潜入開始
結局花菱は荘司郎の問いには答えなかった。
これ以上は無駄だと思ったのか、荘司郎はあまり追求をすることもなく、いやに素直な調子で本来の寝室に案内された。
香織がうずくまっている方ではない、孤独な寝室だ。
香織のことは、花菱が責任を持ってなんとかするそうだ。
泣かせた本人が、まるで母親のように子供の頭を撫でる様は、出来の悪い演劇を見ているようで滑稽だ。
寝室に入ると、ふかふかの絨毯がまあまあ豪奢な雰囲気を醸し出していた。
壁に汚れも見当たらず、比較的新しい印象を受ける。
>なんか向こうよりもよっぽど豪華に見えるね。
扉を閉めて、荘司郎が肉声で応える。
「多分向こうは、この家が焼かれる前からあった部屋だ。
今も昔もあの部屋で、あいつは花菱に寝かしつけられてるんだろ」
>なるほど。
>そう思う根拠は?
「特に無い」
確かにあの部屋は今のこの屋敷とは、作りというか、カラーが違うような印象を受けた。
香織があの部屋を選んで寝室にしている理由は、なんとなく予想がつかなくもないが、それだとなんだか、あの女にしては可愛らしすぎる気がする。
少し趣旨を変えよう。
>あの女のことが……好き?
ブフォッという変な音と共に、荘司郎の口から魂のようなものが吹き出た。
「……う、うるさいし、めんどくさい奴だと思う」
少年だなぁ。
何か、暖かい気持ちに浸ることができた。
荘司郎がベッドにドスンと潜り込む。
>……誰とは言ってないよ。
「うるせえ。
もう寝る」
この屋敷に連れてこられてから時計を見ていないが、なんとなく相当遅い時間だということはわかる。
>うん、おやすみ。
子守歌でも歌ってあげようかとか何とか言って、荘司郎をからかうのも面白いような気がしたが、明日に障るといけない。
私は荘司郎との感覚接続を全てシャットダウンした。
そして荘司郎の記憶領域に、全ての接続子を繋いだ。
この世界の人間データは、睡眠中に記憶領域の情報をリフレッシュする。
その際に情報の取捨選択が行われ、睡眠するまでにアクセス回数が多かった出来事に関連した情報は、大容量の記憶プールに送信される。
そして残りは記憶領域に取り残され、記憶領域のリフレッシュによって消滅するのだ。
今の私が必要としているのは、今日の記憶ではない。
荘司郎が作られたその瞬間から、ずっと記憶プールに存在している設定上の記憶だ。
記憶領域から最初のデータが送信されるのを感じとった。
私は慌てて、私の一部を切り離し、そのデータに乗せて記憶プールへと侵入させる。
程なくして作戦は成功した。
ラハチビイソウエンクノアトルイ。
花菱は明らかに日本語の発音で、そんな単語を口にした。
aeida語ではなく、はっきりとした日本語。
何らかの異国の単語を日本読みしている可能性はあるが、どちらにせよ私が荘司郎に寄生した際に読み取れなかった、荘司郎の記憶について解明する糸口になるかもしれない。
小さくなった私に検索システムを起動させる。
さて、プログラムとしての本領発揮だ。
ラハチビイソウエンクノアトルイと読める、アルファベットを含む日本文字を、総当りで入力していく。
たっぷり3秒かけて、ようやく結果が返ってきた。
螺8B層苑躯呑@類。
私は本気で私を疑った。
なんだそれは?
なんらかのシステム不良なのではないか?
しかし、検索結果が、この文字で返ってくる以上、そのデータを閲覧しないわけにはいない。
…・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
私は薄暗い部屋の中にいた。
自分の腕を動かしてみる。
正常に動く。
手を上げてまじまじとそれを観察してみる。
荘司郎の手より少し大きいが、滑らかな曲線をしていて、そして肌が非常に細やかだ。
紛れもなく、これは私の体だった。
「……あ…あ、あー。
うん。
声帯も異常なし」
私の中の理想を体現した私の声。
いい感じにお姉さんっぽい。
自分が発音した声が自分の耳に入る。
ただそれだけのことが楽しくて仕方がなかった。
「これより第三者観察プログラムackimnethは、極秘潜入任務を開始する!」




