第3話 包丁人と半妖精 後編
「ようし、できたぜ、ピーニャ」
「うわ……すごいのです、オサムさん。これは何なのですか?」
「まあ、料理というにはおこがましいが、硬くなったパンを揚げたものに、塩を振ったもんだな。ちょうど、干し肉もあったから、そっちもサッと揚げてはある。何だったら、はさんで食べてもいいぞ。いや、ピーニャが火を使えて、ほんと助かったぜ。さすがに、こんなカチカチのパン、そのまま食うとあごが疲れちまうよ」
できあがったものを見ながら、驚きを隠しきれないピーニャ。
もちろん、ピーニャもオサムが料理をする姿をずっと見てはいたのだ。
というか、ピーニャ自身も、火を使う段になって、手伝って、魔法を使ったりもしていたわけだし。
少なくとも、『気配遮断』の結界内で、かつ、周囲に遮蔽物がある場所でなら、火を使うことも可能ではある。
可能ではあるのだが、まさか、火で何かを焼くのではなく、熱したポーションを使って、それで料理をするなどとは思いもよらなかった。
『なあ、ピーニャ。これって、油だな?』
『なのです。油を原料に使ったポーション……回復薬なのですよ』
『へえ、これがポーションか。まあ、それはいいとして、これも油として使えるってことだよな?』
『はい? 油として使う、なのですか?』
『ああ。さすがに、このくらいの食材だとなあ……焼くだけじゃどうしようもないだろ。少しは揚げて、柔らかくしないと美味くないぜ?』
そう言って、どこから取り出したのか……いや、もちろん、出所は想像がつくが、よく洗った鉄兜の中に、ポーションを一本分注ぎ込むオサム。
『いや!? オサムさん、何やってるのですか!?』
『何って、揚げ物の準備だよ。パンと干し肉を油で揚げれば、少しは食えるもんになるだろうぜ』
『もったいないのですよ! 折角のポーションが!』
『何、この辺のモンスターが相手じゃ、こんなもん役に立たないだろ。それなら、料理に使ってやった方が、こいつらも喜ぶってもんさ』
『あの……オサムさん、このポーションってものすごく高いのですよ?』
『そうなのか? まあ、そうは言ってもな。飢え死にするよりもいいだろ? それより、ピーニャ、お前さん、火の妖精だったろ? ちょっと火を使ってもらってもいいか?』
『はあ……大丈夫なのですが……』
そんなこんなのやりとりの後で、無事、こんがりと揚がったパンと干し肉が、ピーニャの前に並べられているというわけだ。
ピーニャもあちこちを旅していたが、こんな熱した油に食べ物を浸すような料理は初めて見た。
それはそうだろう。
オサムは気にもしていないが、このポーション一本でどのくらいの価値があるか。
一食のために、ポーション一本では割に合わないのだ。
だけど、とピーニャは思う。
この目の前に並べられた料理。
揚げたパンに塩を振られたものと、干し肉を小さく切って、油で浸したものと、それらふたつが何とも言えない香ばしい匂いを漂わせているのだ。
ただ、ポーションで温めただけなのに。
それが、ピーニャにとっては驚きだった。
普通に火を通すのと、全然違うのだ。
こんな、野営の時の食事は、その場で採れたモンスター素材でもなければ、保存食の硬いパンと、別に美味しくもない干し肉と、そういうものだけで終わってしまうのが普通だというのに。
目の前に用意された料理は、とても美味しそうに見えた。
「……では、いただくのです」
ピーニャの言葉に、オサムが頷くのを確認して。
その揚げたというパンを口にする。
その瞬間、ピーニャは思わず、目を見張った。
サクッという表面の食感が、口の中で弾けるように返って来たのだ。想像していた、硬いパンの歯ごたえはどこにもない。まるで、しっかりとオーブンで焼いたばかりのパンの、そんな食べ加減が生き返ったかのような。
これが、ポーションに浸す、ということなのだろうか。
香ばしい風味。初めて食べる味だ。パン全体に染みわたっているのか、それともその香ばしさはパン本来のものなのか、それはまったくわからないが、伝えるべき言葉がまったくないピーニャでも、ただひとつ言えることがあった。
「美味しい……のです」
「ああ、そいつは良かった」
嬉しそうな表情でピーニャを見るオサム。
そんな、オサムの顔に頷き返すと、残りのパンもゆっくりと噛みしめるように、一口一口大切に食べるピーニャ。
ふと、さっきオサムが言っていたことを思い出す。
干し肉を揚げたものが横に添えられているのに気付いて、それをパンと一緒に食べてみることにした。
「ああ……!」
口から洩れたのは、ため息だけだった。
美味しかった。パンの香ばしさと、それに負けない干し肉の味。少し塩気が強い、硬いだけの干し肉も、パンと同様に、ポーションを吸って、少しだけ柔らかく、いや、そして、表面はカリカリとした感じで、生まれ変わっているのに気付く。
そのふたつが合わさった時、本当に、信じられない、とピーニャは思った。
こんなもの、食べたことがない。
もちろん、町の食堂などで、煮込み料理などで、もっと美味しいものだってあるだろう。だが、ここは、『東の最果て』なのだ。
冒険者のお腹を満たすのは、悲しいかな、保存可能な食材だけなのだ。
にもかかわらず、お店で食べるのと近い料理を作ってしまった。
本当に何なのだろうか、この目の前の男は。
美味しい、という感覚。
それが、全身に染みわたってきて。
ようやく、自分は生きているという感覚が戻ってきて。
「う……う……ううぅ……」
なぜか、涙があふれてきた。
さっきまで、死んでも仕方ないと、そう思っていたのに。
一緒に旅をしてきたパーティーのメンバーがどうなったのか知っていたのに。
なぜか。
なぜ、こんなに涙が出てくるのだろうか。
わからないまま、この味を噛みしめながら。
しばらくの間、ピーニャはそのまま泣き続けた。
「……お恥ずかしい姿をお見せしたのです」
「いや、なに、気にするなって。俺も同じような感じだからな。まったく……どこが簡単なお仕事だよ。まあ、これが生きているってことなのかね」
「オサムさんは、お仕事でここにやってきたのですか?」
それは、さっきもピーニャが気になっていたことだった。
普通の迷い人は、訳も分からず、パニックになっているのが普通だったから。
「まあな。と言っても、大したことじゃないさ。俺の料理の腕を生かせる、そのための場所を作る、ってそれだけのお仕事だよ。報酬もあるんだか、ないんだか、知らないが。まあ、生まれただけで丸儲けってな。はは、そんな感じさ」
「なのですか」
やっぱり、目の前のオサムが何を言っているのか分からない。
だけど、ピーニャは思った。
オサムの料理。
彼の料理をまた、食べたい。
いや、みんなにも食べてもらいたい、と。
「それじゃあ、腹も膨れたわけだし、行こうぜ、ピーニャ。さっさとこの辺から逃げないといけないんだろ?」
「なのです。目指すは、西の名もなき村なのですよ」
そうして、その場を片付け、必要な荷物だけをまとめて。
オサムとピーニャのふたりは、西を目指すのだった。