こんな夢を観た「喫茶店での出来事」
駅前に、いい雰囲気の喫茶店を見つけたので、ふらっと入ってみた。
ドアには銅製のベルがぶら下がっていて、カロン、カロン、と可愛らしい音を立てる。
カウンターの向こうから、マスターがにこやかに会釈をしてきた。わたしも軽くおじぎを返し、店内を見渡す。
明るすぎず暗すぎもしない照明が、品のいい店内をさらに落ち着いた雰囲気に見せていた。
昼下がりのためか、客もまばらで、席はがらがらである。わたしは、繁華街のよく見える窓際に腰を下ろした。
立て掛けてあるメニューをめくると、うれしいことにレアチーズケーキのセットが用意されている。わたしはこれが大好きだった。
「すみませーん、レアチーズケーキ・セット、ホット・コーヒーでお願いします」わたしはカウンターに向かって声をかける。
「はい、かしこまりました」マスターの声はヴィオラのようにしっとりと響いた。
ほどなくして、電動ミルのブーンと唸る音が聞こえ、ほろ苦いコーヒー豆の香りが店内に漂ってくる。
目を閉じ、南国の幻想に酔いしれていると、いきなり肩を揺すられ、トゲのある声で話しかけられた。
「ちょいと、あんた。そこ、あたしがいつも座ってる席なんだけど」
びっくりして見上げると、大根や長ネギをのぞかせたエコ・バッグを肩から提げた、50過ぎの女性が睨み付けている。
わたしは思わず、マスターに目を向けた。サイフォンの前でこちらを見返している。「やれやれ、その奥さんにはいつも困ってるんですよ」明らかに、そう語っていた。
言い返しても騒ぎになるだけだと思い、
「すいませんでした。初めて来た店だったもので」と、席を立つ。
とはいえ、内心では面白くないので、できるだけ遠い席を選んで移った。せめてもの抵抗のつもりである。
入り口から一番離れたそのテーブルに着くなり、マスターがハンド・ベルを派手に鳴らした。
「おめでとうございます。そのお席は、本日のラッキー・テーブルとなっております。ご注文のお代は無料とさせていただき、ささやかながら記念品を用意しておりますので、どうぞお受け取り下さい」
わたしはとっさになんと返事をしていいのかわからず、ぽかんとしてしまう。やがて、胸の奥からじわーっと嬉しくなってきた。
「ありがとうございます」ようやくそれだけ口にする。
レアチーズケーキの載ったトレーとともに、包装紙できれいに包まれた箱がテーブルに置かれた。
「こちら、手回し式のコーヒー・ミルです。よろしかったら、ご自宅でも本格的なコーヒーをお試し下さい」
それまでコーヒーを挽いたことなどなかったけれど、これを機に趣味を広げてみるのも悪くはないな、と考えた。コーヒーの香りのする部屋なんて、想像してみただけでも優雅な気分になってくる。
店内でも焙煎豆を扱っていると聞き、帰り際に一袋買っていく。
「こちらの豆は当店のブレンドで、中煎りとなっています。バランスの整った味と香りがお楽しみいただけますよ」
店を出ようとすると、あの中年女性がわたしの裾を掴んで言った。
「あんた、あたしに感謝しなさいよ。ほんとはあの席に座るつもりだったんだけど、それをわざわざ、あんたのために譲ってやったんだから」
「そうだったんですか。そうとは知らず、失礼しました」わたしはペコリ、と頭を下げる。
閉まるドアの隙間から、肩をすくめるマスターの姿が見えた。