第2話 包丁人と半妖精 中編
それが、ちょっと前の話だ。
さて、ここからどうやって、近くの村へと戻ろうかと考えているピーニャにオサムが変なことを言い出したのだ。
「なあ、ピーニャ。今、俺たちがいる場所って、近くに町とかあったりするのか?」
「いえ、なのです。と言いますか、オサムさんはここがどこか知らないのですか?」
さっきも思ったが、ここが『東の最果て』であることを知らずにいるのだろうか。このオサムという男は。
見た感じでは、ピーニャと一緒だった人間種とそう年齢は変わらないだろう。
青年と呼ばれる年格好であることは間違いない。
だとすれば、ここが『魔王領』の入り口であることを知らないはずがないのに。
「ああ。俺は、ここがどこなのかも、わからない状態で飛ばされてきたもんでな。そもそも、ここにいるのも俺の意志じゃないのさ。いや、まあ、それを選んだのは俺だが、別にな、好き好んでこんな森の中を歩いていたわけじゃないぜ?」
それを聞いて、あ、とピーニャが思う。
そうか、この目の前の男の人は。
「もしかして、オサムさんは、迷い人、なのですか?」
「うん? まあ、こっちの世界で、その迷い人っていうのが何を意味しているのは知らないが、迷子って意味なら、間違いないだろうな。はは、未だに、ここがどこなのかさっぱりだからな」
「やっぱり、なのです。迷い人でしたら、仕方ないのですが。いいですか、オサムさん? 今、ピーニャたちがいるのは、『東の最果て』というエリアなのです。最近生まれたばかりの、そのまま東へ進めば、『魔王領』へと至る入り口。そういう場所なのですよ」
だから、近くの村までも、少なくとも数日はかかる、と。
それに加えて、今ピーニャたちが置かれている状況と、ピーニャに起こった状況についても、改めて、オサムに説明した。
これから、同行するのであれば、認識を共有しておかないと、まずいからだ。
ピーニャの話を真剣な表情で聞くオサム。
さすがに、他のパーティーメンバーが全滅したかも、という部分では、顔をしかめるような感じではあったが。
「……なるほどな。話はわかった。つまり、俺たちはかなりまずい状況に置かれているってことか」
「なのです。まず、人里まで戻るにも、数日かかるのです。しかも、戻るための道には、ピーニャたちを追い込んだモンスターがいるかも知れないのです……今のピーニャたちでは、逃げるのも難しいのです」
「なあ、ピーニャ。ひとつ聞きたいんだが、今、お前さんが使っている『気配遮断』ってのは、そのモンスターに襲われた時は使っていなかったのか?」
「なのです。『気配遮断』はあくまで、結界内の気配を消すスキルなのです。その時は、まだ周囲が開けた場所でしたので、姿を見られれば、まったく意味を成さないのですよ」
遮蔽物がなければ、結界そのものが悟られてしまう。
だからこそ、無駄な消耗を抑える意味で、使っていなかったのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。もし、スキルを使っていたら、遠距離攻撃の的になるのは避けられたかも知れないのに。
いや、それでも、周辺にモンスターがいるかぐらいは気を配っていたのだ。
にも関わらず、長距離からの雷撃に襲われてしまった。
こちらの目の届かない場所からの攻撃。
そんなものを受けたのは、このエリアに入ってからが初めてだったのだ。
はぐれモンスターが、それほどの遠距離魔法を正確な狙いで使えるなど、想像の外側にあったから。
これが、『東の最果て』のモンスター。
文字通りレベルが違いすぎる。
「なるほどな。ちなみに、ピーニャは、これからどうするのがいいと思うんだ?」
「とにかく、このエリアを離れて、一番近くの村まで戻るしかないのですよ。先程の草原は開けすぎてますので、森を抜けるルートで、西へと向かうべきなのです」
「よし、それなら、そうしようぜ」
「ですが……問題は食料なのですよ。ここから村まで数日、それまでの食料が今のピーニャにはないのです」
急いで向かっても、数日かかる。
しかも、この辺のエリアはまだ未開拓なのだ。
どの植物が食べられるのか、そういうのがまったく情報にない。
加えて、周辺のはぐれモンスターの強さだ。
オサムの強さが未知数ではあるが、先程、迷い人と知った時点で、むしろ、ピーニャの中では、オサムの強さがよくわからなくなってしまっていた。
確か、迷い人はレベルが低いはずなのだ。
にも関わらず、先程はワイバーンの亜種をあっさりと仕留めてしまっている。
つまり、レベルが低いのに強いのか、あるいは、迷い人であるというのが嘘か、だ。
もっとも、とピーニャが内心で苦笑する。
すでに、一度は死を覚悟したわけで、そういう意味では、もしこの目の前の男がピーニャを騙そうとしていたところで同じことだ。
どうせ、とピーニャは思う。
自分は、廃契約の半妖精なのだから、と。
「ふうん、なるほどな。食料か。それがあれば、何とかなるんだな?」
「なのですが、あいにく、ピーニャはあんまり食べ物を持っていないのですよ。そういうのは、パーティーの他の人の役目だったのです」
「わかった。それなら、ちょっと、その辺を調べてくる。何か、食えるものがあればいいんだが」
「はい!?」
一瞬、何を言われたのかわからず、そのまま、ピーニャは固まってしまう。
もしかして、目の前の男は馬鹿なのだろうか、と。
「いや! オサムさん、何を言っているのですか!? ピーニャの話を聞いてましたか!? 下手に動くと危ないのですよ!?」
「まあ、そうは言ってもな、このまま、こそこそ逃げ回っていてもジリ貧だろうが。体力に余裕があるうちに、食べられそうなもんを集めておくのは大事だろ。さすがに、数日飲まず食わずで歩くのは無理があるからな」
「それはそうなのですが……」
「まあ、あんまり気にするな。ピーニャはここで隠れていてくれよ。俺もちょっと試してみたいことがあるんだよ、色々とな」
それに、とオサムがピーニャに向かって、少しだけシニカルな笑みを浮かべて。
「どうせ、俺も一度は死んだ身だ。もう二度と同じ目に合わないように、生き足掻いてもいいだろ。じゃ、行ってくるぜ」
「え!?」
呆気に取られているピーニャを尻目に、オサムは森の奥へと行ってしまった。
そうして、最初の話に戻るわけだ。
「いったい、何なのですかね、あの人は……」
少なくとも、あの時のオサムの目は本気だった。
状況がまったくわからない馬鹿ではなく、分かったうえで、覚悟をした上で、森の中へと向かって行ったのがピーニャにもわかった。
だからこそ、だ。
どうすれば、そんな境地に至れるのか、さっぱりなのだ。
本当に意味がわからない。
逆にピーニャ自身は、半分、自暴自棄のような感じにもなっていた。だが、オサムはと言えば、まだ何も諦めていないように見えたのだ。
そんな、まっすぐな目をしていた。
「おーい、戻ったぞ、ピーニャ」
「あ、お帰りなさいなのです、オサムさん……って、え!? その荷物は……!?」
帰って来たオサムは、ピーニャが見覚えのある荷物を持っていた。
そして、先程も少しワイバーンの血で汚れていた服だったが、さらに、新しい返り血のようなもので黒くなっており、わずかに焦げたような跡もある。
驚いた表情のままのピーニャに対し、オサムはしてやったりという笑みを浮かべて。
「ああ。さっき、ピーニャも言ってただろ。お前さんの同行者が食料を持っていたって。だから、そっちを探しに行ってきた。まあ、三人分しか持って来れなかったがな」
「いや!? オサムさん、聞いていなかったのですか!? あっちには、雷を使うモンスターが!」
「ああ。それを聞いていたおかげで助かったぜ。あと、そのモンスターが地面にいたってのも幸いしたな。まあ……それは仏さんのおかげだから、きっちりやるべきことはやってきたがな」
一瞬だけ、神妙な表情を浮かべるオサム。
あ、とピーニャもなぜ、オサムが助かったのか、理解する。
いや、それにしても、あのモンスターを倒してしまうなんて信じられない。
「……本当に、あの鳥を倒したのですか?」
「まあな、何とか不意をつけて、ラッキーだったぜ? さっきも言ったろ? 面白スキルがあったって。そのおかげだよ」
「でも、どうして、わざわざ、危険なことをしたのですか? 森の中にも食べられそうな木の実とか、あったはずなのですが」
「いや、いくつか、調べてはみたんだがな、どうも、こっちの世界だと俺の常識が通用しないみたいでな。どれが食べ物なのか、さっぱりわからなくてな。それなら、仕方ないってわけで、確実に食料がある場所に行ってみたってわけさ」
確実に食料がある場所、つまりは、ピーニャと一緒だったパーティーの荷物。
しかし、分かったうえで、こんな危ない橋を渡る人がいるとは思わなかった。
そもそも、話を聞いていると、オサムがモンスターを倒せたのは、運が良かっただけとしか言いようがないのだ。
さっき、オサムは、仏さんを埋葬してきた、と言った。
つまりはそういうことだ。
モンスターが食事を取っている隙をついて倒した、と。
「それじゃ、折角だから動く前に飯にしようぜ。こういう時こそ食わないとな」
そう言って、持ってきた荷物の中から、食料を探すオサム。
その姿をピーニャはただただ見ていることしかできなかった。