芳乃楓の自己解剖2
知識を手に入れる度に、楓は伯瑛に対する憎しみを募らせていった。
好奇心を満たすための知識修習が、復讐のための行為へと、次第に移り変わっていった。
書籍、映画、音楽、漫画、アニメ、ゲーム、あらゆるコンテンツを浴びるように消費して、楓はもし社会という概念が現存していれば、その中でも生きていける程度の人間らしさを身に着けた。
それら全ては、与那城伯瑛を殺す為に手に入れた知識の副産物だった。
食用酢の入ったボトルと塩素洗剤を抱えて、楓は誰もいない街中を歩く。
向かう先は与那城研究所。
楓は冷や汗を垂れ流しながら、出るときに渡されたマスターキーで二重に重なった重い扉を開ける。
下へ、下へ、下へ。
階段を下り続ける。
最後の扉を潜って、楓は容器の蓋を外した。
ジジジジジ。
機械類が微かに異音を吐き出している。
部屋の中にはそれ以外の音が無かった。
楓は容器の蓋を元に戻す。
無機質な灰色の壁に眩暈を覚えながらも、楓は伯瑛の残滓を見つけ出そうと、部屋の中を徘徊する。
やがて冷蔵庫に奇妙なメモ書きが貼り付けられているのを見つける楓。
『瑞希へ。
・起きたら錠剤を飲んでおくように。
・水分と栄養と排泄は必要無い。
・くれぐれもシェルターの外には出ないように。
・tehckrytthのバックアップデータはいつもの引き出しの中。
・わかっているとは思うが私はもうこちらにはいないので悪しからず。
そちらで会えていることを祈っている。』
「こちらにいないなら、何処にいるっていうの?」
楓がtehckrytthの外壁に『IN』と書かれた扉を見つけるのに、大して時間はかからなかった。
それはいとも容易く開いた。
その奥は真っ暗という言葉ですら適切ではないほど、べったりと黒色で塗りつぶされていた。
「いるの!? いないの!?」
楓が口に手を当てて黒色の中に叫ぶが、返事が返ってこないどころか、楓の声の反響すら返ってこなかった。
得体の知れない空間に恐怖を覚えて、楓は扉を閉めた。
それからの楓は、このtehckrytthについての研究に時間を費やす事になった。
運よく楓は、tehckrytthについての伯瑛自身の覚書を発見する。
目に見えて身長が伸びるほどの時間が経ち、楓はようやくtehckrytthが一体どんな存在なのかをおぼろげに理解した。
その後はtehckrytthの内部のデータを解析する日々が始まる。
幸いプログラムは、図書館の中で楓が学習したものに近い体系の言語が使用されていた。
それ故楓は己の敵の強大さを改めて思い知ることになる。
「どうして、アレでこんなのが作れるのよ」
一見して無意味な英数字の羅列に見えるそれは、全体を見渡してみると一つの自然現象の再現であったり、宇宙の始まりかたの記述であったりする。
楓は恐怖を覚えながらプログラムの解読を進めた。
ついに楓は決定的な一文を発見する。
*krlthu{"que"34}-{thuyime}("与那城"){ckfith}("伯瑛")/.
「型、与那城、名、伯瑛。
……やっぱり、そこにいた」
その文の中身が記述されたのは、つい最近のようだった。
楓はtehckrytthの中に伯瑛が存在していることを確信する。
まず楓は与那城伯瑛についての記述を全て削除しようとした。
しかしそれは失敗に終わった。
tehckrytthについてのデータの変更はtehckrytth内からしか変更できないように、ハードウェアレベルから設計されていたのだ。
いっその事tehckrytthそのものを完膚無きまでに破壊することも考えたが、その際にどうしても与那城瑞希を殺害する必要があることに、楓は躊躇いを覚えた。
「貴女のことなにも知らないけど、貴女を殺したらあいつと同じになっちゃうね。
それは嫌。
それにあいつが死ぬところも見られないし」
解析を続け、楓は釜谷恭蔵という人間が、他のデータとは少し違う生成法則をしていることに気がついた。
外から変えられなければ、内側から壊すしかない。
その方法を思いついた楓は錠剤のビンを持って扉の奥へと飛び込んだ。
「……待ってて」




