ハル・ウヅキ・シーズン
次の次の日になった。
国の使者の看板は降り積もった雪で完全に埋まり、家もついに屋根先まで埋まってしまった。10年生きてきてこんなに雪が降ったのを見たのは初めてだ。
久しぶりに雪がやんで青空が見えたので、私は外に出て村の大人たちに塔に行くのか聞いたけど、どうやら誰も塔に行く人は居ないみたい。誰に聞いてもお父さんやお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃんが言ったことと同じことを言うだけだ。
なんだかつまらなくて、私は森の方へ行こうとするとお母さんが声をかけて来た。
「あんまり木の近くに行くんじゃないよ。小川の上も歩いちゃダメ、分かってる?エリーザ」
木の周りはぽっかりと穴が開いていて、雪が緩い。だから足を滑らせて中に落ちてしまうとアリジゴクみたいになって上によじ登れないんだ。小川もそう。普通に歩けそうだけど、一歩でも踏み抜けばあっという間に冬の冷たい川に落ちて抜け出せなくなってしまう。
お母さんは結婚してから中々子供が出来なくて、その時に悩んでいた色んな事、そしてひい婆ちゃんの言葉で毎日笑って過ごしていたら私が生まれた事をいつも私に聞かせる。私はお母さんが待ちに待ってようやく生まれた子だから、いつも心配して私が何かしようとすると先回りしてあれに気をつけなさい、これに気をつけなさいと言ってくるんだ。
だけどそんな5歳の子に言うような事言わなくてもいいのに、と私はムッとして、無言で走り出した。
走って木々の間を駆け抜け(お母さんに言われなくてもいつも木の近くには寄っていない)小川が流れている所へとたどり着いた。
雪に埋もれていて何も見えないけど、雪が一段低くなっているのでこの下に小川があるのは分かる。もうこの時期なら小さい魚が小川を泳ぎ回っているのが見えるはずなのに。
私はもっとつまらなくなって雪に埋もれている小川にそって歩き出した。
「こう雪ばっかりだとつまらない」
私は隣に誰かいるかのような大声で話した。
「寒いし、雪は冷たいし、家も埋まるし…」
と一人でぶつくさ言いながら歩いて行くと、妙なものを見つけてしまった。向こうの木がおかしい。
何がおかしいんだろうと私は考えて、気づいた。一部の木たちに白い雪が乗っていないんだ。
それどころか秋に散ってしまった木にも黄緑色の柔らかい葉っぱが生えて、そこだけ春になったみたい。
私は驚いて二歩、三歩と進んだ。背伸びをして見ると、ずっと奥向こうから一列に春の芽吹きが続いている。
私はそれを見て嬉しくなって走り出した。
「春!春が村に向かってきてる!」
だけど、その嬉しい気持ちはすぐに悲鳴へと変わった。雪の下に小川があるのをすっかり忘れて雪を踏み抜き、川に落ちてしまったのだ!
厚い靴にあっという間に水が入り込み、何かを掴もうとしても雪がボロボロと崩れるだけで上に上がれない。
ああ、私はここで死ぬんだわ。
そう思った瞬間に意識が飛んだ。
それからどれくらい時間がたったのか、暖かさに目を開けると、目の前には黄緑色の柔らかい長い髪の毛を垂らした女の人が私を抱え、心配そうに見下ろしていた。
周りは柔らかい草が萌え出て、色とりどりの花が咲いている。その周囲をグルリと私がお父さんに肩車してもらうより高い雪の壁が取り囲んでいる。
その女の人からは黄色の光があふれているようで、とても暖かく気持ちいい。周りからはチョロチョロと小川の流れる音が聞こえる。
「…天使?」
一回病気で死にかけたお爺ちゃんが言っていた。
ベッドで痛みに耐えていたら、いつの間にか暖かく花がとりどりに咲く小川の傍にいたと、そしてどこからか現れた綺麗な天使が「あなたはここに来るにはまだ早い」というや否やベッドの上に戻っていたと。
その状況と、今の状況、あまりにも似すぎている。だけど天使は首を軽く横に振って優しい声で囁いた。
「いいえ、天使ではないわ」
「じゃあ誰なの?」
きっと天使なんでしょう、と私は続けて言った。天使は困ったように口をつぐむと首を横に振った。そのたびに花の匂いが漂って私はうっとりする。
「天使ではないの。私は…」
そこまでいうと何かに脅えるような顔をして口を閉ざしてしまう。
どうしたの?と言いかけて、私は気づいた。まだ自己紹介もしていないのに相手の事を聞き続けるのは失礼だと思ったんだ。
「私はエリーザ。すぐそばの村に住んでるの。今年で10歳よ」
私が起き上がりながら自己紹介すると、天使は私を華やかなピンクの目で私を見た。
「私は…」
真っすぐに天使を見ていると、天使は私を一度二度見て、意を決したように口を開いた。
「私はハル・ウヅキ・シーズン。この国の春を司る季節の女王の一人です」
「春の女王!」
私は目を見開いて春の女王様をまじまじと見た。きっと綺麗な人なんだろうと思っていたけど、まさかこんなに綺麗で可憐な人だとは思わなかったんだ。
けど私の驚きはすぐさま疑問に変わって、つい私は春の女王様に非難がましく言ってしまった。
「春の女王、どうして季節の塔に入らないの?そのおかげでもうとっくに春になっても良いころなのに全然春にならないの。おかげで家も屋根まで埋まっちゃったのよ」
そういうと春の女王は途端に悲しそうな顔になってうつむいてしまった。その顔を見て私は言い過ぎたと後悔して慌てて謝った。
「ごめんなさい、あの、言い過ぎたわ」
だけど春の女王は首をまた横に振った。また花のいい匂いが周りに漂う。けど、私にはまた疑問が浮かんできた。
「けどどうして女王がこんな山の奥にいるの?」
国の使者すら数日前に初めてやって来るくらいの山の奥だ。それなのにどうしてこんな所に女王はやって来たのだろう。
春の女王はまた脅えたように顔を上げるけど、言おうか言わないか悩んでるように見えた。
「ひいお婆ちゃんも離せば楽になることだってあるんだよって言ってたわ。それにあなたが塔に入らないとこの国はずっと冬なのよ。この前も国の使者が…」
「国の使者!ここにまで!」
春の女王は驚いたように声を上げ、そしてついには目から涙を流して私にしがみついた。
「助けて!シーズン国国王に私は命を狙われているの!」