逃げました。
「いや、いいんだ。
君が気に病むことでは無いぞ。
それだけはわかる。
それにここも悪くはないぞ!
こんなに可愛いらしいメイドさんに囲まれて生きられるなんて、男冥利に尽きるじゃないか。
ハハハ!」
「え、でも……おかしいだろ」
「なにがおかしいんだ?
おいおい、木葉。
クッキーが床にこぼれてるぞ。
ちゃんと皿の上で食べるんだ」
木葉はずっと、手も口も動かしておらず、ただまばたきと呼吸を繰り返しているだけだった。
頭を抱え込むA太。
「やっぱり僕だ。
僕のせいだ。
僕のせいでバースさんがおかしく……」
突然A太は、後ろから小さな腕で抱きしめられる。
「ちがう」
鈴がチリンと鳴るような、そんな小さく透き通った声だった。
「鈴音ちゃん……。
君はまだ正気を保っているのか」
鈴音はA太に見えないように首を横に振る。
「だれもくるってないよ。
みんなそれぞれ、ちがうものみえてるだけ」
「え?」
「にんげんってかってなの。
じぶんのつごうがいいように、せかいをまんげきょうでみて、それがせかいのすべてになるの。
いまのみんなは、それがちょっとほかとはちがういろをうつしてるだけ。
わたしもそうだった。
でもそれでいいとおもう。
だってそれこそがにんげんらしさだから」
今の鈴音がどんな顔をしているのか気になって、いや、恐怖を覚えてA太は鈴音の腕を振りほどく。
振り向くと、今までと何ら変わった様子の無い鈴音の顔が、A太の眼球に映った。
「いまはすこし、あなたのいろにちかづいた、かな?」
A太は後ろを向いて、リビングから廊下に繋がる扉を潜った。
なるべく誰にも目を合わせないように、慎重に。
長い長い廊下の途中で、床が不自然に黒ずんでいる部分をA太は見つけた。
A太が目を凝らすと、それは人間の形をしているように見えた。
そのままひたすら走り続けて、A太はマツモトミヨシのトイレで生還するが、結局最後まで瑞希に会うことは無かった。




