や天候に左右されないという利点を上手く活用した形だ。
「それだけではありません。命がけのやり取りの中での闘志や今際の絶望も糧となります。マスターの迷宮ではこちらのエネルギーが主になるでしょう」
「絶望を糧に成長って何だか辛気臭くなりそうだな……」
「純エネルギーに変換しますので問題はありません。また、有機無機問わず物質を分解することでも糧となります。こちらは生み出した魔物や探索者の死体が主になると思います」
「それは探索者をやっていれば嫌でも知るさ」
おかげで何度ご同輩の遺体を持ち帰れなかった事か。
「以上が迷宮の基礎となります。そして甲乙丙と“種別”についてですが、迷宮としてはどれも同じです。ただ迷宮主との同調率による迷宮機能の制限で別けられています」
「同調率? 制限?」
「はい、“丙種”は創造の制限。迷宮核との同調率が5割を下回る人の迷宮です。
迷宮の構造変化しかできませんので、広大な土地に均しての農用地や工場としての利用が多いですね」
迷宮という新たな土地は、“大和国”という島国に自給自足を実現させた。
「“乙種”は生命の制限。同調率が5割以上10割に届かない人の迷宮です。
魔物のような超常生物は生み出せませんが、既存の鉱石類や植物の創造はできるので企業や研究地として利用されますね」
迷宮主という希少性故に数少ないが、迷宮企業という新たな形態は国中の市場を一変させた。
「この2種は基本、迷宮として運営される事はありません。何故なら――」
「“死ぬ”事ができないから、だ」
言葉を遮ってしまったが、それは元探索者として言うべきだ。
その事に和御は不満に思うどころか嬉しそうに笑みを作った。
「はい、そうです」
首を落とされても、心臓を貫かれても死ぬ事はない。
五体満足で迷宮の入口へ戻されるだけだ。
その機能は元々迷宮核が持つ安全弁という話を聞いたことがある。
「残る“甲種”は無制限。核と完全同調し、迷宮の能力を十全に振える人の迷宮です。
エネルギーがある限り、既存の物質や動植物は勿論の事、超常生物や未知の資源を生み出すこともできます。資源の生産力も他の2種と隔絶していますね。そして……唯一、甲種でのみ生物の殺害が可能です。探索者にとっては主な活動場所になっています」
甲種は国を代表する10の大迷宮、そして100に満たない小中迷宮が存在している。
その中で血が流れなかった迷宮は無い。
「丙種、乙種が殺害不可の理由は生命エネルギーを扱う事ができないためです。生物の創造が制限されているのも同じ理由ですね」
「何で生命エネルギーだけが扱いが別なんだ?」
「それは情報量の違いです。生命エネルギーには魂を構成する情報が含まれており、純エネルギーに変換するには機能が十全でなければ処理が滞るためです。
そして生命エネルギーは言葉通り命を与えるために必要なのです。魔物を、生物を生み出す切っ掛け、命を吹き込むための素材なんです」
その言葉にすとんと腑に落ちた。
「生物を作るのは乙種でも可能です。ですが動かすための意思が無ければ呼吸するただの血袋でしかありません。その意思、魂の種を作るために使われるのが生命エネルギーなんです」
「魂……」
言葉にして納得する。
迷宮主として、感覚で理解できてしまった。
「植物も生きているという話もありますが、受動的に“ただ生きるだけ”なら問題はないのです。呼吸する血袋であっても肉体は成長し、子を成し、老衰する事はできます。ただ、意思を持って能動的に行動してもらうのに必要というだけです」
聞けば聞くほど迷宮主の力は人知を超えている。
「そして最後に“迷宮の性質”です。迷宮核には人と同じように個性があります。一芸に秀でているものもあれば、その逆も。物理的なものから概念的なものまで。その有様は千差万別です」
「なら、どうやって調べるんだ?」
胸の迷宮核に意識を向けても、分るのは核の存在だけであり個性までは分からない。
「完全ではありませんが、ある程度可能性を絞る事はできます。迷宮の眷属である魔物を召喚する事です」
幾つかの資料を机に並べる。
それらは他の迷宮の特徴を纏めた物。
和御はその中の一枚を指差した。
そこに記された迷宮はよく知っている。
「このマスターが命を落とした迷宮、『深き湖沼の粘』では魔物はスライムが主軸となっています。これは迷宮核が“スライム”という個性を持っているからであり、動植物系の魔物が皆無なのは個性を大きく外れる魔物は召喚できないためです」
「成る程……召喚された魔物で個性の方向性を予想するのか」
「そうです。ですが、個性によっては一見して分かり辛い場合もあり、予想と大きく外れる場合がありますので早計は禁物です。……以上で説明は終わりです。では、一度召喚してみましょう」
「そうだな。防衛線も敷きたいし、迷宮核もどんな個性か知りたいしな」
温くなったお茶を一気に飲み干して立つ。
筋肉を伸ばすように軽く伸びをして深呼吸。
「とりあえずどんなのが出てくるか分らないし、新しく部屋を作るか」
「いい考えです。万に一つでドラゴンの様な巨体や、ラフレシアの様な腐臭を放つ魔物であったら悲惨ですから」
「あ、そういうのもあるか」
後ろに和御を引き連れてリビングを出る。
和御の例えに念のため、生活空間から離れた場所に召喚場を作ったが、直後にそれは正しかったと安堵した。