第1話 包丁人と半妖精 前篇
『なあ、ここって、ゲームの中なのか?』
さっき、出会ったばかりの、不思議な男が言った言葉を思い出す。
もうすでに、その言葉を発した当の本人は、もうその場にはなく、先程、「ちょっと、その辺を調べてくる。何か、食えるものがあればいいんだが」と言ったきり、ピーニャの静止を笑顔で振りきって、行ってしまった。
そのことも思い出して、思わず、ため息をついてしまう。
ここは、最危険エリアだと言うのに。
「いったい、何なのですかね? あの人は……」
今、ピーニャが、いや、ピーニャたちがいるのは『東の最果て』と呼ばれるエリアだ。
数か月前に、その存在が確認された、『魔王領』への道筋。そこへ至る最初の入り口でもある。何もない空間、通れなかったはずの場所に、新しい土地が現れるというのは、特にめずらしい話ではない。
そんなことは、よくあることだと、ピーニャは知っている。
もっとも、普通の冒険者では、決して近づこうとはしない場所だろう。
冒険者は知っている。
新しく現れた場所には、危険が多いということを。
そして、同時に、こうも考える。
新しく現れた場所には、実入りも多いということも。
そう、ピーニャも冒険者である。
妖精種と人間種のハーフであるため、普通の人間よりもひとまわりは小さな身体ではあるが、それでも、火の属性を宿した身体が、行使できる種族スキルが、彼女の支えとなってくれていた。
そのおかげで、今回も生き残ることができた。
だが、無事で良かったと言える状況ではもはやなかった。
「結局、生き残ったのはピーニャだけ、なのですね……」
パーティーを組んでいた仲間、いや、仲間ではないのか。あくまでも、廃契約のターゲットがピーニャだっただけ、という話だろう。
リーダーのカスケードを始め、他のメンバーも、ピーニャのことは、廃契約の半妖精としか見ていなかったのかもしれない。
首にかけられた枷に、ゆっくりと触れる。
今となっては、カスケードたちの気持ちが、どうだったのか、確認することもできないだろう。
ほんの軽い気持ちで『東の最果て』の様子を見に行く。
それだけだったのだ。
ちょっと踏み込んで、逃げれば、今の自分たちなら、大丈夫。
もしかしたら、面白いものが見つかるかもしれない。
そういう気持ちがあったのだ。
今更、後悔しても仕方ないことだが、このエリアを、他と同列に考えてはいけなかったのだ。
いや、決して、ピーニャたちが弱かった、というわけではない。
少なくとも、ピーニャ自身には冒険者ランクはなかったが、カスケードはランクAのれっきとした実力者である。
だからこそ、この場所の怖さに気付かされることになったと言ってもいい。
突然、認識範囲の外側から、超高速で、飛んできた雷撃。
それによって、リーダーであるカスケードが重傷を負った。
その時点で、もはや立て直すのは不可能だった。
低空飛行で現れた大型のモンスターは、ピーニャも初めて見るモンスターだったが、攻撃手段が雷撃であったことを考えると、おそらく、鳥型モンスターの、サンダーバード系の亜種であったのだろう。
『逃げろ!』という声。
おそらく、重傷のカスケードの声だったのだろう。
その声で、フリーズした身体を奮い立たせ、すぐ側の森の中へと逃げるのが精いっぱいだった。
「……まあ、逃げた場所にも、モンスターがいたのですが」
森の中にも、モンスターはいた。
亜竜でもある、大型のワイバーン、その亜種だ。
その時点で、完全に動揺していたピーニャは、ワイバーンと遭遇した時点で、死を覚悟した。
もはや、どこへ消えたのかわからない父親のことを思い、そして、目を閉じて、最後の時を待った。
だが、その瞬間はいつまで経っても現れなかった。
その場には、なぜか、ピーニャの他に、もうひとり、人間がいたからだ。
もっとも、そのことに気付いたのは、事が終わってからしばらく経った後だったのだが。
「やれやれ……普通は、こういうのって、弱いモンスターとかから始まるのが相場じゃないのかね? ったく、何が簡単なお仕事だよ」
ズシンという音と共に、崩れ落ちるワイバーンの巨体。
慌てて、音のした方向を見ると、その横で、小さな剣を持った男の姿があった。
ピーニャの腕よりも短い剣。
まさか、あれで、ワイバーンを斬ったのだろうか?
いや、改めて男の姿を見ると、どこもかしこも変な格好をしていた。
まず、全身が真っ白い服を着ていた。今は、ワイバーンの返り血で、ところどころ変色してしまっているが。
おまけに、ヘンテコな帽子をかぶっている。
あんな大きな帽子をかぶって、森の中を移動するというのはどうなのだろうか。
こんな辺地にいるのは、冒険者で間違いないだろうが、それにしては、白一色というのはないだろう。いくらなんでも目立ちすぎる。
いや、ひとり、思い浮かばないでもない。
確か、『大食い』の人が、そうだと聞いたことがあったけど。
でも、あの人って、確か、女の人だったと思うのですが。
「あ、あの……」
「うん? お! 何だ、妖精さんか!? おお、すげえな。なあ、ここって、ゲームの中なのか?」
「はい? ゲーム……なのですか?」
「ああ……なるほどな。いや、悪いな、年甲斐もなく、ちょっと興奮しちまっただけさ。すまんな、俺もちょっと訳ありでな。この辺のこととか、よくわからないんだよ。もし、よければ、ここがどこなのか教えてくれないか?」
えーと、この人が何を言っているのか、よくわからないのです。
どうやら、男は人間種のようなのです。
その、『ゲーム』というのが、地名なのか、それとも何か別の意味を持った単語なのかも、ピーニャにはわかりませんが。
とにかく、ピーニャを助けてくれたのが、目の前の男の人であることは間違いなさそうなのですよ。
だったら。
「ちょっと待って欲しいのです。このまま、不用心に話しているのは危険なのですよ……『気配遮断』」
妖精種の種族スキル『気配遮断』なのです。
これで、こちらから、大声を出さない限りは、そう簡単には、周囲に気配が漏れることはないのです。
「へえ、それが魔法ってやつか?」
「いえ、これは、妖精種の種族スキルなのですよ。ピーニャは、火の妖精なのです。まあ、厳密に言えば、人間と妖精のハーフなのですが」
思わず、首の枷を触ってしまう。
もう、これはピーニャの癖と言ってもいい。
街中だと、他の人の視線を気にしてしまうが、目の前の男は、ピーニャを助けてくれたわけだし、もうどう思われても構わなかったし。
だが、男は、別にピーニャがハーフであることも、首の枷についても、何も気にするようなそぶりすら見せていない。
ちょっとだけ、そのことに驚く。
「なるほどな。火の妖精か。ハーフってのは、こっちでは普通のことなのか? まあ、その辺はどうでもいいや。それよりも大事なのことがあるしな。お前さん、ピーニャって言うのか?」
「なのです。本名はピニャンタなのですが、みんなからはピーニャと呼ばれているのですよ」
「そっか。なら、俺も名乗らないとな。俺はオサムっていうんだ。この格好から気付いたかもしれないが、料理人をしている。つーか、何考えてんだが、知らんが、店の制服の格好で、こっちに送りやがって。まあ、幸いだったのは、包丁も一緒だったってことか。これと、面白スキルがなかったら、危なかったぜ」
「はあ……そうなのですか」
その白い格好は料理人の衣装なのですか。
それは知らなかったのです。
「まあ、愚痴はさておき、そんな感じさ。ピーニャ、よろしくな」
「はい、なのです、オサムさん」
何が、よろしくなのかはわからないが、まあ、何となく、人が良さそうな印象があるし、少しの間は、一緒に行動した方が良さそうだ、と考える。
さっきのワイバーンを倒した手際といい、このオサムという人物は、かなりの実力者だろうし。
そもそも、ピーニャには選択肢がないのだから。
「では、とにかく、この場から離れた方がいいのです。ワイバーンの死体はもったいないのですが、生憎、大きなものが入るアイテム袋は持ち合わせていないのですよ」
他のモンスターがやってくる前に、場所を変えた方がいい、と伝える。
ピーニャの『気配遮断』とて、完璧ではないから。
「ああ、わかった。そういうのは、慣れてるやつの意見に従うぜ」
そうして、ピーニャはその、正体不明の自称料理人のオサムと、ワイバーンの死体が横たわった場所を離れた。